見出し画像

「空飛ぶ馬」を読んで(=聴いて)

audiobookの「今月の聴き放題」に入っていたのが北村薫の「空飛ぶ馬」。

私この本大好きで何度も読んでいるのですが、耳からも聴いてみようということでダウンロード。再生時間9時間46分ですって。(いったい何日かけて朗読したんだろう。)

先週今週とで片道2時間の運転を2往復したので、つまりは計8時間。1.2倍速で再生したのでうまく今日中に聴き終えました。文芸作品は「間」も大事なのであんまり再生速度は速くしたくないのですけど、3/31まで、つまり今日までに聴き終えなくちゃいけないのでそこはやむを得ず。

しかし、何度も読んでいるはずなのに、やはり耳から聴くとずいぶん印象が変わります。主人公(大学1年生の女の子)のセリフが字面でなく実際の「声」で聴こえてくるだけで、受ける印象が違うのですね。文字で読んでいたときより、ちょっと大人っぽい雰囲気になります(そこはやはりナレーターの雰囲気が入るのでしょう)。

感心したのは、声色やちょっとしたイントネーションを変え、登場人物がきちんと聴きわけられること。プロってすごい(しみじみ)。

毎回読むたびに登場人物の読書量と知識量、さらには観察眼に圧倒されるのですが、耳から聴いてもそれは変わらず。いやむしろ実際に自分もその場で話を聴いているような気になる分、もっと圧倒されたかも。

この本が出版されたのは1994年なのですが、今の大学生がこれ読んだらどう思うんでしょうね。私の周りの大学生はほとんど本を読まないし、読んでいる文字といったらSNSくらい。表面的な情報はたくさん取り入れていても、そのほとんどにはきちんとした裏打ちがないのです。「大学1年でこれだけの知識量を備えている」ことに対して「負けた」と思うんでしょうか、あるいは「どうせ物語だから」とはなから他人事と思うんでしょうか。

あ、いや、本を読まないんだから、この作品にも出会わないのか(あうっ)。