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1924年(大正13年)創業の製本会社のオンライン(通販)サイト現在、紙はどんどんデジタル化され淘汰されています。しかし、紙でしか表現出来ない、紙だからこそ伝わる事があります。紙製品には出来上がるまで多くの手が掛かっています。だから、紙にはぬくもりがあります。私たちはあえて紙を選び、企画開発及び製造を全て自社工場で行い、一枚ずつページをめくっていくことによって、ぬくもりを感じてもられるような、そんな製品をお届けしたいと思っています。こちらでは弊社で企画開発及び製造したもの、企画及び出版したもの、またあらゆる形で弊社と携わっている製品を販売しています。※スタッフの長期出張でお返事・発送が遅れる場合がございます。予めご了承ください。お急ぎの場合は、備考欄・電話・メールなどでご連絡いただけますと助かります。
南三陸町からの手紙
ひとつひとつの感情が生きている証拠だった。生き残った以上、生き続ける。時には人の力を借りて、這いつくばってでも。 (39歳 男性 土木関係)2011年3月11日――東日本を襲った未曾有の大震災。マグニチュード9.0の巨大地震とその後にやってきた大津波によって、宮城県本吉郡南三陸町は住宅の7割近くが流されるなど壊滅的な被害を受けた。震災直後に、そして復興へと向かう中で、南三陸町に暮らす人たちは何を想い、何を感じたのか。3.11を体験した被災者22人が自ら綴った言葉を収録。また、写真家・野寺治孝氏による、被災地(南三陸町、志津川、歌津、泊、気仙沼)を撮り下ろした写真を掲載。3.11後の復興を考えるうえで欠かせない、被災した人々の「生の声」「ほんとうの気持ち」が込められた一冊です。
¥1,980
2年目の3.11 南三陸町からの手紙
妻も私も南三陸町で生まれ、育ちました。慣れ親しんだ町で暮らしたい気持ちはありますが、高台に土地はないし、子供たちもまだ小さい。私はどこに行けばいいんだろう。どこであれば幸せに近づくんだろう。 (36歳 男性)2011年3月11日――東日本を襲った未曾有の大震災。マグニチュード9.0の巨大地震とその後にやってきた大津波によって、宮城県本吉郡南三陸町は住宅の7割近くが流されるなど壊滅的な被害を受けた。あの日から2年、南三陸町に暮らす人たちは何を想い、何を感じたのか。3.11を通して被災地に生きる22人が自ら綴った言葉、「南三陸町からの手紙」シリーズの第2弾。瓦礫と更地の廃墟になったふるさとの真の復興に向けて、それぞれが思い描く未来とは。2年目の復興を考えるうえで欠かせない、被災した人々の「生の声」「ほんとうの気持ち」が込められた一冊です。
¥1,280
3年目の3.11 南三陸町からの手紙
正直、3年経った今でも海が怖い。子供の頃から大好きだった海があの日から嫌いだ。震災で自分が弱い人間だと気付かされた。4歳と2歳でまだ手がかかる娘達のお陰でかろうじて保てた精神状態。夢だったら良かったのに…。涙が出て仕方なかった。 (30代 女性 理容師)震災から3年、ようやく復興の兆しが見えてきた。将来を冷静に考えられるようになってきた。南三陸町に暮らす人たちは何を想い、何を感じているのか。復興の現状と真の復興、支援を通しての出来た絆、それぞれが思い描く未来、「南三陸町」内部から発信された「生の声」「ほんとうの気持ち」が込められた一冊です。「南三陸町からの手紙」シリーズの第3弾。
¥1,330
4年目の3.11 南三陸町からの手紙
この町の大きな自然が教えてくれたもの、ここで出会った大切な人、思い出の詰まった場所、変わらぬ愛をくれた家族。今までもらったものを“還す”時がきた、そう思います。 (31歳 男性)南三陸って本当にすごい。これからずっと、たくさんの人を笑顔にしてください。僕も、ずっと笑顔をもらいにいきます。 (31歳 男性 会社員)2011年3月11日ー東日本を襲った未曾有の大震災。震災4年目にして、そして復興へと向かう中で、南三陸町に関わる人々は何を想い、何を感じているのか。3.11を通して出来た新たな縁、出会い、復興を考えるうえで欠かせない南三陸町に関わる人々の「生の声」「ほんとうの気持ち」が込められた一冊。「南三陸町からの手紙」シリーズの第4弾。
¥1,660