自分の機嫌は自分で取る。リスカする。
大学生の時にリスカしてた。
人がいっぱいいる大教室に入る前に勇気を出すためにトイレで軽く切ってから入っていた。
リスカする理由は色々あると思うけど私は勇気を出すためにである。腕を切ると一旦自分のダメさを罰することができ、区切りをつけられた気がした。
人生というものはある段階で頑張らないといけない時がある。勉強や仕事。節目節目で結果を出さないと認めてもらえない。苦手なことであってもやるべき時にやらなければならない。
私はどう足掻いても人間が苦手だ。人間が大勢いればいるほど吐き気がしてくる。スピーチをするとか、目的があればなんとも思わないが、何者でもないそのままの自分が大勢の人間の中に放り込まれた時ものすごく不安を感じる。視線が刺さる。声が響く。大教室はまさにそういう同世代の人間がひしめき合い気配がぐちゃぐちゃに入り混じる空間でとても苦手だった。
教室に入れないことには授業は受けられない。だから意を決して入るしかなかった。やるしかなかった。やらないと単位を落として退学になる。退学になるくらいならリスカした方がイージーだっただけだ。
そこまで深くは切らない。ただこの自分を痛めつける行為をすることで、社会に適合しようと頑張っている自分を認められたし、自分は怠けているわけではなく狂っているところがあるのだということにした。発達障害かもしれない。毒親育ちの後遺症かもしれない。人が当たり前にできていることがリスカしないとできないのだ。それってかわいそうなことだ。可哀想だけど誰かを傷つけず自分に刃物を向けて頑張っているから許して欲しかった。
リスカを2文字で表すなら私は「一旦」である。自分に向いていないことからは逃げたらいい、合うことを探した方がいい、死んだ方がいい、そういう全ての選択肢から「一旦」逃げることができる。逃げることからも逃げることができる。自分のお気持ちという不覚的などうしようもない要素に「一旦」区切りをつけ、希死念慮も殺意も落ち着けて無理やり現実に向き合うことができる。
不登校や転職など環境を変えることは逃げだとされているが、本当の逃げとは、こうして今ある現実の苦しみに向き合わずにその場限りで自分の機嫌を取って誤魔化そうとする行為である。自分の機嫌は自分で取る、の行き着く先は自傷行為だと思う。本当は嫌だとかやりたくないとかちゃんと言えたり、この世の中を変えたいとか思ったりする方が健全な感情で安定した大人の思考である。
私の腕にはリスカ跡は一本もない。そりゃそうだ、その程度に浅くしか傷つけてないから。やる気を出して未来に繋げるためのポジティブリスカだったんだから。未来の自分に幸せを託し、傷跡は残したくなかった。ただ現状特に幸せになんかなってないし、大学なんて別にさっさとやめちまえば良かったなと思う。
リスカしてたことに関しては別に黒歴史でもなんでもない、だってこうして言わない限り別に誰にもバレてないし。無理して大学にしがみついていた方が黒歴史だ。リスカ跡は消えても人の記憶は消せないわけだから、無理して病んでる状態を人前に晒す方がリスクである。リスカしてまでやらなければならないことなんて個人的にはないと思う。それも含めて楽しいならいいけど。疲れてるんならやめれば。
おしまい