見出し画像

「昨年25年の修行を終えました」と言われて思い出した25年前のこと(後編)

(Facebookにて2021年2月9日に投稿した内容の転載です;写真は今年11月に数十年ぶりに比叡山を訪れて自分で撮影した横川の写真です)

(前編はこちら)

翌朝早朝には、根本中堂での僧侶達のお勤めに出た。私以外は誰もおらず、ウグイスの鳴き声が山にこだましていて、「来世この瞬間の空気を思い出すのだろうなぁ」となんとなく思った。

午後、一人で山を散策していると急に土砂降りに見舞われて、折り畳み傘一つの軽装備でどうにかして会館まで歩こうとしたが、あっという間に霧で周囲が全く見えなくなってしまった。すぐ左は切り立った崖で、真っ直ぐに空まで伸びた無数の杉。もし足を滑らせたら、私も冗談でなく杉の仲間入りである。こういう時には焦ってもどうしようもない。そこで、まずそこに立ち止まったまま「さて、どうしようか」と考えた。

前がまったく見えない。で、すぐ左は崖。ここで消えても誰もわからないような場面であり、ピンチであることに自分が気づくとよろしくない。ふと足元に視線を落とすと足元から一歩先くらいまでだけはどうにかわかることに気がついた。そこで、先に何があるのか全くわからない山の中を、足元の一歩先の見える細い山道だけを頼りに歩いていくしかない現実に観念し、足元だけを見て考えず、目の前の小さな一歩を無心にひたすらにくり返すということを続けたのだった。永遠に感じられるようなその一歩を繰り返し、ふと視野が広がったかと思うと行き止まったので足元から初めて目を上げると、そこは比叡山の開祖である最澄さんの御廟だった。

夜、お風呂で会った会館の方が、「今、三井さんで桜が満開だから行かれるといいですよ」と教えてくれた。この三井寺が、夢で見た比叡山天台座主だった「円珍」が開祖であるお寺であることを、私はその時点ではまだ知らなかった。

さて、話を戻そう。振り返ってみると、この予期せぬ旅の後、気の合う職場を退職し、先の見えない道を歩き始めた。かといって、そこから、まさか、25年もの長きに渡って、霧がかかった先の見えない「闇が潜む獣道」を歩き続ける修行を行うことになろうとは思いもよらないことだったが、、。

とはいえ、半世紀以上生き抜いてきて改めて思うのは、やはり、人生こそが最も面白い物語であり、自分とは唯一無二の体験であるということだ。そして、どんな時期があったとしても、通った後、時間という距離ができてはじめてその意味が納得できるように仕組まれている。今どんな状態にあったとしても、それは「プロセス」に他ならないのである。

※ここでは25年の修行と言われた視点から思い出したことについて書いていますが、もちろん、違う角度から切り込めば無数のストーリーが存在します。例えば、この道を通ることで、子供時代からの「自分」「人間」「社会発達」など誰も教えてくれなかった謎の多くが解けてもいます。また、時代の転換に誰かがやらなくてはならなかった役割もありました。そういった様々なことの内と外の最大公約数な時間が「25年間」だったのでしょう。これら他の視点についてはまた別の機会に、、☺️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?