【白日の表裏】
D案件—―ド取による環境課襲撃から暫く経った頃。
破壊された建造物の撤去や修繕など、おおよそインフラ復旧に関する業務の進捗は一通りの落ち着きを見せていた。
課員の出勤スケジュールに【休み】の文字が書かれるようになったことがそれを証明している。
環境課庁舎は毎日開かれているが課員の人数は心なしか少なく、世間一般でいうところの休日である今日は利用者の数もまばらだ。
来訪者をブラインド越しに眺めていた祇園寺ローレルは、応接室の扉をノックする音で振り返る。
「失礼します。お客様をご案内いたしました」
案内係に続いて入室した二人組は、事前に連絡を受けていた人物で間違いがない。
「皇は少し遅れるそうダ。申し訳ないけド、座って待っててくれるかナ?」
予定の時間にはまだ少し余裕がある。
社交辞令を受け取って、背筋を伸ばしたままの二人はソファに腰かけた。
「ありがとうございます」
フルフェイスタイプの義体から聞こえる電子音声は女性的で、随分と背が高い。
隣の男性の身長は平均よりやや低い程度で、袖口から見える手は完全に機械化されている。
数分の沈黙が過ぎ、再び扉をノックする音が響く。
「お待たせして申し訳ない」
皇純香が部屋に入り、その後ろには狼森冴子とゼアヒルド・ドーベルマンが続く。
「環境課課長、皇純香だ」
「対応室室長、狼森冴子です」
「対応室所属、ゼアヒルド・ドーベルマン」
「軍警所属、第七機動部隊隊長の高崎と申します」
「同じく軍警所属、第七機動部隊隊長補佐の乃和と申します」
軍警とは彼らの所属する組織である。
二人が庁舎応接室に足を運び入れたのは初めての事だ。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「前々からそちらとの関係をより良いものにしたいとは思っていたんだガ、中々機会に恵まれなくてネ。丁度良い切っ掛けがあったものだかラ、この場を用意させてもらったヨ」
明るく前向きな言葉は、負った傷の大きさを隠す為の虚勢の様にも見える。
設備や人的被害は勿論、ブロックそのものが受けた被害も甚大だ。
環境課の持つリソースは大幅に削られており、対応可能なキャパシティを超過しているのが現状だ。
目に見える大きな穴を塞いではいるものの、本質的な改善として体制の立て直しと強化が必要と言える。
軍部や軍警に関しては、彼らの内部事情を全て知り得ることは出来ない。
しかし今回の暴動への対処が後手に回っていた事などが問題視された為に、彼らの発言権が低下している事は明らかだ。
現状への不足を補う為に組織同士の関係を強化する動きは必然に近い。
しかし――
「事前にお伺いしていた内容は、環境課員の対サイボーグ戦闘の練度向上に関するご相談ということでしたが」
今日の訪問に際し、環境課から受け取った提案は先の言葉の通りだ。
どうにも祇園寺の言葉には聞いていた内容以上の何かが含まれている様に感じられて、部隊長という肩書には少々荷が重い。
高崎の牽制を否定しつつ肯定する様に皇は頷いた。
「暴動における戦闘記録は共有済みだと思うが、それを元に私たちに不足しているものが何かを指導して欲しい」
求めるものは伝えた通りだと表情は不動。
二人が数日前に閲覧した映像情報は、これまでに環境課から共有された事のあるものとは明らかに情報の深さが異なっていた。
暴動の武力鎮圧の様子は、重サイボーグなどには一手も二手も遅れを取っていたものの、環境課という組織のイメージから想像出来ない程には洗練されていた。
堺斎核と切り結ぶ生身の獣人の映像は俄かに信じ難く、そしてそれは報道などでは一切出てこなかったものだ。
死傷者の数も、使用していた武装についても、これまで開示されなかった情報を鵜吞みにすることは出来なかった。
『環境課はコングロマリットの便利屋程度と考えろ』
しかし彼らを軽口にあしらっていた上層部は、とくに驚いた様子もなくこの情報を共有してきた。
おそらく【実質的な環境課】がどういったものであるのか、彼らは知っていたのだろう。
そして今、環境課はより一歩踏み込んだ関係を我々に求めている。
情報の開示が現場レベルのクリアランスまで下がったという事実が、それを示していた。
互いの現状を踏まえれば納得も出来る。
逡巡とも取れる短い間を空けて、高崎の電子音声が響く。
「まず前提として――想定している対象が異なっている事はご理解頂けると思いますが」
言葉を額面通りに受け取った体の回答は、組織の運用目的が大きく異なっている事を理由としている。
軍警は治安維持を掲げており、多様な訓練を得た人材で構成されている。
想定される状況も少人数の小競り合いに収まらず、暴動やテロの様な中規模以上を制圧可能な人員や装備の用意がある。
対して環境課は市民サービスやインフラ整備なども含めた広い範囲の役割を持ち、戦闘や警備を想定した人員構成は小規模に抑えられている――表向きは。
しかし登用される人員はそれに倣っており、戦闘を前提とした人員が少ない事や、生身の割合が高いのもその為だ。
個人レベルでは「警備」の範疇を超えた戦闘資質を持つ者もいるが人数自体は業務全体の割合に依存しており、その絶対数は多くない。
故に、軍警と環境課で対応出来る範囲が異なるのは当然と言える。
「重サイボーグの鎮圧を視野に入れるのであれば高火力の重火器が推奨されますが……」
ドーベルマンが乃和の言葉に続く。
「その場合、生身の人間が扱えるレベルのものではないはずだ」
要求される火力が高くなればなるほど、口径や重量も大きくなってしまう。
生身で打てば反動で吹き飛ぶような装備品を扱う事は不可能であり、また持ち運ぶことも出来ない。
そもそも機関銃を持って市街地を巡回しようものなら、どういう目で見られるかなど分かり切っていた。
仮にPMSCや軍のような武装化を進めたとして、一般市民が認識している環境課の姿とはかけ離れている上に、今の企業連合体との関係を大きく変えてしまう。
組織としての自由度を確保するためにも軍警で採用されているような重火器は環境課にミスマッチだ。
「武装の拡充は有効です。人員が十分に確保されている状況であれば、ですが」
この認識は環境課と軍警で共通のもので、最初からそのプランの採用は考えられていなかった。
で、あれば。
「サイボーグの人員を重点的に登用するというのは?」
「設備投資がかなり必要になるだろうから少人数であれば欲しイ。出来れば重サイボーグとの戦闘経験があるようナ、即戦力の人材とカネ」
祇園寺は読み取れない顔で、意味ありげな視線を送って見せた。
乃和は自ら提案した一方で、一般雇用が出来るとは最初から思っていない。
軍部や軍警から出向という形が最も自然にまとまるだろう。
そうして環境課に席を用意出来れば、互いの関係を強める要因の一つとなる。
「確約は出来ませんが……私個人としては協力させて頂ければと思います」
この流れは狙い通りでもあった。
環境課は事件が発生する前に、あるいは表沙汰になる前に情報を入手して行動する気配があり、共有された情報にはそうした事例がいくつか紛れ込んでいる。
対応が後手に回らざるを得ない軍警にとって、そのアドバンテージは非常に大きく働く。
その捜査能力を共有出来るのであれば、人員異動によるコネクション構築は互いの利益になるだろう。
「そうかそうカ!有難いネ!」
どちらも一方的な利を得る為に出し抜こうとは思っていないが、無条件で信頼を預ける事も出来ない。
そんな空気感のまま探りあいの様な会話は続く。
「サイボーグを想定した戦闘の練度向上についてですが、軍警にご指導頂く事は可能でしょうか」
「合同訓練という形であればスムーズかと思います」
指導だけを考えれば民間軍事会社をに依頼しても内容に相違は無いが、いくつかの問題が想定出来た。
要求する指導内容と開示出来る環境課の情報が乖離してしまう事で不信感を与える可能性や、情報漏洩によるリスクの増加、コスト負担の増加など、メリットとデメリットを比べると見劣りしてしまう。
その点軍警からの指導はデメリットを抑えた上で、コスト面の相談も可能であると祇園寺は踏んでいた。
環境課と軍警で合同作戦が展開された際の戦闘連携も取りやすくなり、これもまた双方にメリットのある内容だからだ。
「同時に装備品の見直しも必要になると思われます」
高崎から環境課ネットワークへの接続申請が届き、承諾される。
モニターに展開されたのは環境課と軍警それぞれが採用している装備品の一覧だ。
「環境課が現在使用している装備品の傾向から、新たに採用可能な装備品には次のような条件が加えられると考えられます」
赤文字のテキストで追加されたのは【生身で使用可能である事】、【殺傷/非殺傷を任意で制御可能である事】、【対サイボーグに有効である事】の項目だ。
この条件を満たさない装備品がリストから削除され、残されたのは数点のみ。
「ワイヤ式のスタンガンは対象の行動不能を目的とした非殺傷性の武装です。出力を調整することでサイボーグにも十分な効果を発揮します」
「射出後は再充電が必要な使い切りタイプですが、巡回中のトラブルには問題なく対応出来るでしょう」
破壊を目的としない、行動や意識を阻害する装備品。
扱い方やカタログスペックの説明を受けながら、ドーベルマンの意識はある一点に向けられていた。
「これは何か問題が?」
環境課が採用している装備品—―スタンブレード。
その項目は赤く網掛けされている。
「基準装備とするならば、正規の基準を満たした品であることが条件になります。試作品を使用している時点で論外です」
過充電スタンブレードの使用ログを見た軍警の情報処理担当者は顔を青褪めさせたという。
自分たちが危険に晒される可能性のある装備品はまず採用基準を満たさない。
「今使用しているものは、所持時の安全性やセーフティー機能、使用する際の安定性やメンテナンスなど、多くの項目が不十分です」
ですので、と乃和が会話を引き継いだ。
「これと似た機能の装備品を製作している企業があります。以前軍警の備品コンペに参加して高評価だったのですが、量産化の対応が難しいという点で見送られましたが……」
軍警の組織規模で装備品を入れ替える場合、大量に導入する必要がある。
それ以外は全て高評価だっただけに、非常に惜しい企業として記憶に残っていた。
「環境課の武力制圧部門に配備するのであれば数は十分揃えられるかと。もしよろしければご紹介いたします」
軍警の伝手であれば間違いはないだろう。
「お願いしたい」
「分かりました。その様に伝えておきます」
それからはおおよそのスケジュールを話し合い、大筋での合意は取れつつあった。
環境課の求める体制強化や軍警との協力関係の構築に対するアプローチや装備品の見直しに関する情報共有など、改善すべき問題の対策にいくつか目途が立ち始めた。
内容を見れば環境課の有利に働くものが多くある様に思う――不自然さを狼森が感じていた直後、乃和が口を開いた。
「こちらからの要望をいくつか記載した資料をお送りしましたので、後ほどご確認下さい」
淡々と告げられたそれは、環境課という組織の運用そのものに対する干渉に近いものだった。
軍警の基準に合わせた装備品の検査規定や具体的な訓練チャートなどはこの場で作られた資料ではなく、それ以前から用意されていた事は明らかだ。
拒絶出来ない程度には浅く、そして彼らの利益を重視した提案。
しかし祇園寺と皇は落ち着いた様子を崩さないでいる。
まるで最初から織り込み済みであるかの様だ。
「確認後、改めて連絡を送らせてもらう。――有意義な時間だった。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
軽い握手を交わして。
「共に良い環境を作りましょう」
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エントランスを出て車に乗り込んだ二人は、背もたれに体を預けながらシートベルトを固定した。
「隊長、私ちゃんと出来てましたか?」
「もう少し堂々としていても良かったな」
高崎は乃和からの評価に少しだけ肩を落としつつ、自動運転モードに切り替える。
静かに発進して、サイドミラーに映る環境課庁舎が小さくなっていく。
「今回の件、どう思う?」
環境課は補助的な行政機関である――その認識が大きく崩されたと乃和は感じていた。
組織の規模は軍警と比べて小さいが、彼らの影響力はその枠に納まるものではないのだろう。
あるいは、吾妻ブロックの企業連合体と同等の発言権を持っている可能性もないとは限らない。
表向き対処出来ない事案に対して、環境課が行動を起こしているのだとすれば――。
「私はいいと思いますけどね」
諸々を欠いた高崎のぼんやりとした回答に呆れ顔を返す。
断ち切られた思考が再開されることは無かった。
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【白日の表裏】
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