【Answer Your Justice】 : Cp-1

庁舎襲撃によって破砕されたエントランスは未だに十分とは言えないが、本来の役割を十分に果たせる程度には元の姿を取り戻したと言えるだろう。
しかしそれ以外、例えばレイメイの放った蜘蛛や金華猫が傷付けた壁面や階段にはその跡が残されたままで、ブルーシートに覆われたその下は見るに堪えない状態だった。
入口に立つ警備係――ホロウは自分の背後で行われている会話に聞き耳を立てつつ、前から歩いてくる人柄の良さそうな婦人に明るく挨拶をした。

「いつ頃工事が終わるのやらね……」

グレンはブルーシートのかけられた階段を苦々しい表情で見つめてぼやく。

「被害があったのはここだけではありません」

ネロニカの指摘はもっともで、例えばブロックの治安や機能管理、インフラ整備を担当している組織が自分たちの居場所を真っ先に修繕していたらどう見えるか。
答えは言うまでもなく、環境課の信頼は今度こそ地に堕ちて取り戻す事は出来ないだろう。

「分かってるっての」

目に見えて利用者の減った環境課庁舎は、それこそ業者であってもその足取りは重い。
そうした雰囲気も相まって、かつての様な活気を取り戻すのはまだまだ先だろうな、とグレンは独り言ちた。
かつてといえば、初回の襲撃で滅多打ちにされたホロウではあるが、二度目の襲撃の後に何食わぬ顔で入口に立てる程度には――その表情の裏側にココロを隠しきれていない。
一度目の襲撃を遥かに超える規模の破壊を前に、動揺が未だに抜けきらずにいる。
自分の居場所が、帰るべき場所が、こうも様変わりした事実を受け止めるには時間も、整理も、足りていない。

「こんにちは」

ネロニカに向けてかけられた声。
上品な装いの婦人はにこやかに、ネロニカに目線を合わせて問いかける。

「ちょっと聞いてもいいかしら?」

「何でしょうか」

どこから案内窓口にいけばいいか、だろうか。
確かに足場は不安定であるし、付き添いのようなことを頼まれるかもしれない。

「ええと、後ろ髪を束ねたお兄さんって言って分かるかしら?」

「――――」

ネロニカの記憶にはない。

「案内窓口でたまにお話にお付き合いしてもらってたんだけど、最近見ないから」

ネロニカの記憶にはない。

「どうしたのかしらって思って。ほら、この前の……ね?」

ネロニカには答えられない。

「あぁ!あいつならやりたい事が出来たって、目をキラキラさせながら出ていったよ」

グレンは割かし大きな声で聞こえるように、はっきりと、そう言った。

「全く、羨ましい限りだよなぁ」

「そうなの?でも、こんな状況でやりたい事が見つけられるのは素敵よね」

「若いってのはいいもんだ」

「うふふ、貴方もまだそんな年でもないでしょうに。……ありがとうございます」

案内窓口へと向かう婦人と距離が開いてから、ネロニカはグレンへと問いかける。

「どうして嘘を?」

「分かんだろそんくらい」

ネロニカが気付くくらいなのだから、恐らく、いや確実に婦人もそれを察しているだろう。
ではどうして、何の為に、見抜かれる嘘を吐いたのか。
ネロニカは、人の死を悲しいだとか寂しいだとか苦しいだとか、そういう風に感じる事は理解が出来る。
ただしそれは事象としてであって、それを労わろうとする真意を汲み取る事も、自らがそう振る舞う事も、いずれにしても困難だ。
だが、それであっても。

「どうして……」

そうする理由を知りたいとは思っている
振り返れば、減ったのは利用者だけではなかった。
共に過ごした課員の数も同様で、自らその証を降ろした人数も少なくはない。
ある程度は仕方がない事だとホロウは理解している。
もう二度と声をかけられない誰かを思い、隣に視線を向けて、再び戻す。
例えば自分の様に、環境課が居場所だと思っているのであればここから去るという選択肢を取る事はない、取れるはずもない。
もちろんそうではない人の方が遥かに多く、こうなった経緯はひどく自然なものだ。
対照的な自分の在り方が改めて浮き彫りになり、それを言葉で表す事は出来ない様に思えた。
今はただ、知っている顔が減った事実を悲しいと感じている。


そうした感情に戸惑いを抱く人形もいる。
この感覚が何から来ているものなのか一切見当がついておらず、自分で自分をつかみ取れていないという奇妙な感覚だ。
例えばド取の襲撃に対する恐怖を思い返したのか、顔の知らない課員が立ち去った事実に悲しみを感じているのか、あるいはその死に寂しさを見出したのか。
考えれば考える程、思考はまとまりを失っていく。
そもそも環境課に来るまで、誰かと対等な立場で関係を持つ事が無かったのだ。
繋がりを持つという事がこんなにも自分を困惑させている事実だけが明確で、あるいはそれすらも不明瞭に、どこまでも曖昧に希釈されていく。
恐らくはこの場で答えを出せないだろうと結論付けても、頭の中は渦巻いたままだ。


悩んでいるのがありありと分かるネロニカの頭頂部を見下ろして、さてどうしたものかと溜息を吐く。
襲撃を受けた後の環境課はひどく不安定だ。
復旧の進みが思ったほどではない事もだが、これまでの環境課の立場から大きくかけ離れてしなった事に対する不安が殊更に大きい。
このままここにいていいのだろうか、という疑問が一つ。
個人的には環境課の為に粉骨砕身しようとは思わないものの、自分のやるべきことくらいは果たさなければならない、とは思っている。
特にネロニカやアートマに対しては親心の様な何かを抱いていて――伝えるつもりは一切無いが――二人が不自由のないように立ち回るべきであるし、出来る事ならばそれを見届けたいと、朧気ながらそう感じている。
互いの思惑は、感情は、どこか近い様で、全くすれ違ってもいない様でもある。
それを伺い知る事は当然出来ず、出来たからといってどうということでもない。

「片付けするか?」

「今日は最初からその予定でしたが」

壁に立てかけた箒と塵取りとハンマーとドリルとハンマーとハンマーを――

「これから何を始めるつもりだ?」

小首を傾げる。
多すぎるハンマーを奪い取り、視界の外で搬入業者のトラックが駐車場に止まった。

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運び込まれる物品の数は目に見えて少なくなっていた。
暴動による経済活動の規模縮小の影響は、環境課に日々運び込まれる物品の数量やその種類の減少にも繋がっている。
普段であれば一日の業務は適度に切れ目を入れながら継続させられるが、今日は特にやる事がなく、ぽっかりと時間が空いてしまっている状態だ。
手元で検収印を弄びながら、落とさない様にそれなりの注意を払いつつ、手持無沙汰の暇つぶしを考える。

「サインする伝票が少ないのは楽でいいんですけどね」

連絡によると次の受け入れは一時間後で、その間ずっと天井を見ているのも工夫がない。

「少しは積極的にお仕事しましょうか」

小脇に抱えられるサイズの段ボールを手に取って、卓上に『外出中』の立札を置いた。


備品管理室のドアを小さく開けて、顔だけが見える様にして中を覗き込む。

「おコンバンハ」

今は昼だ。

「あ、宗真さん!」

くるりと振り向いて、明るい声を発したのは和泉童子である。
姿が見える課員は一人だけで、目に見えてその数は少なくなっていた。
人手不足による業務の兼ね合いは幅広く行われており、特に内勤を停滞させない様にと、臨時ではあるがここから別部署に異動した課員もいるらしい。

「荷物持ってきてくれたんですか?ありがとうございます!」

「丁度手が空いた所ですから」

何気無い普通の会話、当たり前の日常の温度。
円城寺椛の痕跡は既に無く、丁寧に清掃された床は何もなかったかのように振る舞っている。
彼女の死亡を伝えられた時は驚いたがそれ以上の感想も感傷も特には無く、それはその他の課員であっても変わる事はない。
別の誰かが後任となったところでやる事はそのままで、その相手が変わっただけの話だ。
もちろんそれをストレートに伝えるのは人の心がない――見た目は鬼だが――と捉えられかねないので相手に合わせて同調はしてみせるが、今はその必要はなさそうだ。

「何かお手伝い出来ることはありますか?」

「大丈夫です!」

本当に大丈夫そうなので再度尋ねる事もなく、簡単な挨拶を交わして宗真童子は備品管理室を後にした。
扉の閉まる音が響き、一人になった和泉童子は壁際に積みあがった空き箱を見る。
備品貸し出しリストの更新には手が回っておらず、勤務時間中に対応は出来るだろうがスピーディーとは言い難い。

「椛さーん?」

手伝ってもらおうと呼びかけるが、当然返事は無い。

「円城寺さーん?」

二度の呼びかけにやや遅れて、

「あ、そうでした」

もういない事を思い出した。
忘れていた訳ではなく、逃避している訳でもなく、ただただ実感が無さ過ぎて。
喪失を悲しいと思うより先に寂しさに似た曖昧な感覚が胸中で顔を出した。
そこにいたはずの人がいなくなるという事が不思議で、とにかく不思議で。
もしかすると――しばらくしたらひょっこりと戻ってくるのではないか、という風にも思っている。
それはどこかズレていて、しかし極めて自然な振る舞い。
淡々と、粛々と、日常が行われている。
整備・開発行きの段ボール箱を台車に三つ積み上げて。

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「終わりませんねぇ~……」

「うだうだ言ってないで手を動かせっての」

背後に積み上げられた大量の備品を見てかすかにペースが上がる。
先の襲撃で大破したものから、しばらく使われていなかった為に埃を被っているようなものまで様々だ。

「ん~……。とりあえずこんなもんでどう?」

隣に座っていた散葉に絶ち斬り鋏を手渡して、その感触を確かめてもらう。

「やっぱ共通規格ってのは大事だよな」

修復不可能と判断されたスクラップからまだ使用できる部分を解体係に融通してもらい、ツギハギではあるが元の姿と遜色ない程度まで構築しなおせたのはリアムの技術力あってこそだ。

「うん、いい感じ」

物品としての重量は以前となんら変わっておらず、満足そうに頷いた。

「でもやっぱ厳しいですね。アレもコレも足りてなさすぎますよ」

経済の縮小は細部に至るまで影響を及ぼしている。
特に多くの資材を要求する整備・開発にとっては大きな痛手であり、それは物品だけに限らない。

「あっちもこっちも人手不足で納期が間に合わないって、そんなもん徹夜でも何でもして間に合わせろってんだよ」

リアムは苛立ちを隠そうともせず、この非常事態ともいえる状況に対してあまりにも悠長なことを言ってくれるもんだと愚痴をこぼす。

「そういえば、聞きました?中山商店の経営が厳しいらしいですよ」

どこにでもありそうな名前は環境課の取引先であり、アルベルトがよく利用している卸だ。
少量での取引を快く行ってくれる数少ない相手で、これまでに何度も世話になっている。

「物が入らないから取引自体が出来ないみたいで、この間価格改定のお願いをしに来てたみたいです。僕はこのまま続けたいんですけど……」

大量購入や定期購入における値下げ交渉は当然の行為であり、逆に言えば単発的な取引での対応は非常に困難だ。
しかし中山商店の提示価格は他と比較して安価であり、これまでの取引もそうした部分が大半の理由を占めている。

「そんなこといってもウチだって余裕があるわけじゃないし――」

自分たちの手でスクラップから部品取りをしなければ急ぎの業務に対応出来ない様な現状だ。

「そういうのはフェリックスが考える事でしょ」

一課員が組織の運営に意見するには、知識も経験も、そして何より責任が足りていなさ過ぎる。
理解はしているが納得出来ないという表情――壺に表情はあるのだろうか?――を浮かべるのはアルベルトの人の好さによるもので、それを理解しているリアムはわざとらしく肩を竦めた。
二人の会話を話半分に聞きながら、散葉は手元に戻ってきた絶ち斬り鋏を何度も確かめている。
思い起こされるのは、あの日戦ったファイヴと堺斎核の姿だった。
――強すぎる、というのが装飾されていない素直な感想だ。
あの時の自分は『Belief』によって限界を超えた力を発揮出来たと思っているし、その時の行動も自らの最善だったと確信している。
それでも届かなかった現実は自らの限界を直視するには十分過ぎたし、届かない遥か高みを見せつけられた様な気がして。
ならば同じ様な相手が出てきた時、相対すべきは自分ではないのかもしれない。
足手まといにならない様に、その者を後ろから支える為の技術を磨くべきだと何気なく考えて――少なくとも、ここにいる間はそうすべきだろうか。


散葉の陰った表情を見てリアムとアルベルトの会話も途切れがちになる。
再び強制介入の様な事が起こってしまえば今よりも更に状況が悪化する事は目に見えていて、漠然とした不安はどうしても拭えそうにない。
しかし、ド取に対して個人的な感情を持っているかと言われればそういう訳でもなかった。
直接向き合った課員は別かもしれないが、バックアップという役割を果たす上で特別な――例えば殺意や恨みの様な強烈な感情は切り分けている。
部分的には。

「あ」

ふと気付く。

「ボクらのデスマーチってあいつらのせいじゃん!」

ふつふつと沸いてきた怒りとその原因を理解して、その愚痴をアルベルトへとぶつけ始める。

「いやそんなこと言われても――」

「僕もそこで同じ仕事を――」

「え!?分かりますけど――」

騒がしさに顔を上げれば、目の前の光景に微笑ましいものを感じられた。
この場所の居心地の良さを、しかし相反する居心地の悪さも。
力不足を理由とした足手まといへの恐怖、リハビリにかかる期間への後ろめたさ、明確な役割を持てていない事への焦り。
一方的に寄りかかっているだけなのではないかという自己嫌悪はその主張を強めていく。

「はぁ……」

弱気になっているのは理解しているがここまで深いものだとは思っていなかった。
いっそここではないどこかへ、と考えなかった訳ではない。
しかしそれは今ではない事は確かで。
誰も彼もがやるべきことをするだけならば、自分のその一員だと強く言い聞かせる。

「何かやる事あります?」

「いや、特には」

けれど、出鼻はくじかれやすい。

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対応室は閑散としていた。
普段ならば有事に対応する為に数人は常に待機状態であるはずだが、この状況で人手を遊ばせておくのは如何なものかという事で、室長である狼森冴子を除く全員が屋外に出払っていた。
内勤の手伝いをさせようにも得手不得手というものがあり、その適正を考えて振り分けるよりはまとめて外回りをさせた方が効率が良い。
部屋の奥に用意された机に向かい、山積みにされた書類を脇に置いて手書きの書状をしたためている。
使い慣れた万年筆を用いて達筆に記されるのは暴動で死亡した課員の家族に向けた書状だ。
一定のリズムで書き起こされる文章は手慣れたもの、ではない。
何度も繰り返し書いて半ば規格化した内容、ではない。
一文字一文字にいくつもの思いを込めて、ゆっくりと、丁寧に、綴る。

『貴方の御子息は/ご亭主は/お母さんは、"運悪く"暴動に"巻き込まれ"、お亡くなりになりました』

どの立場で、どの目線で、どの指で、どの口で、これを言っているというのか。
彼らを死地に差し向けたのは、指揮官である自分自身だ。
強烈な後悔は忸怩たる思いと表すには余りあるほどで、腹の内側に抱え込む事でしかどうにもならない感情だ。
環境課という組織であるが故に、真実を告げる事も出来ず、彼らの献身を讃える事すら認められない現状が何より許せなかった。
今日に至るまでに、何件も回ってこの通達を行ってきた。
暴動を境に戻ってこない家族と、突然現れた黒服とネオンイエローの立ち姿は、これから何を聞かされるか容易に想像させる組み合わせだっただろう。
信じられないと受け入れる事を拒む者。
詰め寄って何度も問い質す者。
胸倉を掴み上げて怒りを露にする者。
その全てを受け止めて、ただただ謝罪の言葉を口にするしか出来ない自分。
水をかけられた事もあった。
罵声と共に扉を閉められた事もあった。
家族を返せと泣き崩れた人もいた。
それが少しでも彼らの怒りや悲しみを紛らわせられるのであれば、幾らでも受け止めることが出来た。
だが。

『ご丁寧に、ありがとうございます』

差し出した封筒を受け取って、力無く微笑んで、むしろ自分たちを気にかけてくれた人がいた。
何も言えなかった。
何も出来なかった。
怒りも悲しみも全て背負い込んで、力不足を赦そうとさえしてくれた人がいた。
閉じていく扉の隙間から、涙の伝う頬が見えた。
思い出して、書いていた文字が醜く歪む。
書き損じたそれをシュレッダーに通し、新しい用紙を机に広げて。

「ふぅ……」

冷静であれと息を吐いて、再び万年筆を手に取った。
書きながら、考える。
常から自分は指揮官に向いていないと思っていたが、対応室所属の課員をまとめて外に追い出した事もその理由の一つだ。
もちろん現時点では自分以上の適任がいない事も確かで、その責務を全うすべき事に異論はない。
しかし最も自分に適任なのは前線で刃を振るう事であり、これに関しては環境課随一であるという自負もある。
それを提案するのは、せめて現状の回復と安定を見届けた上で託すべき後任が現れてからだろう。
今直ぐに提案しても管理者側の混乱は組織としての益にはならないし、己の安堵感以外に得るものが無いと分かっている。
だが――

「失礼します」

繰り返しそうになる思考を打ち切ったのは予定外の訪問者だった。

「お疲れ様です、雲類鷲さん」

狼森の手元をちらりと見て、脇に積み上げられた書類を見て、

「書類対応、お疲れ様です」

意図的な話題の提案に気付いていない振りをして狼森はそれに応える。

「屋外での復旧活動や人手不足への対応依頼ばかりです。こういう時、私たちの様な人員は力仕事に振り分けやすくて助かります」

「確かに」

白々しい会話を行いながら、ハクトはふとあの日の戦闘を振り返っていた。
航空義体の撃破は人である自分が達成出来る最大の成果だったことは間違いない。
突入部隊の作戦施工には少なくない寄与をしていたし、自分自身に求められた役割は間違いなく達成出来ただろう。
しかし、と思わずにはいられなかった。
作戦行動としても旧出島プラントに振り分けられた事は最適解であったはずだが、それでも襲撃にあった庁舎を目にした時は激しい後悔の念が沸き上がった。
考えても仕方のないたらればは幾らでも積み上がり、惨劇による被害を少しでも減らせたのではないかと考え込む事が増えている。
眉間に僅かな皴を浮かべたハクトの機微を感じ取った狼森が口を開いた。

「何度も言っていますが、航空義体の撃破を単身で行ったのは偉業ですからね」

正直、空軍時代にそんな技能を持つ個人が敵側にいると想定した事は無いし、知っている限りでは前例がない。

「あれはフォスフォロスさんの協力があったからで……」

「それでも、です。貴方は誇れる仕事をしたんです。それは忘れないでください」

「はい」

背筋を伸ばし、沈みかけていた気持ちを振り払いながら。

「これ、報告書です」

机の端に邪魔にならない様に置いて、ハクトは対応室の出口へと向かう。
その背中を一瞥し、閉まっていく扉を見送った。


庁舎の内外を問わず、復旧は確実に進んでいる。
少しでも以前の様な活気が戻ってくるであろう気配に安堵を覚えると同時に、二度と顔を合わせる事のない課員の顔が思い出され、鼻の奥がツンとした。
しかし、この虚しさや悲しさに押しつぶされたままではあまりにも情けないではないか。
少しでも自分に出来る事があれば、僅かでも誰かの力になれるのであれば、それを探して庁舎の外へと歩いていく足取りに迷いは感じられない。

書状を書き終えて一息を吐いて。
封筒に納めて、午後からの訪問先を確かめながら。
対応室室長として、環境課の管理側の立場として、直近の諸々が落ち着いたら最初に取り組むべきは人員の確保だろうと結論付けていた。
元より環境課の抱える構造上の弱点の一つであり、秩序を守るべき組織に力が無ければ元も子も無いのではないかと思う。
部門の特性上、質を問わない採用は身の内に危険を抱えるのと直結する。
現場対応という観点から見れば前線に送り出せない人員はそもそも論外だ。
ド取案件では内部からの情報漏洩が危機の端緒になった事実もあり、雇用に際して個人の背景洗い出しを含めて、要求すべきレベルは今以上の厳しさになるだろう。
中間管理職の権限を超えている事は分かっているが、威力部門を公のものとして、軍警との協調路線を進めて行くことは出来ないだろうか。

「いえ……」

そう考えている時点で、軍人思想が抜けていないのだろうな、とも思う。
抱える課題は山積みで、今にも崩れそうな書類も山積みで、今日は何時まで残業になるだろうかと他愛のない思考を小休止とした。

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「――というところが環境課に関する報道内容だネ」

環境課管轄ブロックで行われている報道内容は祇園寺の情報操作によって異常かつ自然に目立たないように統制されていた。
ニュースでは企業に連なる被害者の一つとして、雑誌では紙面の片隅にエントランスの写真が写る程度だ。
環境課へのド取班員の襲撃に関する情報は控えめに、暴動による被害を市民の心情に寄せて伝える事で、徐々にではあるが過去の出来事として処理される様になりつつある。

「ブロック外の報道機関は出来る事が限られるからネ。今のところ内容には大したものはないシ、個人的に囃し立てる輩ハ、その上から抑え込んでもらっているからあまり危惧はしていないヨ」

『嘘つき呼ばわり』されそうな記事は、電話一本で対応出来ると言いたいのだろう。

「ブロック内の人口減少だけド、これは長期化しそうだネ。治安の悪化や経済活動の規模縮小を原因にしたものは落ち着いている様に見えるガ、だからといって人が戻ってくる理由にはならないかナ」

外部ブロックへの流出を示す下降グラフは緩やかにだが横一直線に近くなっていて、これが右上がりになるにはまだ時間がかかるだろうという見解で一致している。
並行して課員減少に伴う業務対応範囲の縮小や組織としての運営への影響に対する懸念は、椛重工からの人員派遣で対応する事が可能でもあった。
しかし特定企業から大量の人員が派遣されるというのは何かを勘繰られる理由になりかねず、恐らくは断られるだろうからそれについての進言はしない。

「ともあレ、急務なのは治安の安定化だろうネ」

ブロックとしての被害状況は控え目にいって最悪であり、それに伴う治安の悪化も大きな問題だ。
前者については四次元物理学のインフラ整備を普及させる観点からみると非常に都合の良い状況でもあり、着工にかこつけて労働者を外部ブロックから招集すれば人口減少は一時的に補えるだろう。
その後の定住については、治安がどこまで改善されるかだが望み薄と言ったところだろうか。
祇園寺の主観を交えた報告を静かに聞いていた皇は、椅子の背もたれにゆっくりと体を預けた。

「課題は山積みだが――」

多くの犠牲を払ったものの、結果として環境課とその管轄ブロックはこうして現存している。
自分たちの存在理由である環境維持に必要なピースも失われてはいない。

「問題は――」

無い。
とは、言葉には出来なかった。
机の上には、見えない様に、見える様に、積み上げられたIDカードがある。
血に汚れ、乾いたそれは皮肉にも黒く、ネックストラップのネオンイエローは赤茶けてくすんでいる。
以前ならば、それは何時の事だろうか。
最後に機械的な判断を下したのは、下せたのは、それは何時の事だろうか。

「デスクワークばかりで肩が凝るネ」

「……全くだ」

「デ、皇クンは何が最も重要な課題だと考えているんだイ?」

途切れた言葉と思考を隅に追いやって、取り組むべき内容は一体何があるだろうか。
まずはブロック内治安の回復と市街・インフラの復旧が挙げられる
祇園寺の提案通りに外部ブロックから招集をかけてインフラの急速な復旧対応と人口減少の両方に手を打てるのであれば実行すべきかもしれない。
次に、残った課員の精神的・肉体的なケアも必要だろう。
重傷からの復帰に義体化を選択するのであれば組織として全面的に支援したいとは思うが、先立つものは中々に心細い。
精神的なケアについてはクリーニングを提案されていたが却下した。
傷になっても、重荷になっても、それを捨て去る事は目の前にある如何ともし難い現実からの逃避であり、何より流した血と失われた命に対する冒頭である。
課員遺族への弔問はまもなく終了するが、それはあくまで形式上のものであり、彼らのこれまでと残された家族への責任と後悔は背負い続けなければならない。
そして、環境課の業務遂行そのものに対する最大の課題。
つまりは、

「人員補充――」

祇園寺が言う課題の解決についても圧倒的に不足しているのは人員であり、また長期的に見てもこれが急務である事は間違いない。
軍警や協力組織との協定は継続するとして、まずは自分たちの地盤を固めなければならないだろう。
そうした意図を汲み取って、祇園寺は一つ手を叩く。

「それはいい考えだネ。関係各所に通達しておこうカ?」

「いや……」

環境課の復旧もままならない状態で人員の募集を行ったとしても、それに対応出来るだけのキャパシティが無い。
懸念事項への対応が後手に回る事は分かり切っていて、それは致命的な問題に発展する可能性もある。

「今は内々で業務を進めていくべきだ。もちろん人手があれば早期解決が見込めるだろうが、無いものねだりをしてもしょうがない」

「そうかイ?椛重工の方針としては"全体"の利益が見込まれている限りは協力を惜しまないけれどネ」

付け加えるように、

「私個人としても同じ気持ちだヨ」

「……検討はしておこう」

窓の外に目を向けて。
曇り空に向けて屹立した工事用の足場は、どうにも頼りなく見える。

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