教員採用の基準その1 研究業績をどう評価する?
教員に欠員が生じて新しい人を入れる場合、「どんな人を入れるか」というのはどんな組織でも大変に重要だと思います。
それぞれの組織によって最重要課題は違うので、研究バリバリ系であればとにかく業績のある人が第一でしょう。私がいる大学は「面倒見がいい少人数制」を謳っているので、研究業績よりはむしろ「人当たりの良さ」とか「協調性」のほうが重要視されます。聖徳太子じゃないけど、「和を以て貴しとなす」ことが出来る人ですが、まあこの話は置いておいて。
研究業績を基準としようにも、どう評価するのかは難しいところです。
①論文数はまあまあ多いが著者人数が多く、その人の名前はその中に埋もれる位置にある。
②論文数はとても多いが全て和文誌である。
③論文数は多くはないがどれも国際誌で第一著者である。
④論文数はものすごく少ないがよく見るとNatureクラスの超絶一流誌の第一著者である。
という4人が応募して来て、「業績で選びましょう」ということになったら、困るでしょうねえ。
それで導入された概念がImpact Factor、インパクトファクター略してIF。それぞれの学術誌の引用数に応じて「世の中に与えるインパクトの大きさ」を数値化しようとしたもの。
日本人はこういうの好きなので、すぐに飛びつきましたね。どのジャーナルに投稿するかを考えるときにまずリストを見て、「0.01でもIFの高い雑誌に出す」みたいな話をよく聞きました。
さらに、テニュアトラック制がいろいろな大学で導入されて、任期中の業績を審査する際のモノサシとしてIFが使われるようになりました。「任期中に発表した学術論文のIF合計が〇以上」みたいな感じ。
私が博士課程のときにこのIFの概念が入ってきたものの、私の当時の指導教員(直接的および間接的な指導教員の方々)は一概に「こんなの、研究者母数でなんとでもなる。こんな短期的な考え方しかできないと、長い時間をかけてコツコツやるような分野が廃れる。」と懐疑的でした。
私の最初の論文は先生の「内容から考えたらA誌がいい」というアドバイスに従って投稿したもののリジェクト、次に「仕方ない、B誌に出したらどうか」と言われて応募して最終的にアクセプトされたのですけれど、あとから調べたらA誌よりB誌の方がずっとずっとIFは高かったのです!!
学術誌がIFで判断されるようになると編集部側もいろいろ作戦を練ってくるので、引用数が上がりやすいReviewを積極的に掲載するようになりました。さらに、誰でもお金を払わずに読めるオープンアクセスジャーナルの方が人目につきやすく、つまりは引用されやすい傾向が出てきて、必ずしもジャーナルのレベルとIFとが一致せず、もう何がなんやら。
そんなこんなで最近は「研究力」というよりは、「稼ぐ力」の方に評価基準が移っているという話を聞くようになりました。科研費、財団などからの外部資金をどれくらい引っ張って来られるか、という話。どこの組織もおカネがないので、切実なのでしょう(世知辛いというべきか)。
外部資金を取れるというのはつまり業績があるから取れるのであって、業績がない人はお金も取れない。結果的に研究業績の力量も反映されるという理屈、らしい。
一方で、業績があってお金もバンバン取ってくる人でも、研究者としては一流かもしれないけど教育者としては…というケースは多々あります。あまり詳しくは書けないですが、ほら、ハラスメントとか、ありますよね。
人間性というのはモノサシでは測れないので基準になりにくいのですが、でもやっぱり、重要ですよね…。
なかなか書ききれないのでこの話の続きはまた明日書くことにしましょう。