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俺はお前たちの物語にはならない

MIU404の最終話の悪役のセリフである。
最終話については多くを語るつもりはないが、簡単にシチュエーションを説明すると、悪役が最後に捕まり「お前の本名は?出身地は?」と警察に聞かれて吐くセリフである。

"俺はお前たちの物語にはならない。"

ここでお涙頂戴の話をして綺麗に消費されてたまるかという、警察と視聴者とこのドラマそのものに対する強烈なカウンター表現である。人生が不条理に無茶苦茶にされ、誰の助けも得ることが出来ず悪の道に走り正義サイドに説教された人間の心理を簡潔に表した素晴らしいセリフである。

「あの時」助けてくれなかった奴に、周りと一緒になって笑っていた奴に、今更安全圏から見下ろした奴に、きちんと伝わるようにストーリーを語ってやる義理なんて実はどこにもない。正義ヅラしてこういう警察の尋問みたいなことをしてくる偉そうな人間はどこにでもいるが、実はそれにきちんと答えてやる義務なんてどこにもない。

就活のエントリーシートの、「あなたの挫折経験を教えてください」を思い出した。毒親から逃げました。水商売に手を出しました。鬱になり文字が読めなくなり留年しました。誰も助けてくれませんでした。その全部がなんの意味もなく学びもなかったし、苦しかった記憶と自分の弱さとバカバカしさからまだ立ち直れていません。私ってどうしたらいいですか?って正直に書いたら、同情して内定くれるのか?違うだろ?もっとマイルドな人に理解されやすい、立ち直れた程度の挫折をわかりやすく、点と点を無理やり線にして、就活の志望動機に繋げて消費させろって言えよ。バカにすんな。俺はお前たちの物語にはならないよ。

こういう作品の、正義と悪、悪と正義の絶妙なバランスを、カウンター表現を駆使して伝えようとする姿勢を私は尊敬する。なぜなら悪でいることも正義でいることも、常に揺れ動く私たちの心をどちらかに偏らせている状態は、結局はすごく苦しいからである。苦しみから救われたいという気持ちは誰しも同じだと思うから。的確に言い表されたい。暴論で殴られたい。自分にとっての正義が敗北させられるところを見せつけられたい。米津玄師で言うところの「I love you貶してくれ全部奪って笑ってくれマイハニー」である。

死ぬということはそれ自体が救済である。生きて救済される方法は複雑怪奇だ。その時心から言いたいことを打ち明け、他人に理解されることは一つの手段なのではないかと思う。「俺はお前たちの物語にならない」というのは逃げではなく心から出た言葉である。すごく正直である。自分自身を、誰かを救う表現は、いかに正直で素直でいられるかというところにかかってると思う。

だけど自分の本当の本音を探って、表現することはあまりにも難しく危険な行為である。行きすぎると毒になる。だけどそうすることでしか私たちは救われないのだから、誰にも諦めないで欲しい、諦めないでいきたい。

おしまい

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