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静かなるバンド・リーダーの交代劇 前編

Livin’ on the Fault Line(1977)

ちょっとアプローチを変えたアルバム・レビューをお届けします。第1回はThe Doobie BrothersのLivin’ on the Fault Line(邦題:運命の掟)。

バンドの転換期を決定づけたこの作品を、ちょっとした寓話形式を交えて論じます。バンドと関係ない話で始まりますが、後々話が繋がる様になっています。

なお、全体が長くなってしまったため、前後編の2回に分けお送りします。


1. とあるイタリアン・レストランの決断

ここは都心に店舗を構える某インタリアン・レストラン。その厨房の片隅で店の副シェフは一人悩んでいた。この店を一緒に創業したシェフが突如入院してしまったのだ。思い返せばここ最近の彼は体調が思わしくない様子だった。そこに店の繁忙期が重なったせいで一気に病状が進んでしまったのかも知れない。

彼の苦境に気づかなかった自分を責める思考に翻弄されながらも、この事態をどうにかしないといけない。シェフと二人三脚で回して来たこの店をいったいどうやって維持して行けばいいのだろう?これまで補佐だった彼が一人でシェフの穴を埋めるにはまだ準備ができていなかった。技術の問題ではない。だが調理場でメインを担う立場となれば、今までとは求められるものが違う。考えれば考えるほど自分に対してイエスと言えなくなっていた。

だが副シェフにはこの事態を打開する心当たりが一つあった。シェフの不在を少しでも補うべく、先日雇ったばかりの新人スタッフだ。

彼に注目したきっかけは、彼の作るまかない料理だった。何か光るものを感じて試しに色々と作らせて見た。一見するとそれらの料理からは片鱗しか見えてこないが、彼のポテンシャルは相当なものではないか?もしかするとウチより格付けが上の店でもシェフが務まるかも知れない。そう副シェフの直感が告げていた。

やがて彼の作るまかない料理を口にした他のスタッフからも次々と驚きの声が上がった。これほどの逸材が今までどこに居たのだろう?中途採用でうちの店に来たなんて信じられない!

もし、彼を中心にして店の体制を立て直したら?

そんな突然の閃きも副シェフにはむしろ当然の事の様に思われた。彼の料理は素晴らしいが入院してしまったシェフとは路線が違う。だかその事を問題にしない新しいテイストがある。いま流行りの兆しを見せている最新のスタイルだ。

やはりそのアイデアはあまりに突飛すぎた。思いついた当人ですらあらためて自分の考えを形にしなおす必要があったほどだった。
彼をメインシェフに抜擢する。まず普通ならあり得ない大抜擢だろう。だが、彼の手腕を頼りに店のメニューを大幅に見直してみたらどうなる?もしかするとメイン・シェフの不在を埋めるだけではなく、この店も新たな攻勢に出られるんじゃないか?

起死回生のアイデアに気持ちが高揚しかけたところで、やはりと言うべきか、一つの不安要素が頭をよぎった。それは採用面接で決め手になった彼の謙虚な人柄だ。

「自分などシェフの代役には畏れ多い。」
そう言うかも知れない。多分間違いない。

だが、そこは私が全面的にバックアップしよう。だから心配はいらない。そう彼にも言って説得しようじゃないか!店のスタイルは様変わりするかも知れないが、これこそ「災い転じて福となす」だ。上手く行けば一気に時代の趨勢すうせいに乗れるだろう。

そんな思考の波が次から次へと彼に押し寄せ、やがてそれが引いたとき、副シェフの心にはさっきまでの迷いが綺麗になくなっていた。

すでに彼の心は次の課題をどうクリアするか?に向けられていた。この人事を進めるにあたって、まずは店のスポンサーをどう説得しようか?と。

Original Story

2. バンド存続を賭けたレシピとは

名実ともにThe Doobie Brothersの顔であったトム・ジョンストン。その彼が突然の病に倒れツアーを降板してしまった。窮地に陥ったバンドだったが、それを救ったのは当初サポートで参加した新メンバーのマイク・マクドナルド。

ラジオから流れて来ればすぐさま耳を捉える圧倒的な声の持ち主であり、作曲家としても優れた逸材だった。

そんな彼のボーカルを看板にしてバンドはスタイルを大胆に変えてしまった。

レストランに例えるなら、シェフの交代で売り物だった料理がポークカツレツからローストビーフに変わったようなもの。
じゃあ合わせて他の料理のラインナップも見直しましょうか?副シェフ(パトリック・シモンズ)は新メニュー開拓に意欲的だし、中途採用のスタッフ(ジェフ・バクスター)は元々そちら方面で修行した凄腕だ。
実は前任シェフの路線に行き詰まりを感じていた古参スタッフ(タイラン・ポーター)も乗り気だった。当初シェフの交代に難色を示したオーナー(テッド・テンプルマン)の同意も取り付けた。

元からあった音楽要素の配合を変え、ノーザン・ソウル寄りのスマートさを。前リーダーが担ったブルース要素の代わりに新リーダーが得意とするゴスペル、R&Bスタイルを前面に。

サウンドの鍵はマイクの弾く鍵盤のテンション・ノートを効かせたハーモニーだ。ならば荒々しいギター・サウンドの代わりに鍵盤と響き合うR&B、ジャズ的なギター・プレイを加えよう。

こうしたサウンドの変化はこの時期アメリカで台頭しつつあった音楽の潮流、当時の呼び方に倣えばクロスオーバーへの意識的な接近だった。後にはAORと呼ばれる様になるジャンル、台頭著しいBoz Scaggs, Steely Danなどと近似する個性への転身だった。


3. 時代の潮流に乗って

新路線の第一弾となるアルバム Takin' It To the Streets は、従来のファンを戸惑わせながらもミリオン達成の成果を上げた。マイクの手になるタイトル曲も全米13位を記録するシングル・ヒットとなり、彼は名実共にバンドの救世主となった。

Takin' It To the Streets(1976)

こうして急場を凌ぐ以上の成功を収めたバンドだったが、続くアルバムでマイクを中心にした新路線の継続か、トムが復帰して従来のロックン・ロール路線に戻るのか、が注目された。

だが、その決着は意外な形で着く。続く新作のセッションに参加したトム・ジョンストンだったが、結局は自作曲を取り下げて脱退を決意したのだった。

前編はここまでになります。肝心のLivin’ on the Fault Lineまで話が進んでいませんが、後編もそう間を置かずに公開しますので、どうぞお楽しみに!

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