主婦から大学教員になった私 その4
私は博士課程を人より長くやったので(4年半かかった)、その間には本当にいろいろなことがありました。
修士からそのまま同じ研究室で博士に進んだ人は、既に2年(学部から始めていれば3年)のキャリアがあるわけです。そういう意味では私はゼロからのスタートだったので、時間がかかったのは当たり前なんですよね。
時間がかかるのは当たり前と思っていても、一緒に入学した同期や次の年に入ってきた後輩が、あっさり3年で学位を取っていくのを横目で見るのは苦しかったです。「お先に失礼、ふふん」とばかりの態度を取られたりして、そのときはツラかったなあ(しみじみ)。
指導教員であった教授はのほほんとした方でしたけど、「研究業界でやっていくつもりがあるなら、しっかりしたデータを出さなくてはダメ」とそこは厳しかったです。振り返ってみると、確かにちゃちゃっとした実験で論文出して促成栽培的に学位を取っていたら、とてもではありませんが私の「研究体力」は付かなかったでしょう。今こうしてこの業界にいられるのはこの時に四苦八苦しながらも、研究の基礎体力をつけたおかげかな。
ちなみに、教授は「実験の方向性」に関するアドバイスはしてくれましたが、実験手法に関しては完全放置でした。周りには若手の先生も何人かいらしたのですが、みんな独立独歩だったせいか、あるいは純粋に面倒だったのか、実験に関する指導はほぼゼロでした。今なら「放置プレイ」とか「ネグレクト」と言われるんでしょうが、この当時は「そんなもんかな」と思っていました。
「○○protocol」とか「Handbook to ○○」的な実験マニュアルも一応世の中には出回っていましたが(つまり全部英語)、辞書を引き引き読み進めても、字面では理解できるものの感覚としては全然わからないこともたくさんありました。結局自分で試行錯誤するしかなかったのです。
自分で考えてやらなくちゃいけない、というのは、イマドキの「タイパ」「コスパ」から考えると実に最悪なんですよ。あれこれトライしてたくさん失敗して、その都度ちょっとずつ微調整して成功に持っていくわけで、めちゃくちゃ時間のロスだしお金もかかります。一方、「何でこうなったんだろう」とか「何でこうしなきゃいけないんだろう」と毎回考えなければならないのは原理の理解とか記憶の定着とか技術の修得には最高なんですよね。この頃に試行錯誤したことって、多分今後の人生でも絶対忘れない気がします。
今はネットでも実験に関するちょっとしたコツとか情報が落ちているし、なんだったら動画まであったりします。「実験マニュアル本」もいろんな会社や出版されていますよね。
また、キット的な試薬もたくさん販売されていて、○○を測るにはAを入れて5分入れてBを入れればわかる、みたいなものもあります。便利なのでどんどん使っていますが、学生から見たらマニュアル通りにやることに疑問の余地はないわけで、どういう原理でどうなっているのかは、もう気にも留めないようです。
「どうして?」
という疑問が出ないって、ちょっと、コワいなと思ったりします。