九州北部いろいろ巡礼旅行2023年夏の記録【中篇】~長崎~
08/26(土)三日目 長崎市
柳川市から高速鉄道で長崎駅に到着した。この日はカプセルホテル『ファーストキャビン長崎』にチェックインして、そのまま休むことにした。
ビジネスクラスキャビンに泊まったが、カプセルホテルとしては最上級だった。
中華街でちゃんぽん
チェックインして一息入れてから、夕食を食べるために近隣の中華街に繰り出した。遅かったのですでに閉まっている店が多かったが、夢の中華街がみられて感動した。いやー、中華街に行くのが夢だったんだ。今回の旅行を計画してからできた夢だが。
二十年前に川崎市に住んでいたときには横浜の中華街に行く知恵がなかったのが悔やまれる。あの頃の自分にはそんなことを考える余裕がなかった。次は横浜旅行を計画してみるか。
昔、札幌でも中華街をつくろうという話がでてワクワクしたけど、なんの音沙汰もなかったな…
いいなあ…中華趣味が満たせる。俺は高校生のときに儒教の信者になると決めた男だ。札幌にも中華街をはよ作れ。
さて、夕食。長崎に来たのだから、ちゃんぽんを食べる。『楊家菜房 翠獅庭』という店に入ってみた(店の写真を撮り忘れた…)。
美味い! 糖質だけの料理じゃないのがいい。野菜も肉も海鮮もたっぷりで、スープがあっさりしている。こういうものを札幌でも食べておくべきだった!
ちゃんぽんだけでは物足りない。もう一品頼んでみることにした。
てきとうに注文したら、これがきた。炭、石灰、籾殻、土のなかで熟成させた、アヒルの玉子らしい。
たしかに触感はゆで玉子だったが、とても臭みがある。辛子をつけて食べると、さらに何とも言えぬ風味になる。一人でこれを頼んで一人でぜんぶ食べる男の気が知れない。
土産物屋の軒先に、見たことのないデザートがあった。なんだ、このアイスのような食べ物は。
夜十時過ぎともなれば、こんなものだ。ホテルに帰って休もう。
08/27(日)四日目 長崎市
本日は長崎県に住んでいる友人に会って、いっしょに行動する。
朝八時に、ホテルの近くのアーケード街のドトールへ入ってモーニングセットを注文した。
崇福寺
合流するまで時間があるので、一人でさきに崇福寺を見物した。ホテルから歩いて行ける。
眼鏡橋へ移動したら、友人から長崎駅に到着すると連絡が来たので、自分も駅に向うことにした。
原爆資料館
駅で合流した地元民の友人をガイドにして、一緒に原爆資料館へ行った。米帝の蛮行をよく学んで後世に語り継がねばならん。
入ってすぐのホールに千羽鶴がたくさん飾られていた。Twitterの千羽鶴論争を思い出してしまっていかん。世界の片隅でだれかが困っているなら、千羽鶴を送り付けてあげよう。
展示は入り口から下の階にある。スロープを降りて1945年にタイムスリップする趣向である。
そういえば、アメリカ人は長崎で被爆した人間にキリスト教徒がいたと知ったときに初めてショックを受けたという話がある。聖書を読むかぎり、キリスト教徒は天然のレイシストだからさもありなん。新約聖書の思想の本質はレイシズムであり、アメリカ人は新約聖書を報じる啓典の民である。
原爆資料館がごく小さな建物から始まったことがわかる。かく大きく育ててきた長崎市民の長年の尽力に敬服せずんばおかず。
起伏が大きい地勢なので広島よりも被害が小さかったそうだが、かく色々な文化遺産とともに、政治的遺産ともいうべき史跡を抱え込んでいる長崎は宿命的に歴史が濃い。
平和公園
資料館を出て、近くの平和公園に移動した。あの夏の日と同じように(かどうかは知らないが)青い空の下で、原爆の被害者の慰霊碑に参拝した。
広島も長崎も、被爆した建築物をそのまま残して記憶のよすがにしたのは英断だった。そこには信仰ともいうべき確信があったはずである。千秋万歳にわたって語り継がれるべき啓示が。
有名な平和祈念像を見に行った。ほかにも諸外国から寄贈された像がたくさんあった。
一本柱鳥居と被爆楠
友人の案内で、一本柱鳥居まで移動した。近隣の山王神社の鳥居が被爆して半分が倒壊した遺構である。かたや浦上天主堂、かたや鳥居。地獄の業火にさらされてなお、あらたな信仰の柱石となっている。
山王神社の境内には被爆クスノキというのもある。
山王神社に参拝した。さすがにご朱印までもらおうとはしなかった。
長崎萌え巫女が占う笑えるおみくじ自販機
友人の案内により、長崎屈指の珍スポットである『長崎萌え巫女が占う笑えるおみくじ自販機』群を見に行った。昔のアキハバラにありそうな、変なおみくじの自販機がたくさんあった。
自宅でネットに常時接続できる近年はネカフェに行かなくなったので、
わたしに出会いはないということだ。
鎮西大社 諏訪神社
街歩きを楽しみながら、立派な諏訪神社にたどり着いた。長崎の総氏神様らしい。
明日また会う約束をして友人と別れた。
ホテルに帰って一休みをする。
長崎ロープウェイ
まだ本日の活動はおわらない。バスで長崎ロープウェイに乗りに行った。
自分は精神障碍者なので、往復1250円の料金が半額になるんだ。バンザイ。
長崎市の夜景は2021年11月19日の「世界夜景サミット in 長崎」において「世界新三大夜景」の一つにえらばれたらしい。
だが、友人の談によると、光が足りないので自主的に夜間の照明を増やすように、役所から市民へ通達がされたらしい。湾を内側に挟んだ地理と、開催国のちょうちん持ちの意義だけで決まったことなのか。
08/28(月)五日目 長崎市
早朝、中華街の端にある広場に来た。
店が閉まりかける深夜しか中華街に行けていなかったので、出かける前に散策した。
が、早朝はどこも店が開いていない。ホテルのすぐ近くなのになかなか時間が合わないものである。
出島和蘭商館跡
出島の前の広場で友人と落ち合った。
出島は明治期に埋立てによって消滅したが、戦後に長崎市によって復元が進められているらしい。施設はみな新しい。長崎版の北海道開拓の村だ。
当時の出島の暮らしについて学ぶことができました。施設があたらしいので、来てがっかりする人もいるらしいが。
新地中華街
出島から中華街を通って移動するときに、あの謎のデザートを買った。なんだかわからないけど美味い!!
長崎孔子廟・中国歴代博物館
やってきました、孔子廟。魂を一夕に九度も飛ばして思ってきた祖廟が目の前にある。瓦が異様にてかてかと橙色に輝いている。
儒教は孔子像を拝むのみならず、神々への祭祀を行っていれば、評価が全くちがうものになっただろう。宗教のみが、真に歴史的に継続する哲学の形であり、実体化して表出された情緒の表れなのだ。人間にとって智の伝承は書物によってのみなされるのではなく、祭祀を通した全精神の継承によってのみ、生きたテーゼとして後の世代に継承されてゆく。
門をくぐると、孔門の高弟たちが朝議のように整列していた。古代ギリシャの遺跡感もある。
そして、人生で初めて対面させてもらった。文宣王の偶像に。三跪九頭叩せずんばおかず。いやー、頭を床にたたきつけると頭が痛くなるとわかりました。
まわりには中国らしい文物がいろいろ展示されていた。
線香をしっかりと上げさせていただきました。
人生でどれだけ哲理が学んで、どれだけ新たな知識に驚異できるか。それだけが問題だとあらためてわきまえたい。
廟の背後にある博物館を観覧した。すばらしい彫刻がたくさんあった。
お部屋の神像第一号として末永く鎮座してもらおう。
偶像崇拝を否定する宗教はだいたい攻撃的だ。偶像を拝んで平和の福徳を授かろう。
大浦天主堂
偶像を崇拝しながら偶像崇拝を否定する謎宗教の聖地を見学した。日本にキリスト教が根を下ろしたのは16世紀だから、マイノリティとしてなかなか根強い。この旅行中はまだ聖書を一読だにしていない状態だったので、キリスト教についての認識がナイーブだった。
オランダ坂(活水学院)
オランダ坂に向かう途中で、かき氷屋にこんなポップが立っていた。通り過ぎてしまったが、なんだろう…気になる。
洋館がたくさんあって異国情緒があふれているというオランダ坂を友人とともに登った。
うむ……ここは…
ただの坂だな。いちおう洋館はあったが。札幌の時計台とならぶガッカリ観光の名所としての名声どおりである。
きっと、石畳があればヨーロッパっぽいという話なんだろう。
友人が登るのをつらそうにしていたので、札幌に招待したときはうっかりテレビ塔を階段で登らせたりしないようにしたい。
自分が歳を取るにつれて、体にガタが来た年寄りがまわりに多くなって悲しい。家族も、職場の人間もみな「腰が痛い」と言っている。俺も明日にはわが身かもしれん。
中華街最後の夜
友人が帰ってから、中華街に皿うどんを食べに行った。ちゃんぽんを一度食べただけで満足する自分ではない。長崎の滞在中になんど中華街に行って中華料理が食べられるかが問題になっていた。
あとで夜食のためにまた中華街に来た(皿うどんは夕食)。初日に入った『翠獅庭』のちゃんぽんがまた食べたくなったが、今度は海鮮丼を頼んだ。
俺が知ってる、刺身が載っている海鮮丼とちがう!が、美味い!
『ほんだらけ 銅座店』
ホテルから中華街に行く道すがらにある本屋で一書を買った。ここは二階で女性向けのアニメグッズも販売していて、いい感じの中古書店だ。なにか買っておきたかった。
明日は長崎県東部の雲仙に行く。温泉と、硫黄が噴き出す公園を歩く地獄めぐり、社寺がある稀有な観光地だ。旅の計画の初期はハウステンボスに行くつもりだったが、こっちに変えた。ただのテーマパークより地獄に行きたい。