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『ターナー日記』の邦訳⑩第十八章~第十九章


十八章

1993年5月23日。ダラスで過ごす最後の夜だ。もう二週間もここにいて、明日にはワシントンに帰るために出発するつもりでいたが、かわりにデンバーに行けという指令が今日の午後にきた。ここダラスでやったのとほぼおなじ仕事をデンバーでもやることになりそうだ。つまり、教育の仕事。

ダラスで八人のえらばれた活動員たちに破壊工作の技術を即席の教育課程で伝授しおえたばかりである。そう、"即席の"。ここに到着したときはまだ余裕があったが、いまやっと自由時間ができた。朝の八時から夜の八時まで毎日やっていて、食事をしている数分間だけが休憩だった。
ここの人間に俺が知っているほとんどすべてのことを教えた。即席の起爆装置、時限装置、発火装置、そのほかの機械装置をありあわせの材料でどうやって作るかから教え始めた。それから、現在利用できる軍用機器の構造、機能、性能の特性を学んで、いろいろな用途のために改造できるようになった。俺の生徒たちは全員が、学習したそれぞれのタイプの起爆装置と遅延装置の分解と再結合ができるようになった。目隠しをしたままで。
無数にいる仮想の標的を分析して、それらを攻撃するための詳細な計画を立てた。貯水池、パイプライン、給油所、鉄道線路、空港と飛行機、電話局、製油所、送電線、発電所、幹線道路のインターチェンジ、穀物倉庫、倉庫、いろいろな機関と工業設備について検討した。
最終的に、実行する標的をえらびだしてそれを破壊してやった。その標的はダラスの中央電話局であり、昨日片付いた。今日は事後評価をおこなって、 微に入り細にわたって作戦を批評した。
実際のところ、万事がおどろくほどにうまくいった。俺の生徒たちは一人のこらず最終試験をやすやすと突破した。俺は不手際がないように全力を尽くしたが。
とくに電話局の作戦の準備のために丸三日をついやすことになった。
まず、電話局の建物で交換手として働いていたことがある、地元のメンバーの一人から情報を徹底的に聞き出した。彼女は建物の構造を俺たちに説明して、各階で自動交換機が設置されている部屋の大まかな位置をおしえてくれた。彼女の助けによって、階段の吹抜け、従業員用の出入口、警備兵の部屋などの重要なこまかい部分がわかる概略図をつくることができた。
それから自分たちの装備を用意した。今回の任務では、力任せの暴力よりもむしろ目標を限定した正確な攻撃をおこなうと俺は決断した。そもそも、建物をまるごと崩壊させる任務に必要とされるほどの大量の爆発物を俺たちはもっていなかった。そのときに所持していたのは、500フィート分のPETNの導爆線が三リールとダイナマイトが20ポンド超だけだった。
八人の活動員を四つの二人組にわけた。それぞれの組の一人はソードオフした自動装てん式ショットガンを携行しており、もう一人は爆破装置を携行していた。自動交換機がある三つのフロアに、三つの組が一組ずつ割当てられた。導爆線のリール、ガソリンと液体せっけんを混合した自家製のナパームみたいなものを詰めた五ガロンの缶、遅延起爆式の爆薬も一つずつ、それぞれの組にあたえられた。四つ目の組には20ポンドの梱包爆薬と手製のテルミット手榴弾があたえられて、地下にある変圧器の部屋が割当てられた。ダイナマイトが変圧器を粉砕するだろう。テルミットは変圧器油に着火してくれる。
昨日の夜の十時ごろ、電話局から二ブロック先の通りの暗がりに二台の自動車を駐車した。数分ごとに電話会社のサービス・トラックが俺たちの目の前の交差点を通過していた。
俺たちが待っていた状況がやっと出現した。サービス・トラックが交差点の赤信号のせいで停車したが、ほかの車両と歩行者が視界のなかにいなかった。俺たちは横道から発進してトラックの前後を塞ぎ、二人の仲間がトラックのドアを勢いよく開けて、運転手に銃口を突き付けながら降りろと命じた。それから、三台の車両を運転して横道にもどり、装備と人員をすべてサービス・トラックへ移した。
それはほんの数秒の出来事にすぎなかったが、拉致した電話のサービスマンと話すのには三十分をついやした。最小限の催促だけで、彼はたくさんの質問に答えてくれた。俺たちにとってまだまだ不明なところがあった、電話交換機の位置と配置、警備の人員と動き方について。
夜間には武装した警備員がたった一人しかいなくて、緊急事態には五ブロック先の警察の派出所に直通電話で支援をもとめるだけだとわかったのは、俺たちにとってよろこばしい驚きだった。サービスマンが持っていた会社の制服と磁気コード化されたセキュリティカードを拝借した。夜間に従業員用の裏口を解錠するのにセキュリティカードが必要だった。それから彼を針金でしっかりと拘束して、さるぐつわをはめた。そしてトラックで電話局の建物の裏口まで移動した。
俺は電話局の制服を着ていた。サービスマンのご教授にしたがって、仲間をトラックのなかに隠れさせてから裏口に行った。警備員の不意を突いて銃をとりあげてから手招きで仲間に入ってこいと指示を出すまではあっという間だった。四つの組が建物のなかに展開しているあいだに、俺は警備員のマスターキーを使ってそいつを手ごろな守衛用のクローゼットに閉じこめた。
それからの作戦は五分もかからなかった。電話交換機を担当する三つの組は迅速にかつ効率的に作業をおこなった。それぞれの組のショットガンを持ったメンバーが事務室で遭遇した従業員をあつめて目を光らせているあいだに、もう一人が電話交換機で作業にとりかかった。
各階で導爆線をリールから繰出して、二列か三列の分電盤のあいだに通した。そして五ガロン分のナパーム缶の中身を、導爆線があるところもないところも浸るように電話交換機全体にぶちまけた。最後に、時間遅延式の爆薬を導爆線の一端につないだ。
仲間が階段を駆下りてきて一階で俺と合流したときに、耳をつんざく爆発がおこって建物が揺らぎ、上階の窓が吹っ飛んだ。すこしだけ遅れて、四組目も地下から階段を駆上がってきた。
時間を無駄にすることなくトラックまで駆け戻った。駐車場からトラックが出るとすぐに、地下の変圧器の部屋で梱包爆薬が轟音をあげて炸裂した。建物の正面部分の煉瓦がばらばらになって路上に崩れ落ちた。建物の内部がむき出しになったが、そこはすでに燃焼するナパームとスイッチギアからの炎と煙でいっぱいだった。
今日の昼の地元の新聞の記事では、二ダースくらいいた従業員たちはどうにか無事に脱出することができたらしい――俺がクローゼットに閉じこめた警備員を除いて。彼は煙にまかれて亡くなった。それについては罪悪感をおぼえるが、どうしようもなかった。俺たちは急いでいたのだ。
俺たちがやった電話局の交換機の破壊は完璧な仕事だったが、電話会社の発表によると、最重要の電話線が四十八時間以内に稼働を再開して、二週間以内には都市の電話サービスが完全に復旧すると予想されているらしい。
俺たちはその発表におどろかなかった。電話会社があたらしい設備と修理の専門家のチームをつかって、俺たちがあたえた損害からあっというまに立ち直ることはわかっていた。電話交換機への俺たちの攻撃は、ほかの無数の前線への総攻撃と一体化したときにのみ、"システム"にたいしての一撃として本当の意味を成すのだ。
"システム"も当然それがわかっているし、昨日の作戦は訓練のための演習に過ぎなかったと知るすべはないので、最悪の事態に備えはじめた。近隣のどのダウンタウンの交差点にも戦車がいる。軍隊と警察がすべての主要な道路と高速道路に車両の検問所をたくさん設けているので、町中の車両の流れがほぼ止まっている。おかげで俺は今日行くはずだったデンバーに明日出発することになった。

6月8日。キャサリンからの手紙が届いた! 俺のホームの店から送っておいてくれと頼んだ装備品の箱に同封されていた。箱を開封するまで手紙があることを知らなかったので、届けてくれた使いの人間に返信を託すことはできなかった。
キャサリンが報告するところでは、彼女と仲間たちはみんな週に70時間から80時間は店で働いてもっぱら紙幣を印刷しており、またプロパガンダ用のリーフレットも大量に刷っている。リーフレットの注文がはげしくなっているので、ワシントン地区で大掛かりなあたらしい作戦が進行中であることに彼女は勘づいている(なにが進行中なのかを彼女はすぐに知ることになるだろう!)。
俺がまだダラスにいると彼女は信じているので、また現金をダラスに運ぶ命令が来たらいいのにと言っている。そうすれば俺に会える。俺も彼女に会いたいという思いで胸が痛む。ほんの数時間でもいいから!
しかし、すくなくともまだ三週間はワシントン地区にもどるチャンスがきそうにない。このロッキー山脈のエリアでは事態が急速に発展している。"組織"はここではそれほど優勢でない。革命司令部は優先度が高い標的を、まだ四十三もこの地域で指定している――その半分以上は軍事施設だ――指令がきたら即座に攻撃できるように待機しておかなければならない。おそらく七月のはじめにくる。
そのうえ、特注の兵器をあつかった経験がある人間がここにはほとんどいないので、俺が全員を最初から訓練しなおしてやらなければならない――二十六人もの生徒を同時にだ。彼らはこのエリアの標的にたいして必要な焼夷兵器と爆破兵器の準備と使用について責任を負うことになるだろう。ゲリラ戦術に精通した軍人たちがさいわいにもいるので、俺がおしえるのは技術的な分野にとどめて戦術は軍人たちにまかせた。
俺が担当する仕事がすくなくなったにもかかわらず、ダラスにいたときよりも仕事の進みが遅い。職場が拡散しているからだ。二十六人を一度におしえる授業を開こうとするのは賢明でなくなっていて、デンバーではそのうち六人とのみ会う。二十マイル北の大学都市のボルダーでは十一人と会う。そしてここからすぐ南にある農家の母屋で九人と会う。それぞれのグループと会えるのは三日ごとだが、そのあいだに取組むべき宿題をたっぷりと与えている。
これまでロッキー山脈のエリアでは"システム"にたいしてもっぱら非暴力の行動に着手しており、東海岸よりも全体的にすこしだけ雰囲気がゆるい。先週に不穏な出来事があったが、ここの活動もほかの場所とおなじように過酷で危険に満ちたものになっていくことを厳しく思い出させてくれた。
うちのメンバーの一人が建設労働者をやっていたのだが、はたらいていた建設現場からダイナマイトを何本かくすねようとして逮捕された。毎日ランチボックスにダイナマイトを十数本詰めてこっそりと持ち出しつづけていたらしい。
現場の警備員が彼を地元の保安官へ引き渡した。すぐに彼の自宅が捜査されて、隠し持っていた大量のダイナマイトにくわえて銃も何丁かみつかった――そして"組織"の印刷物も。保安官は、彼のキャリアに華を添えてくれるなにかが目の前に転がってきたと判断した。もしも彼がロッキー山脈のエリアの"組織"の存在を嗅ぎつけることに成功すれば、"システム"は彼に感謝状を手渡すだろう。州議会の議席を勝ちとる絶好のチャンスがめぐってきたのだ。もしかしたら州の副知事になれたり、州政府でほかのなにか高い地位に指名されることすらあるかもしれない。
そういうわけで、保安官と彼の副官たちは、ほかの"組織"のメンバーの名前を吐かせるために俺たちの仲間を殴打しはじめた。良心をかなぐり捨てて何度も責め立てたが、仲間は口を割らなかった。そこで彼らは仲間の妻をつれてきて、仲間の面前で彼女へ平手打ちをくわえては足蹴にしはじめた。
最終的に、仲間がやぶれかぶれで副官のホルスターからリボルバーをひったくった。引き金を引くまえにべつの副官によって射殺されてしまった。妻はFBIに引き渡されて、取調べのためにワシントンへ送られた。彼女は重要な情報をなにも提供することができないだろうが、彼女が耐え忍ばなければならない試練をおもうと俺は震えあがる。
しかしながら、保安官の栄光は短命だった。俺たちの仲間が殺されたその晩に保安官はテレビのニュースのインタビューへ出演した。法と秩序と平等の名のもとにふるった暴力を自慢して、彼の手に落ちたほかの"レイシスト"も同様の無慈悲さで遇してやると気取った態度で宣言していた。
テレビに出演してから夜に彼が帰宅すると、彼の妻がリビングで喉を切り裂かれているのを発見した。二日後に彼のパトロールカーが奇襲された。銃弾で穴だらけになった彼の遺体が、炎上したパトロールカーの残骸のなかでみつかった。
俺たちとおなじ人種の女性を殺すのは最悪の行いだが、俺たちは戦争のさなかにいるのであって古いルールは全部スクラップになっている。これはユダヤ人との生死をかけた戦争であり、やつらはいまや自分たちの最終的な勝利が近いと感じており、勝利の暁には悠然と正体をあらわして、やつらの宗教が教えるとおりに敵を"家畜"として扱うのだ。保安官への報復は、ユダヤ人の取巻きをやっている異邦人たちへの警告の役目をすくなくとも果たしただろう。すなわち、自分たちの女子供にたいしてユダヤ人のごとき態度をとるならば、家族の安全が保障されないということだ。(読者への注意:ユダヤ教の教義を網羅している、『Judaism』と呼ばれる書物の一式が今日でもまだ現存している。タルムードとトーラーというそれらの本では実際に非ユダヤ人のことを指して"家畜(cattle)"といっている。とくにぞっとするのはユダヤ人の、非ユダヤ人の女にたいする態度だ。俺たちの人種の若い女を指してやつらは「shiksa」という言葉を用いていた。これはヘブライ語に由来する単語であり、"唾棄すべきもの"、"律法の規定に背く食肉"、"不浄な食肉"を意味している)

6月21日。夜にボルダーから車でもどる途中で警察の検問に止められた。運転免許証(あの、故人であるデヴィッド・S・ブルーム氏の免許証)をチェックしてどこにいくのかを尋ねてから、車をちらりと見ただけだったので問題なく通過できたが、検問のせいで何マイルも渋滞が発生しており、ほかの運転手たちがすっかりいらついていた。このあたりで検問が敷かれたのはこれがはじめてだと教えてくれた人間もいた。
ここ数日間のニュース放送でつかんだ複数の手がかりとこの検問によって、なにか大きなことが進行していると"システム"は知っていると確信できた。彼らがこのあたりのセキュリティを東海岸でやっているように厳しくしないことを願う。そんなことをされたら俺たちの計画が台無しになってしまう。
それはそれとして、ビッグブラザーの愛情たっぷりの管理を受けるのはこのあたりの田舎者にとって幸福なことだろう。彼らの大半は黒人やユダヤ人をみることがほとんどないし、進行中の戦争などないかのように振舞まっている。国内のほかの場所を苦しめている災いから十分に遠く離れているので、旧式の生活ルーチンを維持することができると信じているようにみえる。すぐに切除しないと確実に自分たち全員を破滅させるがん細胞をアメリカから切り離すまでは快楽と富の追及を休止しなければならないかもしれないと仄めかされればかならず腹を立てる。だが、アメリカの愚民たちはいつもそんなものだった。
エヴァンストンのニュースを聞かないのが気がかりだった。先月の最後の週から毎日、エヴァンストンへの襲撃のことを考えていた。ハリソンにまたなにか問題が起こったのか? あるいは、革命司令部が襲撃を延期するように決定したのか、たぶん来月の大攻勢まで?
この前のブリーフィングでそんな延期についての示唆はなかった。もっとありそうな問題はハリソンだろう。くそ、あいつめ! ワシントンからダラスへ出発する直前に、シカゴの迫撃砲チームから提供された射撃場で命中率を計算しなおしたのだが、放射性汚染物質をたった三発ではなく、五発の砲弾に分配しておくべきだと決めた。そうすれば、90%ちかい確率で発電機の建物にたいして一発かそれ以上の弾が命中する。だが、ハリソンがそんなにたくさんの砲弾を処理するのを嫌がったのかもしれない。もしそうだとしたら、どうしてだれかが俺に教えてくれなかったんだ?
来週ここでの仕事がおわったら俺はどうするべきなのかについて指令を受取っていないことも不安になっていた。もしもワシントンに戻れないなら、大攻勢がはじまるまでに帰る目途が立たないのではないかとおそれている。来月はすべてがてんやわんやになろうというこの時に、俺はキャサリンやほかの人たちのもとに帰りたかった。特殊兵器の訓練コースのためにこれ以上どこかに俺が送られることはほぼなかったから、帰ってはいけない理由も見いだせない。

十九章

1993年6月27日。とうとう指令を受取った! 夏の大攻勢のあいだ、俺はカリフォルニアに行く。ワシントンに帰ることができないことにたいして最初に非常に落胆させられたが、今日の午後におそわった話をよく吟味して検討してみるほどに、これからの数週間の活動のじっさいの中心が西海岸になることがよく納得できた。俺が活動の中心に身を置くことになりそうであり、それは少なくともこの教師稼業からの歓迎すべき転身だった。
デンバー地区司令部が二時間まえに、俺と生徒六人を今日のミーティングへ招集した。そこで聞かされた話は、俺と四人がどんなに遅くても水曜日の夜までにはロサンゼルスにいなくてはならないというのがほぼすべてだった。あと二人は、サンフランシスコのすぐ隣にあるサン・マテオが目的地だった。
すぐに俺は猛烈に抗議をした。

「彼らはみんな、このエリアに特有の標的にたいする攻撃のために特別に訓練されています。しかも、彼らはチームとして訓練されました。ここならばはるかにより効果的に働けるのに、いま彼らを分割して一部をカリフォルニアに送ってしまうのは理解できません。彼らを散り散りにしてしまえば、ロッキー山脈エリアでの計画全体が暗礁に乗り上げるでしょう」

ミーティングにいたデンバー地区司令部の幹部二人が俺を説得していわく、彼らの決定はきまぐれに行われたわけでなく、俺の反対が正当なものであることをよく心得ていると。だが、より切迫した事情のほうが優先されなければならないと。最終的に俺が幹部たちに白状させたところでは、割けるだけの活動家をみんな西海岸へと即座に移送しろという緊急指令が革命司令部から届いたそうだ。全米のほかの地区司令部もすべて同様の指令を受取ったらしい。
幹部たちはそれ以上話したがらなかったが、カリフォルニアの所定の場所へと出頭する期限を彼らが強調したところから推すと、来週中にはなにか不穏なことがおこるのではないかと俺はつよく疑った。
午後のうちに一つ達成した。サン・マテオに行くことになっていたアルバート・マソンをほかの男と入れ替えさせた。このエリアでの作戦の成否にとって彼の存在は欠くべからざるものだった。しかし、この譲歩を引き出すだけでも大変な苦労をした。送られるメンバーをえらぶのにどんな基準が用いられたのかを正確に教えるように断固として要求した。俺のケースを除いて、基準は二つあった。歩兵戦闘経験と小銃射撃技術――妨害と爆破の達人よりもむしろ、狙撃手と前衛歩兵が西海岸に求められているようにみえる。
アルバート・マソンは東南アジアで分隊長として三年も軍務に従事していたので、小銃の"達人"と呼ばれるにふさわしい男だ。

(読者への注意: ターナーはいわゆる"ベトナム戦争"のことを言っている。当時は二十年以上もつづいた戦争であり、後年に"組織"が"システム"の武装した軍隊とたくみに渡り合うための下準備として途方もなく重要な役割を果たした)

だが、ここでは俺の最高の教え子でもある。このあたりの兵器庫を襲撃して手に入れるつもりの新しい軍用品について、彼にたっぷりと解説してやった。たとえば、彼はあたらしいM-58レーザー測距機を使いこなして、うちの迫撃砲チームにそれの使い方をおしえることができる、ただ一人の男だと俺は請け負う。また、彼には十分な電子工学の基礎も教えこんだので、この地域の高速道路網を破壊してから破壊されたままにしておく俺たちの計画には必須となる無線操作式の起爆装置を組上げることもできる。
こうしたことをデンバー地区司令部にたいして指摘してやると、それだけで彼らは全員を現状のままにしておくことに同意した。それから俺たちは活動員のリストをしらべて、こっちでの仕事に支障をあたえることなく基準を満たしてカリフォルニアへと送り出せる人間をえらぶ作業に三十分を費やした。
俺の感覚ではこのあたりでの計画はまだうまく進んでおり、ここでの目標を達成するのは今なお重要だと考えられるが、ほんとうに決定的な活動の舞台は西海岸になるだろう。この瀬戸際の移送によってあちらの人的資源をほぼ倍増させているが、すくなくともほかの地域で計画されるたいていの作戦ならばもっと少ない人数でもまわるはずの計画である。
1000マイル以上を車で移動しはじめるまで、たった48時間しかない。停止させられるチェックポイントがいくつあるのか、見当もつかない。約二時間以内には仲間が俺を拾いにきてくれるはずだ。それから、俺の仕事道具たちをもし調べられてもみつからないように車のなかへ詰込むのに四時間はかかるだろう。今のうちに手早く昼寝をしておこうとおもう。

7月1日。 やれやれ! ここでは息をつく暇もない! さっさと忘れてしまいたい小旅行を経て、俺たちは昨日の午前一時ごろに到着した。ほかの仲間は割り当てられた部隊へと散ったが、俺はロサンゼルス北西地区司令部へ一時的にとどまっている。場所は、ロサンゼルスの北西部からちょうど20マイルに位置するカノガパークというところである。
ここでは"組織"が他のどこよりもずっと堅固に根を張っていることが、八つものことなる地区司令部がロサンゼルスのメトロポリタンエリアにある事実から推してわかる。国内の他の大都市ならばだいたい一つあれば足りるものなのだが。非合法部隊の人数が500人から700人におよんでいることを示している。
俺は到着してから睡眠の残りをほぼとりもどしたが、ほかの仲間はまったく眠れていないようだ。運び屋が絶えることなく来ては去っていき、会議が毎時間ひらかれている。夜になってからやっと人をつかまえて、いまの状況についての報告を多少聞くことができた。
国中の600以上もの軍と民間の標的にたいする同時多発的襲撃が7月4日の次の月曜日の朝に予定されているのだが、ツイてないことにここのメンバーの一人が水曜日に警察に捕まった。俺たちが到着するほんの数時間前のことである。ただの偶然の事件だったようだ。彼は通りでいつもの身分証明書のチェックのために制止されたのだが、警官がなにかに疑惑を持った。
彼は"騎士団"の人間でなかったので、捕縛されたときに自害する絶対の義務を背負ってもいなければ、その準備もなかった。拷問されれば彼が知っていることをあらいざらい漏らして、月曜日に大規模な襲撃が予定されていることを"システム"に密告するかもしれない。それがこの二日間のおおいなる懸念だった。そうなれば、俺たちがどの標的を攻撃しようとしているのかまでは当局がつかめなくても、あらゆる場所でセキュリティを強化して俺たちの損耗を耐えがたいほどに上昇させてくるだろう。
革命司令部には二つの選択肢がある。彼が尋問されるまえに眠らせてやるか、攻撃作戦そのものを延期するか。後者の選択はほぼ考えられない。次の月曜日のために、あまりにも多くの準備が慎重にかつ前倒ししてすすめられており、細部まで調整されている。そして延期は何か月にもおよぶかもしれない――すでに月曜日のために教育を受けた、これほどたくさんの人間がそれほど長いあいだにこれほど多くのことを知ったままでいると、途方もないリスクを伴う。
そうしたわけで、前者の選択でいくと昨日決まった。しかし、それでも大きな問題が噴出した。俺たちのもっとも貴重な合法部隊の隊員である、FBIのロサンゼルス事務所にいる特別捜査官の正体を露見させるリスクをおかさなければ、彼を処分することができないのだ。彼は重大な機密扱いの場所に収容されている。もしも俺たちがそこを襲撃すれば、たった半ダースの人間のうちの一人が俺たちに情報を流したと疑うだろう。
"システム"が俺たちの仲間を逮捕するときのお決まりのやり方は、現場で通りいっぺんのおざなりな尋問をおこなうだけである――拘束者に"組織"となんらかのつながりがある疑いがあるか否かを判断するには十分な尋問をおこなう。もしも疑いがあれば、イスラエル人の拷問のスペシャリストによって徹底的になぶりものにさせるためにワシントンへと移送される。つまり、後者の選択に運命をゆだねる余裕は俺たちにない。

この非常事態において奇妙な出来事があったのだが――それは革命司令部が二日間も理解に苦しんで決断を先送りにさせた出来事である――FBIは拘束者に"組織"のメンバーだという疑いがみつかるや否や木曜日の朝にワシントンの本部へと飛行機で送りつけるかわりに、こっちに彼を留めていた。FBIにいる合法部隊員をふくめて、どうしてかを正確に把握している人間はいないらしい。組織的な機能不全が起きているのかもしれないが、あるいは、今回の彼らはこれまでの慣行に逆らって尋問チームをワシントンからこっちに呼び寄せることにしているのかもしれない。

とにかく、革命司令部は殺害を延期して、なにが起こっているのかを確かめるという決定をした。三十六時間以内に、拘束者をワシントン行きの飛行機に乗せたり、彼をこれ以上尋問する動きがなければ、問題は雲散霧消する。"システム"が彼から引きだす一切の情報は俺たちの月曜日の予定を邪魔するのに遅すぎることになるだろう。だが、日曜日の午後より早く移送か尋問がおこなわれる気配があるならば、FBIの秘密拘置所へ電撃的な襲撃をかける用意がある。FBIの地元の事務所にいる内通者をうしなうリスクを冒しても、だ。来たる数か月間に彼からもたらされる情報は俺たちにとってかけがえのないものになるが。
一方の俺自身はいまだにどうしてここにいるのかを知らないし、自分が何をやることになっているのかも知らない。ほかの人間がやることについても同様だ。俺はただ待てとしか言われていなかった。
どうやら俺たちは、1991年9月に経験したような大きな試練に直面しているのだとおもう。"組織"がほんとうに二日以内に"システム"への全面攻撃をはじめるというのは俺にとって信じられない話だ。全国の最前線へと俺たちが送り込める男の総数は、この数か月で急速に新兵が増加しているにもかかわらず、1500人を超えない。ありとあらゆる人員をあつめても――支援部隊、女性メンバー、そして合法部隊も――兵力が5000人を超えるのはぜったいに無理だが、その三分の一ちかくがこのカリフォルニアにいま集結していると俺は見積もっている。現実の話だとおもえない――蚊が象を暗殺しようと計画しているみたいだ。
もちろん、"システム"が月曜日に崩壊するとは期待していない。もしもそうなったら、その状況に対処する方法が俺たちにはない。"組織"はまだ、国家の経営とアメリカ社会の再建を引き継ぐのにあまりにも小さすぎる。いま持っている百倍の組織的基盤がなければ、その仕事に取組みはじめることすらできないだろう。
月曜日に俺たちがやるのは、闘争をあたらしいレベルに引上げて、俺たちにたいする"システム"の最近の戦略を出し抜くことだ。選択の余地はなかった。"組織"が生き残って、課せられた非常に困難な状況のもとで成長を続けるには、勢いを維持しなければならない――とくに心理的な勢いを。
"システム"があらたな均衡を実現して大衆が慣れさせられてしまうと、戦争の拡大を中断させる危機が生じる。現在の新兵の流入を維持するただ一つの方法は、大衆の大部分に心理的な安定を与えないでおくことだ――彼らのすくなくとも半数に、"システム"は俺たちを一掃してしまうのに十分なほど強くないし効率的でもないし、俺たちの勢力は抑えこめるものでなくて、遅かれ早かれ自分たちも戦争の渦中になげこまれるのだと確信させておく。
そうしなければ、役に立たないろくでなしどもが、ただ後ろに座って出来事を眺めるだけという楽な道をえらんでしまうのだ。アメリカ国民はこの想像できるかぎりのおそるべく挑発的な状況下でも、能天気な快楽の追及をつづけるほど恥知らずな人間になれるとすでに証明している――彼らが順応するのに十分なほどにゆっくりと、あらたな挑発が導入されるかぎりは。それが行動しないことで生じる、大いなる危機なのだ。
それはそれとして他にも、秘密警察が着実に圧迫を強めているという事情もある。俺たちが並々ならぬ自衛策を講じても、最終的にやつらは"組織"に浸透して俺たちをずたずたにしてしまうだろう――俺たちがやつらに時間をあたえてしまえば。俺たちが拘束されずにあちこちを移動するのはますます難しくなっている。一年以上前にぶっ壊してやった国内パスポートシステムがもういくばくもないうちにあたらしく準備される。前よりも倍は意地がわるくできている。それが起動できるようになったらどうやって生き延びればいいのか、見当もつかない。
もっとも、この二年間を振り返れば、いままで生き残ってきたことすら奇跡のような話なのだが。あとひと月もつのかと考えたことが数えきれないほどある。
ここまでやってこられたのは俺たちの手柄だとばかりいえない――"システム"の無能さのおかげでもある。やつらはひどい失敗をいくつもしでかして、俺たちを何度も痛めつけることができたのにその試みを継続することができなかった。
ユダヤ人は例外だという印象がある。やつらは俺たちを痛めつける努力において本当に勤勉な労働者だ。"システム"の残りのやつらはこぞって油を売っている。"均等な機会"に感謝しよう――"均等な機会"のおかげでFBIと軍隊にいる、すべての黒んぼたちに――君たちのおかげだ! "システム"は堕落して雑種になっており、ユダヤ人だけが我が家のようにくつろいでいるが、そこに忠誠心を抱いている者はいない。
だが、俺たちが自分たちの特異な状況に適応できたことが理由として大きいだろう。たった二年の間に"組織"はまったく新しい生存方法を学習した。二年前にはほぼ頭になかったが今は生存にとって絶対の生命線となっている仕事を俺たちはたくさんこなしている。
新兵たちをチェックする俺たちの尋問法もその例だ。あれがなければ俺たちがこれほど長く持つ方法はなかった。しかも、俺たちはそれが絶対に必要になるまで開発することはなかった。クラーク博士がいなければ、その尋問法を俺たちがいったいどうやって作上げたのか見当もつかない。
偽造身分証の話もある。当初に俺たちが地下へ潜るときには、身分証をコピーするという、おそろしく漠然としたアイディアしか持ち合わせていなかった。いまの俺たちは専門の部隊をたくさん抱えていて、見破られる恐れがほとんどない偽造身分証を彼らが活動員たちに提供してくれる。彼らは本物のプロフェッショナルだが、少々ぞっとする仕事をいそいで習得しなければならなかった。
それから金――最初はとにかく金が問題だった! 銭勘定が俺たちの全精神に影響をおよぼしていて、考えることを小さくしていた。俺が知るかぎり、地下活動の資金の調達という問題について、それが深刻になるまでまじめに検討した人間はそれまでの"組織"にいなかった。それから俺たちは偽造の仕事を身につけた。
必要不可欠な専門知識をもった人間が"組織"にいたのはもちろん俺たちにとって幸運そのものだったが、印刷した偽造紙幣を流通させる分配ネットワークを築く必要がまだあった。
この数か月だけでも、こうした努力の成果によって俺たち全員に途方もない変化があった。資金の供給体制が整っているので――必要なものはなんでも、昔のように盗んでくるかわりに買うことができる――仕事がおおいにやりやすくなった。より大きな機動性と安全性を俺たちにもたらしてくれた。
ここまでの成功にはある程度の運の要素があった。そして革命司令部が卓越した指揮能力をもって機能してきたことにも疑いがない。すぐれた計画とすぐれた戦略があった――だがそれ以上に、あたらしい試みに挑んであたらしい問題を解決する能力を俺たちは示してきた。柔軟な組織であり続けた。
"組織"の歴史が証明しているのは、革命のために固定した計画を立ててこだわるのは無理なやり方だということだとおもう。未来は常にあまりにも不確定である。所与の状況がどう変化してゆくのか、確実にわかるものは絶対にいない。まったく予想だにしていなかったことが起こり続ける――どんなに几帳面な人間でも予見することができない事件が起こる。ゆえに革命家が成功をおさめるためには、あたらしい状況に適応する準備を常にして、機会をうまく利用しなければならない。
こうした点をみると俺たちは誇らしい業績を上げてきたが、来週については不安を拭いきれない。俺たちはかならず月曜日にろくでなしどもを叩きのめすことになる。計画したことの半分でも上首尾にやりとげれば、巨大なモンキーレンチを投げこんで国の経済機構を麻痺させることができる。一般大衆へ心理的ショックをあたえながら"システム"に総動員の体制を強いることができるだろう。
でもそれからどうするんだ。来月はなにをするのか。そのまた来月は。俺たちは持てるすべてを来週の攻勢に投入しており、きたる数日間のあともその活動のレベルを維持することなど不可能だ。全員が限界まで擦り減っている。
それに俺の直感が告げるところで、いまの"組織"はまだ完全に全力を出していない。月曜日に"システム"を粉砕するために最後のひと絞りまでの努力をしていない。すくなくとも、俺はそう信じたい。もしも全力を投じたら、しくじった場合に縮小が迫られる――そうならざるをえない――心理的な影響は俺たちにとって立ち直れないほどに甚大であり、"システム"にとっては好都合になるだろう。
そうなると、革命司令部は俺が知らないなにかを隠し持っていなければならない。カリフォルニアに大量の仲間が集結しているのがその手がかりだとにらんでいるが、解明することはできない。

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