戯曲の書き換え
SNSなどで時々見かける「身を削って書いている」という言葉
私も書くことがありますが私のお腹の余分な身は減りません。
書き足らないのでしょうか?
身を削って書いたものを舞台や映像にするとき書き換えの問題が生じそうです。(本当に削ったらベニスの商人?)それをちょっと考えてみます。
先日「各要素を因果関係の連なりとして捉えられず、独立した事象だと思っている」こういう見解を見つけ考えさせられました。
そこで今まで書いたものを振り返ってみました。
変えていいもの
【別れの曲】
【ミッションインエントランス】
【2021年〇ンダー島の旅】(ワンダーランドの旅)
【SN1572】
変えてほしくないもの
【山の物語】
【タクシーを待ちながら】
【値引き家族】
別れの曲はちゃんと書かれた通りに上演するものと書き換えありとのセットで企画を立てています。だから可能です。
ミッションインエントランスは書き換えというより前半部分をチーム創作で作っていく企画です。
2021年〇ンダー島の旅はかなり粗く書いていて稽古場で作っていくため書き換え可能です。
SN1572は特殊でミニ戯曲の集合体です。世界になじむものであれば一ミニ戯曲ごと書き換えもありえます。
タクシーを待ちながらと値引き家族
言葉にならない言葉というのを念頭に書いています。書かれた言葉にとらわれすぎると見誤ることになります。セリフ一つでも意味があります。書かれていないそれまでの歩みがありそのセリフがあります。表面で捉えて変えてしまうと歴史が変わりかねません。そこを読むと不自然だとしても変えてほしくないです。
俳優に変えられると世界に影響してしまいます。
依頼され報酬をもらい書いたものかどうかも大きいでしょう。その場合依頼してくれた人の注文に応じて書くからです。
すでに書いたものは著作権の問題もあり書き換えは制約されますので書き換えは事前に相談した方がよさそうです。
公開しているミニ戯曲の書き換えは事前相談してもらえたらと思います。
もっとも誰も使いたいと思わないでしょう。
https://note.com/eio_note/n/nc85d40dcaf91
#戯曲 #戯曲の書き換え #イーアイオー