決められたレールに頼らない学びかたと稼ぎ方
へんてこりんなタイトルになってしまいましたが、日本社会で20年、30年、賃金が上がっていないということが話題になる中、生活のために稼ぐという点を考えてみたほうがいいと思いました。
賃金が上がっていないということは、通常のレールに乗っても、生活が成立しない賃金にたどり着かないかもしれないということです。つまり、できるだけ偏差値の高い高校に行き、できるだけ偏差値の良い大学に行きというようなレール、あるいは、普通科ではなくて手に職を付ける方向に行っても、同じことが言えると思います。
どっちに行っても、賃金が低い仕事が待っているとすると、決められたレールに乗っていると、普通科を選ぼうが、工業科を選ぼうが、大学進学を選ぼうが、専門学校を選ぼうが、夢が持てない、家庭が持てない、安心できないとなります。
制度の変化を期待するのは無理だと思います。30年も前に私が文系と理系の分け方はおかしいと思いました。その時に思ったことを今でそのまま言うことができますが、制度的には全く変わっていません。それは、文系、理系の制度をやめて、アメリカスタイルで、大学入学時に専攻を決める必要がないことにしてしまうと、人気のない学部がつぶれてしまう、人気のない分野の先生たちが失職してしまうからです。
個人個人レベルで工夫して対応しないといけません。
大切なのは、自分自身の適正を自分自身で知り、どんなスキルを身に着けると良いのかを判断し、その特定のスキルにおいては、誰にも負けないぐらい、頑張れる、結果を出せるようにすることだと思います。
一つ、私が感じる点は、「分野」というのは、上手に理解されていないということです。
例えば、私の分野はデータ分析です。世間ではデータ分析をするには、数学力がないといけないと勘違いしていると思います。勘違いの理由は、データ分析というと統計学を含みますが、統計学の大学院などに入る際に数学力を求められるからです。
ところが、仕事で使うデータ分析においては数学力は、考えられているほどいりません。なぜかというと、実際にデータで物事を検証する際に、大切なのは、データクリーニングといって、はちゃめちゃなデータを分析可能な状態なで持っていくことです。例えば、50%と言えば、常識で言えば、データとして50とか.5で表されますよね。ところが、カリフォルニア州から集めたデータは50%を0.5と表しているのに、なぜか、イリノイ州のある区では、50と表している、、ということが起こるのです。
そういうのを直すのに、大切なのは工夫と経験です。
大学院の授業で勉強する時の「分野」と、仕事としてするときの「分野」には違いがあるのです。
ところが教育制度としては、まるでデータ分析をするのに、数学ができないといけないかのようなふりをすることになります。
制度としては、色々な学問をする先生がたの生活を保障しないといけないからです。
私が言っているのは、仕事の世界だと、意外と「大切だと信じられていること」は大切なようで大切でないことがあるということです。データ分析で数学が大切ではない、、というより、やっているうちに必要とされる数学が分かってくるという言い方もできます。
私の見た感じでは、教育制度で教えていることは、受験のため、生徒の選別のための学問であり、実際に仕事で使う際には、重要ではないかもということです。
給料が上がらない日本社会で個人ができることは、自分のスキルを独自に伸ばしていくことですが、そのためには、大学のような制度に頼ることは難しいので(上にすでに理由を述べました)、学びのための戦略がいります。
その戦略とは、オンラインコースを活用することだと思います。COURSERAとか、UDEMYとか色々ありますね。これらのコースを自分で選び、自分自身で受けてみて、そして、自分のスキルを身に着けていくスタイルしかないと思います。
日本語だけだと、限界があります。英語ができると、世界の様々なオンラインコースを利用することができます。
最後に、宣伝になりますが、英語をマスターするためには、私のオンラインンコースを見ておいていただきたいです。