死ぬ勇気と生きる勇気
「私、昨日の夜、死んでしまおうかと思いました。でも、どうしても、勇気というものが私にはなかったのです。自殺するのは、どのような形にでも、自分を傷つけなければならないですもの。私には、そういう勇気、つまり、自分にひどいことをするのができなかったのです」
以前、読んだ本の中で、自殺についてこのようなことが書かれてあった。
この文章の中に、私はどうしても納得のいかないことがある。結局、自殺は思いとどまったとのことだけど、彼女は自殺をすることは”勇気のいることだ”と言っている。
そうだろうか?と私はとても疑問に思った。私としては、それは逆なのではないか?と思ったからだ。
私たちは、こんな世の中を生きている。それはとてもつらく、悲しく、理不尽なことばかりだ。確かに人生の中には、楽しくてうれしいこともある。でも、それはほとんどの場合、一瞬の出来事にしかすぎない。人生は、苦しみの連続と言っても過言ではないだろう。
こんな人生をそれでも私たちは生き抜いている。それこそが、勇気のいることだと私は思う。だから私は弁護士であろうと、サラリーマンであろうと、土木作業員であろうとホームレスであろうと、今、この時を生きている人たち、すべてが勇気ある人なんだと思う。
この世に生きている人たち、すべてが、それだけで価値のある存在だ。だから、私はこの世の中に生きてることを嘆くより、勇気あるこの人生を誇りに思いたい。
私は人が自殺を考えるとき、もしや勇気は必要ないのではなかろうか?と思うことがある。生き抜く勇気がなくなったから、人は死を考えてしまうのではないのだろうかと。もちろん、それは断言はできない。その考えは、ひどく間違っているのかもしれない。ただ、私がそう思うだけで、その考えを誰かに押し付けようなどとは思わない。
あまりにもテーマが大きすぎて、この想いをどう伝えればいいのかわからない。きっとそれぞれ、異論、反論はあることだろう。自殺に至る想いもいろいろな形がある。実際に、それで大切な人を失くした人からすれば、「何を勝手なことを!」と憤りを感じるのかもしれない。
ただ、私が伝えたいことは、自殺をするのに、勇気がいるのか?いらないのか?ではなくて、”人は勇気があるからこそ今を生き抜いている”というただ、そのことだ。そのほうが、はるかに大きな意味があると思う。
私は死というものについて、よく考えることがある。私は過去に大きな病気をしていまい、死を目前にした経験がある。その時の検査の結果は、”悪性の腫瘍”という最悪なものだった。いわゆるガンというものなのだが、発見がまだ早かったため、こうして私は生きている。
あの時、私ははじめて”自分が死ぬかもしれない”と思った。でも、絶対に死にたくなかった。その時、妻のお腹の中には4ヶ月の小さな命が宿っていたからだ。それでも夜、孤独になると、時折くじけそうになることがあった。それでもあの頃、大きなお腹を抱えて毎日病院に通ってくれて、そして、毎日泣いてくれた彼女に、私は今でも感謝をしている。私に生きる勇気を与えてくれた。
もしも今、少しでも自殺を考えている人がいたら、私は私の経験から、少しだけ言いたいことがある。真夜中に、ひとりでそんなことを考えているなら、ただ夜明けを待ってほしい。それから物事の結論を出しても遅くはないはず。そして、自分が死んだあとの、残された人たちのことを一番に考えてほしい。
自殺はあなたひとりの問題じゃない。その苦しみ悲しみは、あなたがいなくなることで消えることはない。苦しみは残された人たちに必ず引き継がれてゆく。それをあなたは決して望まないはず。そのあなたの命が、必ず誰かに生かされていることに、早く気づいてほしいのだ。
この人生を生きて行く勇気を持ちつづけることは確かに難しい。しかし、誰にでも夜明けが必ず訪れるように、あなただけが苦しんでいるわけじゃない。あなたの人生のいつかの勇気を思い出してほしい。そして、そのときの誰かの笑顔を思い出してほしい。
あなたにはいつだって本当は、たとえそばに誰もいなくても、寄り添う誰かが必ずいるのだから。
最後にこれは独り言みたいな言葉ですが、私の好きな言葉です。
「この世は、まさに地獄だけど、自ら捨てるほど悪くはないよ」
今を生きている自分の勇気に、ただ、感謝していたい。そして、その勇気を与えてくれた大切な人に今度はあなたが、いつかきっと与えられるように。
そのために、あなたは今を生きているのだから。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一