今朝、鏡を見ながら、自分はいつか若返っていくとでも思っているのではないか、と、そして、そんなことは当たり前にありえなくて、この老いが加速していくこと、終わりが来ることを想った、悲しいよりもただ、終わりの時に、ああ、こういう感じなのか、と感じるのか、と、残りの時間について考え始めた
出世したいか、と聞かれたら、したくはないがお金は欲しいと答える、出世していなくても、給料に満足していればいいのかも知れない、おそらく、たぶん、ただ、給料の額さえ多ければ満足かと言ったら、そうではない、環境や人間関係の充実度はあの時で痛感したので、給料に満足してはいないが、今でいい
何かで読んだことがある「誰かに言われた言葉や指摘に対して、悔しいとかムカつくと感じたら、そこには後ろめたさや自分の中に原因がある」今日言われてムカついているのは、間違ったことは言っていないが、広い視野で考えることができていなかったことへの気づきと直向きさがないことに直面したからだ
そもそも神々の遊びに付き合う必要があるのかと考えてしまうこと自体が間違いなのか、無意味な言動に左右される必要性が見出せない、これを正論と言われたとしたら、正論ではないと返したい、それが権威ある人の発言であったとしても、いや、権威ある人なら尚更、そんな発言に従っていく筋合い自体ない
高齢者という生き物が苦手だ、家族の影響が多大にあるが、それを克服できなかった自分の答えとして、今後避け続けるしかないと思ってきた、のに、だ、上司が認知症でも始まったのではないかという勢いでまとまりのないことを言い出す、生きていれば丸くなるとは誰が言い出したのか、周りは角や棘ばかり
仕事上で外に理解されないことは何ら支障はない、感情的にならず、あくまで真摯に向き合うふりをして向き合うことはないし、真摯に信じていない、信じていないので期待もしない、期待もしないので裏切られた感もない、ただ、身内側は別だ、感情的というか、呆れて相手にできなくなる、いい顔ができない