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なぜ勉強は必要か



こんにちは。

なぜ勉強しなくてはいけないのだろうか
これは誰もが一度は思ったことがあり、多くの人が解決できないまま大人になっているのではないだろうか
今回の記事ではこの疑問に答えていきたい
なぜ勉強は必要か
なぜだと思いますか
いや、まず逆説的に考えてみよう
勉強しなかったらどうなるのか
勉強しないとさぐに死んでしまうくらいやばいのか
どうだろうか
それぞれ考えてみてほしい
勉強しなくてもそんなにすぐ大変な事態になるわけではなさそうではないだろうか
例えば今小学校を卒業したとしてこれから中学校以降で学ぶことをなにも勉強しないとどうなるか

なんか生きていけそうではないか

それゃあ学者になりたいとか、お医者さんになりたいとか贅沢なことはいわない
自分はただ普通に働いて普通に結婚して幸せになれればいいのである
どうだろう
なんか生きていけそうじゃない?
そうなんです、勉強はしなくても大丈夫なんです
、、

これで腑に落ちるだろうか

いや、じゃあ何で勉強しなくてもなんとかなりそうなのに義務教育なんてものがあって、中学までは半強制てきにいかされるし、高校もほとんどの人が何も考えずに進学する
さらには高卒で働けばいいのに、その半数の人は大学にまでいってものすごい高い学費を払って4年も人生を遅らせる

なんで多くの人はこんなに無駄で変なことをしてるのだろうか
その疑問をもつのはじぶんだけ?
ためしに親にどうして?って聞いてみた
そりゃあ大卒じゃないと今の時代厳しいし、周りの子もみんな受験してるでしよ

まあ、そんなんだろうけど、自分が求めていた答えじゃない

なんかしっくりこないなー


ここで、ちょっと視点を広げてみよう!

さっきの仮定では自分のみが勉強を放棄した場合を考えた。

それでは、人間全員が勉強を放棄した場合、どうなるだろうか


世界にはどんな影響があるだろうか


どんなふうに変わるだろうか


といっても、ちょっと壮大すぎてどうなるかなんて想像できない。


でも、少なくとも技術の発展は止まる。

だから、毎年iPhone 1Oとか発表しているけどそれがとまる

電気自動車なんかも開発がとまる

技術の発展が止まるだけではあきたりない

そもそも今ある技術を生かすことができなくなる

車を作れなくなる

iPhoneをつくれなくなる

公共の施設ではまず土木関係の施設が崩壊する

水道がとまる

電気がとまる

そもそも電気を発電できなくなる

発電しようとしてとんでもない失敗をして二度と住めない土地をうんでしまうかもしれない


ガスがとまる


次に、インフラがとまる

電車で移動できなくなる

バスがとまる

バスで移動できなくなる


車は、唯一個人で運転できるものだから今ある車を使えば移動できる。


壊れたら、修理してくれる人はまだかろうじている。その人がいなくなったらまずいけど

インターネットの回線が崩壊する

明日の天気も調べることができない


LINEもできなくなる

今の時代、LINEしか交換してない人も多い

その人たちとの連絡手段が途切れる


以上のことから流通がとまる


amazonはそもそも使えなくなるのが先だが、頼めたとしても、まず届かない。

食べ物が供給地から消費地へ流れていかない


食糧不足が深刻な問題になる


いやいや、その前に水不足が深刻である

333の法則から最短3日で水不足に人々はあえぐことになる

3週間で食糧不足であえぐことになる


ここで、人々は気付く。


都市というこんな狭い場所に密集しているじょうけいがいかに異常なものであったのかを


人々は各地へ、水をもとめて地方に離散する


この時点で95%の人しか水源へたどりつけない



水源へ辿り着くとこんどは食糧の確保が死活問題となる

まず人々は農業を始めようとする

すでに今ある田んぼを使い農業をおこなう

幸いなことに米の食料自給率はかなり高いので、今残っている自国民を養えるだけの田んぼは存在する

また、畑なども利用し耕す

この生活を行い、しばらく食いつなぐ


というかそのような生活がつづく


流通、輸送の手段は多くが断たれているので、人々の行動圏内は一気に収縮し、完璧な村社会が成立する


それぞれの土地には生産しやすいものとしにくいものが存在する


よって私たちは偏った食べ物しか食べなくなる

しだいにあきてくる


隣の村はどうだろうか

山を越えた集落はどうだろうか


私たちはやがて村と村との間を行き来することになる

その頃にはまだ文明が発達していた頃の車があるが道路は荒れ果てている

ましてや燃料となるガソリンがない

私たちは歩いて村と村との間を行き来する


こうした農耕民族として私たちは生き続ける




しばらくすると、村と村との交流が活発したことで近隣の村同士の状況が共有され始める

すると、物資、人材の面で優位にたつ村とそうでない村がでてくる


村同士で合併、収束が起こる


村はやがて小さな国となる


国となると、それを統治する王が必要になる
それを支える官も必要になる

これらの統治する側はその他の多くの人民から税として徴収する

所詮私たち農民は政府により、生かさず殺さずの状態で生活させられ続ける


たまには暴動もおこる

そんなのおかしいんじゃないか


でも国の体制自体を覆すような効力は持たない。



勉強の本質


この物語は

完全なるフィクションである

現代社会が完全なる農耕文化へと帰化するありえるはずもない未来である。

これは人類全員が勉強を放棄したという仮定のものに作られたフィクションである


勉強の本質とは、


我々が持てる武器である


人生の話をする


私たちの人生は思っているよりも大変である

辛いことが多い


それは子供だろうが大人だろうが同じである


ストレスでもうどうなってもいいと思うこと多々ある


しかし、人間の存在しはじめたころはもっともっとつらくて過酷な環境であっただろう


現代社会で我々が抱く人間関係におけるストレス以前に命の補償がそもそもされていない

天の気分で災害がおこり、当たり前のように人が死ぬ

隣人が亡くなっているのをとむらう余裕なんてない


明日自分が生きていけるかどうかがわからないのだから


今でも人間以外の生物はそうだろう


動物だって生きるだけで精一杯である


こんな厳しい環境の中でようやくわたしたち人間は明日の命の補償は建てられるくらいの社会を何千年も経て気づきあげた

もちろん苦しいこともある。

でも生きやすくなったことは事実だし、私たち一人一人の手でできることも格段に増えたし、これまで出来なかったことがたくさんできるようになったのも事実である。

私たち個人では環境をひっくり返すには不十分である


圧倒的に力が足りない


だから、人同士でコミュニケーションしてまとまって社会として一緒に立ち向かって行こう

これが原則である

でもまだまだ、力が足りない

人が集まって人手があっても厳しい外部の環境に立ち向かえるほどではない

知恵が足りない

知識が足りない


過去に生きた人々の力も総動員してやっと少しずつ進歩して、2023年人類はここまでたどりついた

iPhone〇〇が発売! という、ニュースで盛り上がる時代までたどり着いた

でも過去の人々をいきかえらせることはできない

じはどうやって過去の人々に助けてもらうか


過去の人々が残した知恵を利用するのである

利用するのはあくまで今生きている私たちである


私たちは生まれたときは無力な猿となにも変わらない

そして何もせずにのほほんと生きていたらサルのままとしてしか生きていけない

私たちはサルのままのほほんと時間を無駄遣いしていたら、環境にすぐ屈してしまう

すぐ立ち向かえなくなる

人類は危機にさらされる


知恵をつける手段として勉強が必要なのである

勉強という大きなくくりには2種類ある

人同士でコミュニケーションして社会を気付きあげていくための勉強、

昔の先人の知恵を使ってより強い人間をつくっていこうという勉強

前者は語学である

後者はそれ以外の学問である


未来は未知である


そんな未知という危機に立ち向かっていく武器!


勉強である。





ありが



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