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主婦から大学教員になった私 その7-1
私は一時期体を壊して研究から離れていたことがあります。つまりは無職だったわけ。メンタルをかなりやられ、回復するのにずいぶん時間がかかりました。あまりにツラかったせいか、無意識に封じ込めていたんですかね、その頃のことってあまり思い出しません。でもずいぶん時間がたった今、他人事のように思い出してみようと思います。
私は博士号を取ってからしばらくの間、出身研究室でポスドクをしていました。勝手知ったる研究室で気心が知れているメンバーですから、気持ちとしては非常に楽でした。一方で、「これはぬるま湯というのでは」という心の中での葛藤もありました。自分を成長させる意味では、やはり外に出た方が良いのではないかと痛切に感じていたのです。
私がやっている研究はそれなりに順調に進んでいたものの、研究というのはやればやっただけ次なる疑問がわくのでキリがありません。キリが良いところまでと思っていてもそんなタイミングなんてこないのですから、これはやはり自分の意志で、どこかで思い切らないといけないのではと考えていました。
一方で、住むところは変えたくないというワガママな気持ちもありました。オットから離れて一人暮らしするのは寂しいので、この家から通える範囲で、私の持っているスキルを必要としてくれるところがあるといいんだけど。
そんな条件にあてはまりそうなポスドクの募集がありました。ちょっと遠いけれども車で通える範囲で、私がそれまでにやっていた研究ともまあまあ合致する。これならいけるかも。
応募して面接したらスンナリ採用され、4月から長距離運転(←主観です)して通い始めたのですが…。
私を雇った上司、つまり研究室のボスと、全くそりが合いませんでした。
というか、私は全く知らなかったのですが、私の前のポスドク、前の前のポスドク、前の前の前のポスドク、みんな任期を全うせずに逃げるように辞めていくという「訳アリ」研究室だったのです。私が採用されたときも「今度の人は大丈夫なのかな」と周りはずいぶん気をもんでいたということを後から聞きました。私は何も知らないまま、まっさらなピカピカな気持ちで、頑張りますっ、と張り切っていたわけ。
続きはまた明日。