嫌われて安心したい

私はかなり情緒不安定で破壊的な人格なんだけど、ベースとしては誰よりも安定したいし安心安全かつ安寧でありたい。

破壊衝動は、たぶん破壊したその先の安心を得たいからなのである。犯罪を犯して刑務所にぶち込まれて、世の中のあらゆる競争や生活をやっていく恐怖から逃げたいのとかと同じ気持ちだと思う。

「人に好かれ続けること」が最終的な安定だと思える人間のことが心底羨ましい。私は人に好かれていると心のグラつきを感じ、不安でたまらなくなる。

小さい頃から、母親に呪いをかけられてきた。
「お前は性格が悪い」
「お前は友達みんなから嫌われている」
「お前の性格が悪いから人から嫌がらせされている」
「お前みたいな性格の悪い人間は将来首を吊ることになる」
全部全部、実際に何度も言い聞かされてきた言葉だ。
なぜ娘にそんなことを言って育てたのかといえば単純明快で、頭がおかしいのを誰にも正されずに生きてきたからだろう。

ある発達障害の男性の母親がYouTubeで、「この子を人から愛される人間にすることを最終的な目標にして育てた」と言っていて、驚いた。そんな人いるんだと思った。もし発達障害に生まれてもそんな果てない愛情を受け正しい育てられ方をしたら、暴力を受け傷だらけのまま外に放り出された健常者より、よっぽど世の中にとって価値のある人間になれるだろう。

無愛想だね。何を考えてるのかわからない。もっと笑ったほうがいいよ。肩の力抜いて。毒舌だね。なんでそんな卑屈なの。ネガティブすぎ。もっと自分に自信を持っていいよ!人と喋る時は目見なよ。ひねくれすぎ(笑)。喋らなきゃいいのに。声小さい。変わってるね。

私が普通に生きてるだけで、謎のアドバイザーが無限に湧いてくる。
私が普通に生きてる状態では絶対に認められないらしい。「あなたはもっと頑張らないといけない」と言われたことがある。頑張っていないからありがたくもアドバイスしていただけているらしい。

私が笑顔だったら、人の目を見て話したら、大きい声を出したら、とにかくすごく信用できる人間ということになるらしい。
理解できない。私の母親は笑って目を見ながら裏切り、大きい声で私の欠点を口にした。私は逃げることさえ許されず、彼女は誰からも裁かれなかった。私にとって人の笑顔やアイコンタクトや会話は「今からお前を傷つけてやる」という誘い水でしかなかった。目を合わせたり笑おうものならまだ奪う余地があると思われてしまうので、母親の顔は同じ家に住んでいた時からもう何年も見ていない。
ぐちゃぐちゃしていてよく思い出せない。

私は一生狩られる側の人間なんだろう。「人間が怖い」と誰かに言った時、「怖くないよ。よくわからない」と言われた。

今日もまた人の心をザワつかせることを言って、ちゃんと嫌われることができた。私は母親から逃げられなかったけど、みんなは私から逃げることができて本当によかった。一刻も早く全員から嫌われたい。嫌われ尽くした後は私の言葉がわからないでいてくれるサバトラの猫と暮らすのだ。

おしまい






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