いわくつきのイベントチケット
そのイベントは非常に人気があり、入場券は瞬く間に底を突いてしまうという。瞬く間とは、文字通り瞬く間であり、開放後、二分以内に2000枚のチケットが消えて行った。
例によって私には運がなく、チケットの代わりに「貴方は補欠リストに載せられました」、というメッセージを頂いた。
それでも、今回はどういう訳か、私はそのイベントに参加できる予感がして止まなかった。私の予感など当たったためしもないが。
ある朝、知人からメッセージが届いた。
「来週の木曜日空いてる?」
たまたまその日は重要なミーティングも無かった。空いていると答えると、
「XXイベントのチケットを頂いたのだけど、都合が悪くなってしまったの。貴方代わりに行けない?」
無論快諾。
初めて予感が命中した瞬間であった。
その知人は、過去四年間、チケットを渇望していたに拘わらず、その入手は叶わず、今回初めて入手を果たした。当然の如く彼女は非常に落胆されていた。
それからというもの、私は、当日体調を崩さぬよう細心の注意を払った。もろもろの疾患はあるが、幸いインフルエンザ等にだけは過去15年間罹患していない。
そして晴れて当日、その人気のあるイベントに参加を果たすことが出来た。
私は、数か所のブースで戴いた環境に優しい布袋、ジンジャーショット、室内コンポストの素等の奇抜なサンプルを戴いて、嬉々として家に帰って来た。
その二日後、私は高熱に倒れた。
果して、この代償は非常に大きかった。久しぶりに帰国した娘に会うことも儘ならなかった。
この一連の出来事を、小説家星新一氏の短編風に表現させて頂いたとしたら、
渇望していたチケットを手放さざるを得なかった知人は、病を逃れることが出来たため「災い転じて福と為す」であり、入手出来るはずでなかったチケットを運命のいたずらで戴いた私は、「禍福は糾あざなえる縄の如し」である。
無論、この論理には強引なところがある。その知人が仮にイベントに参加していたら発病していた、という可能性は100パーセントではない。
と、長々と奇妙なことを綴らせて頂いているのは、未だに高熱があるためではなく、皆様の玉稿を長い間拝読させて頂くことが出来なかった理由と、熱がもう少し下がり次第、少しづつお伺いをさせて頂く所存の連絡。
日本の皆様は美しい桜の花などを披露して下さるので、せめてものご挨拶に、こちらの[桜]も少し披露させて頂くことにしよう。
皆様どうぞお元気で。