世間に出た元教師が「教師は世間知らず」なのか考える。
前置きはやめて結論から。
ずばり「教師は世間知らず」だ。
理由について、詳しくまとめていきたい。
そもそもなぜ「世間知らず」と言われるのか
それは大学を出て一般企業に就職せずに教員になる人が多いからだろう。ただこの理由には疑問を感じていた。
就職する人たちはインターンや下積みを全員がしているわけではないし、営業なら営業、看護師なら看護師と職種を変えずに何十年働く人も大勢いるわけだ。
教師だけが何か別の仕事に就いてからステップアップしなければならないというのはおかしい話だ。世間を知らないと言っても新聞やニュースは確認しているし。
以上のことから一般的な「世間知らず」と言われる理由は当てはまらないと考える。
ここからは自論としての「世間知らず」について述べる。
教師は「時代に追いつけない世間知らず」
一般企業にいると、時代の変化を肌で感じることができるので、自分自身も変化に合わせて変わらなければ生き残れない。
しかし、学校というのは非常に変化がゆっくりとしている。
親世代と子ども世代で、学校生活のリズムや教科・教材に大きな違いはないだろう。それぐらい変化のスピードが遅いのだ。
10年単位で学習指導要領が変わり細かな変更はあるものの、既存の教育システムをひっくり返すような変化が起こるわけではない。
この変化のスピードの違いが教員を鈍らせる。
変化しなくてもいい環境が、変化を嫌がる風土を作っていくのだ。
企業では生産性の向上を目標に、新しいシステムが次々導入されている。ペーパーレス、リモートワーク、オンライン会議、ビシネスチャット…
教育現場は未だに紙文化。連絡手段は電話と口頭だ。正直10年前・20年前と比べて大きく変わったことはないだろう。
ただ、教師が「世間知らず」であることの何が悪いのだろうか。
「そんなん別にええやん」と思う人も多いだろう。
ただ、学校がいつまでもこのままでは、
子どもたちに影響が及んでしまう。
今の学校システムに慣れた子どもが大きくなり社会に出ると、間違いなく戸惑うだろう。
紙とペンで勉強していたのに、社会に出るとPCとスマホ。
漢字を書かなくてもキーボードで変換したらいい。字が汚くても仕事はできる。
9年間の義務教育で勉強したことは何だったのか。
人生の10分の1を消費して、身についた力は実際に社会で役に立たない。
こんな教育でいいのだろうか。
本来の教育とは、子どもたちが10年後に生きる社会の姿、そしてそこで活躍するために必要な力を考え、教えることだ。
今は基礎中の基礎を教えているだけで、そんな知識はGoogleで調べればすぐに分かることだろう。
教師ことが、世間をよく知っていなければならない。そして子どもたちに世間を教えなければならないのだ。そうすれば、今の子どもたちは社会の中で大きな価値を生み出してくれる存在になるはずだ。