【紛れのお茶会】

「お茶会ですか?」

フローロが受け取ったのは綺麗な刺繍が施された招待状だった。
メメリから差し出されたそれは、恐らく――

「No.966ちゃんから?」

「はい」

受け取った招待状とメメリの顔を交互に見つつ、フローロは思う。
まずは珍しいなと思った。
次に嬉しいなと思った。
そしてどうしてだろうと思った。
彼女の立場を恐らくだが理解している者としてみれば、また比較的付き合いの長い身としてみても、この誘いにはこれまでになかった何かを感じ取った。

「日程が合わなければ――」

「あ、大丈夫ですよ」

メメリの表情が和らぐ。

「ではその様にお伝えしておきますね」

「お願いします」

後ろ姿を見送って、そういえばあれから顔を合わせていなかったと気付く。
色々な場所に顔を出している事もあってタイミングが合わないだけという気もするし、それ以外の何か――思いつかないが、そういうものもあるのかもしれない。
緩む頬を自覚しながら、それを抑える様な事はしなかった。


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それから数日後

「えーと……」

No.966から送られてきたお茶会の会場へのルート案内に従って進む事数十分。
フローロの目の前には廃工場跡としか呼べない建物があり、何度確かめてみても間違いはない。
恐る恐る瓦礫の間を進んでいくうちに、人が一人通れる程度には片付けられた道が見えてきて、その先には二人の影がある。
近付くにつれて輪郭が浮かび上がり、描写が鮮明になり――

「お待ちしていました」

本来の姿で二人が出迎えた。

「お待たせしてすいません」

するりと返事をしたフローロに逆に小さく戸惑う。
密葬係としての立ち振舞を理解している彼女が何故、いや、だからこそなのか。

「――いえ、丁度お湯が沸いた所ですから」

いくつもの円が連続した平面的な模様はフラクタル構造によく似て、四物式のケトルであることがメメリの口から語られる。

「お好きなところに座ってください」

廃工場というシチュエーションには一切釣り合わないアンティーク調のテーブルや椅子は、この付近だけを違和感なく彩っていた。
ここだけ切り取られた別空間の様な、そんな雰囲気。
インスタントではない自然な香りを感じ取り、フローロはわぁと小さく声を上げる。

「まだ熱いので気を付けてください。No.966さんもどうぞ」

三人の手元に紅茶が行き渡ったところで、No.966が口を開く。

「来てくださって、ありがとうございます」

「いえいえ、お招きいただきありがとうございます」

「お菓子もありますから、遠慮しないで食べてくださいね」

クッキー、マカロン、プレッツェル、チョコレート、ワッフル――船舶の子がいたら喜びそうだなと思った。
二人がじっとこちらを見つめている事に気付いて、最初に手を伸ばすまでこの状態が続く事に気付いたフローロは一番近くの二色のクッキーを手に取った。

「いただきます」

唇で挟んで少し力を入れると、小気味良い音と共に半分に割れる。
バターの風味と砂糖の甘味、微かなチョコレートの香りが口の中いっぱい広がった。

「美味しい……」

No,966の記憶の限りでは、フローロが味に言及したのはこれが初めてのことだ。
彼女が異常なまでに辛党であったことは周知の事実だが、それ以外の食べ物に対する感想は味を表現するものでは無かった。

「お口に合いましたか?」

義体化によって味覚を手に入れたのだろうと予測し、それは正しい。

「ええ、とても」

穏やかな談笑を見るメメリはNo.966の嬉しそうな気配を感じ取って小さく安堵し、ほんの僅かなささくれを見落とした。
この場所を知っているのが自分だけという優越感や独占欲がほんのわずかに顔を上げて、刹那の間に消える。

「私たちもいただきましょう」

「はい」

口の中で溶けていくチョコレートの甘さがじんわりと染み込んでいく。


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並べられた菓子類が半分ほどになったところで、丁度三人の紅茶がなくなったところで、他愛のない会話が途切れたところで、No.966は居住いを正す。
左右で異なる色の瞳が真っすぐにフローロを見つめ、

「ロナルド・ハンティントンとの行動について、お尋ねしたいことがあります」

本題を切り出した。

「どこで何をして、どの様に過ごしていたのか、教えて頂けますか?」

何か具体的な質問をされるのかと思っていたフローロは予想していなかった曖昧過ぎる問い掛けに、その意味に思い至って表情を整えた。

「襲撃の後――」

密葬係という立場上、祇園寺に報告した内容の全ては共有されていると思って間違いない。
では何故、こんな質問を投げかけたのだろうか。
今行っている事はただの確認作業であり、本来であれば不要なやり取りだ。
それをわざわざ密葬としての立場を明確にしてまで、お茶会を開いてまで、聞きたかったその理由。
庁舎に戻ってくるまでを話し終えて、No.966は再び尋ねる。

「ロナルド・ハンティントンの事はどう思っているんですか?」

「おかしな人だと思ってますよ」

即答する。

「敵だとは思っていないんですね」

言われて確かに、と思う。

「敵になる理由が無くなりましたから」

アレは現実改変を壊したくて壊したくてどうしようもないだけで、フローロ・ケローロがそれを失った時点で目的は達成されたと言える。
彼が個人的に環境課に執着する理由は無く、フローロに関してはある意味でビジネスパートナーの様なものだ。
そう理解している為、彼は”現時点”では明確に敵ではないという線引きで、正直なところを言えばここまでが彼の思惑通りだと思うと少しだけ腹が立つ。
しかしNo.966がそんな内面を知るはずもなく、むしろフローロの変わり様に戸惑いを抱いた。
そんなあっさりと、怨敵の様な存在への警戒を捨ててしまえるのだろうか。
そんなきっぱりと、変わってしまえるのだろうか。
そんなすっきりと、笑って言えるのだろうか。
どうして、と思う感情の正体が分からない。

「フローロさんは」

No.966との会話が途切れたのを見て、メメリが口を開いた。

「どうして断頭台を捨てる事が出来たのですか?」

紛れもなく自分の根幹だったはずだ。
それを捨てる決断にはどれだけの勇気と覚悟が必要だったのか。

「どうして、ですか」

言葉に詰まって――選んでいるようにも見える。

「私はフローロ・ケローロですから」

答えになっていない。

「『忘却の丘』ではありません」

答えになっていない。
だが、これ以上の答えがあるとは思えなかった。
断ち切る死、解放する死、安らかなる死、即ち救済そのもの。
最期の願いを叶える為の美しい刃がもう振るわれない事実を少しだけ、ほんの少しだけ、哀しいと感じて。
羨望に似た感傷は、黄昏の眩しさに溶けていく。


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密葬係の二人はフローロの答えを聞いてからずっと考え込んでいる。
その様子が何故か嬉しくて、口元を誤魔化す様にマカロンに手を伸ばした。
――変わろうとしていて、あるいは既に変わっているのかもしれない。
――気付いていないだけで、あるいは理解出来ていないのかもしれない。
――良いものか悪いものか分からず、そもそも良し悪しで区分け出来るようなものではないのかもしれない。
その極めて自然な心の振る舞いを、つい最近まで理解していなかった自分自身を恥ずかしく思いつつ。
欲張りになった少女は二人の姿を独占出来る事に小さな喜びを感じていた。

「お茶、なくなっちゃいましたね」

三人のカップは既に空っぽで、お菓子も先程のマカロンが最後の一つだった。

「そろそろお開きといたしましょうか」

用意した一式を持ち帰る気分にはならず、しばらくの間は晴れるという天気予報を信じてケトル以外はそのままにしておくことにした。
廃工場跡の出口まで来て、立ち止まる。

「何か忘れ物ですか?」

「……いいえ」

夜の帳に覆われた見慣れたはずの場所は、どこかが違って見えている。
その違和感は不快なものではなく、けれど言葉で表すにはまだ何かが足りていない。

「No.966ちゃん?」

「今行きます」

瓦礫を軽快に飛び越え追い付いて、少し遅れて鈴が鳴った。
その音に釣られる様にして三人は空に視線を向ける。
宵闇に隠れた月に気付く事が出来るのは、そこにあると知っている者だけだ。


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【紛れのお茶会】

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