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現代高校生の芸術観について

僕は時折、芸術こそが人類の最大の発明だと感じることがある。
ここで僕の言う芸術とは、主に音楽・文学・美術の3つを指すとする。

自分の思想、考え、或いは自分自身。
これらには決まった形がないのではないだろうか。
自分自身の中にははっきりとした姿で描かれていても、それを他の人にそのままの形で伝えることはほぼ不可能に等しいのではないだろうか。

実際、僕たちは一人ひとり自分の世界を持っている。
生きている間に無意識に創り上げているのだと思う。
本を読んで、絵画をみて、音楽を聴いて…
様々な場所から僕たちは常に刺激を受け、その刺激が自分の、自分自身の世界を形成していくのではないかと僕は考える。

少し話を変えよう。
オスカー・ワイルドの有名な言葉に、
「life imitates art (人生は芸術を模倣する)」
というものがある。
僕はn-bunaさんの影響によりオスカーと出会ったのだが、初めてこの言葉を目にしたとき、衝撃と憧れの気持ちで胸が溢れそうになったのを覚えている。

この言葉の解釈は人それぞれあると思う。
僕はこの言葉を自分にピッタリ当てはめて解釈した。
僕が音楽(DTM)を始めるきっかけはn-bunaさんにあった。(これについてはまたいつか詳しく書こうと思う。)
n-bunaさんの描く世界観、作品に僕は恋をした。
そしてそれを模倣するかのようにDTMを始めた。
まだ未熟な高校生であるから、「人生」なんて言葉は軽々しく使えはしないが、「学生生活」や「青春」という言葉を代入してみると、なんとなくオスカーの言葉を理解できる気がする。

このように僕は僕の世界の中で、僕のフィルターを介してオスカーの言葉、もっと言ってしまえば「芸術」というものを投映していたということに気付く。

何が言いたいか。
先程僕が書いたように、人は皆自分の世界を持っている。自分なりの思想があり、自分だけの景色が頭の中に広がっている。
他人に自分の頭の中の風景をそのまま見せることなどほぼ不可能だといったのは、こういうことなのだ。
受け取り手のフィルターを介して、受け取り手の世界観で理解されていくからだ。

そこで芸術はとても大きな力を発揮するのではないか?
文字や言葉、会話だけでは表せない自分の世界を「芸術」を使って表現する。
より感覚的なものに近い表現ができるのではないか。
文化や言語、宗教、時代を超え他人に伝わるのではないか。

さっきも書いたように、完全に同じものを届けられるわけではない。
しかし、感覚に直接的に語りかけるものを芸術は作ることで、文明の域を超えた空間でのコミュニケーションが芸術によって可能になると僕は考える。

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