私が留学しなかった理由
洋楽が大好きだった高校生の頃、海外の文化に憧れを抱いていました。アメリカの音楽チャートに名を連ねるミュージシャン達の音楽を聴き、音楽雑誌を読み、私の中でアメリカはなんだかキラキラした世界でした。 自分が住んでいる世界とは全く別の世界。洋楽を通じて新しい世界の扉を開いたような気がします。
今でこそ、大学入試に英語のリスニングが取り入れられたり、小学校でも英語が必修化になったりとしていますが、当時はそんな時代ではありませんでした。私が通っていた公立の高校は、昔ながらの典型的な英語の授業で、文法や読解中心の勉強ばかり。リスニングの授業などないですし、ましてや会話のクラスなど当然ありません。 それでも、洋楽好きの意地で英語の勉強だけは頑張っていたので、英語の成績は学年でトップ3に入っていました。でも、学校の勉強を必死でしていたわけではなくて、私の英語学習の教材はもっぱら洋楽。 CDについている歌詞カードを見て勉強し、何度も聞く好きな曲は歌詞を覚えて、出てくる単語を覚える。洋楽を聴くことがリスニングの練習になる。好きこそものの上手なれといったところでしょうか。
でも、本当は英会話のクラスを受けてみたいなぁとも思っていて、当時クラスメイトで英会話スクールに通ってる子が羨ましかった。「英語話せるの?」と尋ねたら「ブロークンだけどね」なんて返事が返ってきて、それも何だか格好良く聞こえて、羨ましいんだけれどちょっと悔しいような複雑な気持ち。私の家はというと、子供を英会話スクールに通わせる程の経済的な余裕はなくて、母親に「英会話を習いたい」などと言い出すことも出来ませんでした。
そんなある日、新聞広告である英語教材を見つけました。アメリカの音楽チャートを紹介したり、海外文化を紹介したり、俳優のインタビューが掲載されたりと、生きた英語を使って勉強する内容でした。毎月カセットテープと英文スクリプト、それに日本語訳や解説冊子が送られてくる。母親に新聞広告を見せて「これやりたい」と言ったら、値段が手ごろだったこともあって「いいよ」という返事。それからは毎月教材が届くのが楽しみで、何度も何度も同じものを繰り返し聞いていました。
大学では英語の勉強をしたいと思い、英語科の短大に進学しました。短大に入ったのは、その大学のプログラムが気に入ったこともありましたが、2年間ならなんとか私立でも学費を出してもらえそうだったから。お金のかかる塾には通わずに、自分で勉強して、入学試験に無事に合格し、奨学金も借りれることになりました。
入学時の私は、英語は大好きだったけれど、英語を話した経験はゼロ。短大の授業が始まると、クラスメイトは帰国子女や留学経験者がほとんどでした。30人近くいる学生の中で海外経験がないのは私を入れて3人位のみ。休憩時間に英語でおしゃべりしている子たちもいました。何となくちょっと場違いな所にいるような気がして、なんでこんなクラスに入っちゃったんだろうと思いました。私は文法は得意だけど話すことがちっとも出来ない。典型的な日本人学習者のパターンです。
いいなぁ。あんな風に英語が話せるの。
いいなぁ、留学したことあるって。
私も留学してたら、あんな風に話せたかな。
そんな風に思っていた、ある日のこと。
授業で先生のこんな言葉が耳に飛び込んできました。
先生のその言葉を聞いて、私はすごく励まされました。そしてその時に決めたのです。「英語を習得するだけなら、日本でも出来る。私は日本で頑張って勉強して、海外留学する人に負けない位の英語力を身に付けよう。」そして、いつか海外で勉強したいと思える何かが見つかったら、自分で働いて貯めたお金で留学すればいい。
人それぞれに置かれた環境は違う。人生には自分で選べるものと、選べないものとがある。変えられるものと変えられないものとがある。与えられた状況の中で、自分に出来ることをすればいい。
「日本で英語を学んで、留学経験者と同じくらいの英語力を身に付ける。」私はそう決意して、それを実行しました。短大での2年間、必死で勉強しました。卒業後は別の大学の英文学科に編入学して、さらに3年間勉強しました。家から通える公立の大学なら良いと親から許可がもらえたのです。入学金や授業料の一部は、自分のアルバイト代から払いました。
卒業してからは英会話講師の仕事に就き、仕事を通じて多くを学び、英語のスキルもさらに上がりました。いつしか、大学や企業研修でも英語を教えるようになりました。もっとスキルを上げたくて、仕事続けながら翻訳学校に通い始め、卒業後は翻訳の仕事も経験しました。その後、紆余曲折を得て、フリーランスの英語講師・学習コンサルタントとして独立しました。あれからずっと英語学習を続け、そして今も学び続けています。留学は結局、一度もしていません。
もちろん、留学したいと思うならすれば良いと思います。間違いなく、色々と学ぶことがあるはずです。沢山のかけがえのない経験が出来るはずです。自分が大学で英語を教える立場になって、学生達が大学のプログラムで半年、一年と留学に行くのを見送り、帰国した学生を授業で指導することもあります。留学費用を大学が支援してくれる制度があったりして、「そんな制度が私の学生時代にあったらなぁ」と、羨ましく思うこともあります。そして、「もし若い頃に海外留学していたら、もっと違う人生になっていたかな」と思うこともあります。
でもその一方で、自分の今の英語力は、留学を選ばなかったから身についたのではないかとも思っています。もし、もっと経済的に恵まれた家庭に生まれ、半年とか1年とか親のお金で留学したとして、一生懸命に勉強しただろうか。日本で勉強しようという決意があったからこそ、最大限の努力をしたのかもしれないとも思うのです。そして、「英語環境にない日本で、どう英語力を伸ばしていけるのか」ということを真剣に考えたことが、指導者としての今の自分を作っているようにも思うのです。
決して留学を否定しているわけではありません。出来るのならすればいいし、そうしたいと思うならばそうすればいいのです。実際、海外留学で得られることも多いだろうと思います。ただ、語学を習得するために留学することが絶対に必要なのかと言うと、そうではないと言いたいのです。留学しなくても英語は学べます。だから、色々な状況や、環境下で、留学という選択が出来なくても、英語が出来るようになりたいと思うなら、諦める必要はないと思うのです。
留学をせずに日本で英語を学習した私が、英会話講師になり、大学の講師になり、翻訳の仕事をし、英語ネイティブの校正者から太鼓判を押してもらえるような英語を書けるようになった。外国人の同僚から、ネイティブレベルと言ってもらえる位に英語が話せるようになった。
洋楽を聴きながら海外に憧れていた高校生の私が、もしも今の自分のことを知ったらきっとびっくりするだろうと思います。「いつか英語を話せるようになれたらいいなぁ」と憧れながらも、本当にそうなれるとは信じられなかったあの頃の自分。でも、確かに言えるのは、「日本で英語を習得する」と決意したあの時に、今の自分につながる道を歩き始めていたのだろうということです。
今でも時々、もし留学していたらどうなっていただろうかと思うことがあります。でも、そうしたら、やっぱりきっと今の自分はいないと思うのです。そう考えると、自分の選んだ道は、少なくとも私にとっては間違っていなかったのだろうと思うのです。
自分の英語は完ぺきだとは思いません。今も英語を学び続けています。英語の先生でありながら、英語学習者でもあります。海外で生まれ育った人に比べればまだまだ語彙力やリスニング力は足りないとも感じます。でも、だから今も英語を学び続けています。そして、留学しなかった私だからこそできることがあり、伝えられることがあると信じています。かつての私と同じように、自分の英語に自信が持てずに、悩んだりもがいたりしながら、「英語ができるようになりたい」「英語が話せるようになりたい」と思っている人たちの応援がしたいと思っています。
そんな私のこれまでの英語学習の道のりや、その過程で学んだこと。生徒さんたちを指導する中で気付いたこと。英語学習者に伝えたいこと。そして、英語にまつわる色んなことを、ここに自由に書いていきたいと思います。もし記事を読んでお役に立てたり、楽しんでもらえたり、共感してもらえたら、是非いいねやコメント、シェア、サポートをしていただければと思います。英語を通じて、英語学習を通じて、誰かとつながり、誰かのお役に立てれば嬉しいです。知識や経験は人と共有してこそ価値がある。そして、共有することでまた私自身も成長し、新しい学びがあり、そしたまた新しい扉を開いていくことになるのだと思います。そんな風に良い循環を作り出していける場を作っていきたいです。
*ワードプレスでブログを始めました。日本で英語を習得したプロセスを書いていますので、興味を持っていただけたらご一読ください。
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