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021 「考古学と美術史」を執筆しました

 4月20日に刊行された『考古学研究会70周年記念誌 考古学の輪郭』に「考古学と美術史」を執筆させていただきました。

本書は「考古学と現代社会」「日本と世界の考古学」「考古学と民族学・民俗学・地理学・神話学」「考古学と歴史学・美術史学」「考古学と理学・分析科学」「考古学と環境学・地球科学」「考古学と自然人類学」といった項目を立てて考古学の広がりを可視化する試みが展開されています。私は「考古学と歴史学・美術史学」の中の一つを担当させていただいています。


本項目は美術史の藤原貞朗先生と同様のタイトルが割り振られていることから、藤原先生が美術史の立場からかちっとしたものを執筆されるとして、私は考古学の立場から美術史或いは美術との関わりについて近年の動向を含めて執筆することにしました。編集者の思惑に沿ったものかどうか心許ないのですが、最近考えていたり実践していることを書かせてもらえて個人的にはとても満足しています。


くどくどと書かせていただいているところではありますが、考古学的手法に基づく研究は物質文化を主な対象とすることからモノそのものに対する機能や役割の究明は得意としているところであり、政治や経済のモデルを構築する上では既に多くの成果があります。一方で、モノに対してどのような感情をいただいていたかなど感性に関わる定量化しにくいものについては等閑視されてきた傾向があり、(議論が成熟していないこともあって)意地悪に「あなたの感想でしょ」と一蹴されることが多かったように感じます。確かに実証し難い側面ではあるものの、それも含めてモノとして存在してきた訳なので、その側面を取り上げないのは本来あったモノの価値の半分しか語っていないように思っていたのです。

私個人の研究としては、基本的にモノの機能の究明や編年から生産・流通のモデルについて考えることが多かったのですが、京都市立芸術大学に赴任してから「半分足りない」という思いが強くなってきたのでした。


そういったこともあり、「認知」をキーワードに展開されている近年の研究には大いに賛同しますし、新たな地平が切り開かれていくのだろうと期待しているところです。私の立場としては、モノの余白を作り、必ずしも答えがなくてもよい場所を作るというのは、大学に赴任するまで文化行政に関わっていたこともあり、考古資料をパブリックなものとするためにも多少なりとも意味のあることなのではないかと考え、桃山デザインなどの活動を実践してきました。


 私自身の研究や実践については、まだまだ詰めていくべき点があると思っていますが、さまざまな立場の方と語らいながら深めていくことにしたいと考えています。

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