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ボン・ジョヴィとGFRを繋ぐミッシング・リンク STARZ
1976年にデビューしてアルバム4枚を残した、ニューヨーク出身のスターズというハード・ロック・バンドをご存知だろうか。
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当時、全米Top40に入るシングル・ヒットも出したが、本格的なブレイクには至らないまま解散。だが、80年代にビッグになったボン・ジョヴィ、モトリー・クルーといった後続のメタル・バンドに先達としてリスペクトされたハード・ロックとパワー・ポップを繋ぐ音楽性は、時代を先取りしていた。
デビュー当時から完成された音楽性
バンドは長い下積みを経て、キッスをマネージメントしていたビル・オーコインのロック・スティディ・プロダクションと契約。エアロスミスをスターに押し上げたジャック・ダグラスのプロデュースによる1stアルバムを、大手キャピトル・レコードから1976年に発表。
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当時ブレイクしていたキッスをロール・モデルにした事が窺える曲調とサウンド。この曲に関してはハンブル・パイの影響も見え隠れする。
前述の2バンドが、デビュー当時は未完成ながらもダイアモンドの原石の様な可能性を見せていたのと対照的に、スターズはこの時点ですでに完成されていた感がある。それは、前身バンドから長い下積みを経てデビューした事と関係があるのかも知れない。
なお、デビュー時のラインナップは以下の通り。
Michael Lee Smith マイケル・リー・スミス/ヴォーカル
Richie Ranno リッチー・ラノー/ギター
Brenden Harkin ブレンドン・ハーキン/ギター
Peter Sweval ピーター・スウェヴォル/ベース・ギター
Joe X. Dube ジョー・メ・デューヴ/ドラムス
全米No.1ヒットを持つ前身バンド
スターズの前身は、1972年にBrandy (You're a Fine Girl)の全米No.1ヒットを出したルッキング・グラスと言うバンドだ。
このバンドがメンバー交代を繰り返す内に、スターズに移行していくのだが、そう言われてもにわかに信じがたいソフト・ロック寄りの音楽性だ。ちなみにリズム隊の2人が、後のスターズと同じメンバーになる。
なお、ヒット曲のポップなサウンドが結果的にバンドの音楽を限定してしまったが、アルバムには後にスターズでデモ録音された曲も含まれ、当時からロックンロール寄りの方向性はあった様だ。
2ndからのスマッシュ・ヒット
翌1977年、再びジャック・ダグラスのプロデュースで2ndアルバムViolation(邦題:灼熱の砂漠)を発表。1stよりエッジを抑えた作風で、初回プレスはグランド・ファンクのアメリカン・バンドを思わせる黄色いカラー・ヴァイナルだった。
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ここからのシングル、Cherry Babyが当時、全米Top40に入るスマッシュ・ヒットを記録する。アルバムで最もパワー・ポップ寄りのこの曲のヒットが、結果的にバンドを迷走させてしまう事になる。
なお、このアルバムの歌詞は1stよりも不穏でダークな内容だが、それには理由があった。なんと、ロックンロールが禁止された未来社会のディストピアを描いたコンセプト・アルバムだったそうだ。
Q: 当時のバンドにとって、これもまた比較的新しいアイデアだったと思いますが、ある種の精神矯正施設から解放される少年を描いたものだったのですね?
A: (テーマは)未来社会と、ロックンロールの未来についてだったんだ。未来ではロックンロールは禁止されていた。ある子供が古着屋に入り、埃をかぶったWalk This Wayの古い45インチを見つけ、ロックは再び動き出す。しかし、体制側は彼をニューヨーク州バッファローの施設に入れ、矯正させることにした。(リッチー・ラノ)
3rdでの方向転換
1978年の初頭に発表された3rdアルバムAttention Shoppers!(黒い稲妻)で、スターズは音楽性を変えてしまう。
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バンドのセルフ・プロデュースによる本作は、唄ものにシフトした作風となった。半数を占めるロック寄りの曲もパワー・ポップ的で、その唐突な変化がファンを混乱させ、反感を買ってしまう結果となった。
そもそもセルフ・プロデュースに踏みきった経緯も、エアロスミスとの作業に忙殺されるジャック・ダグラスを待ちたかったバンド側の意向に対し、Cherry Babyのスマッシュのフォローを望むレコード会社とマネージメントが、同意しなかったためと伝えられる。
またパワー・ポップ的なヒットを得た事で、バンド内で方向性を巡る対立もあった。本作でのポップス寄りの音楽性はある意味ルッキング・グラス時代への回帰でもあり、必ずしも不自然というわけではなかったのだが、それがファンを遠ざけてしまう結果となったのは皮肉だ。
もし、ここでバンドが望んだジャック・ダグラスのプロデュースが実現していれば、エッジ感を損なわず、新しい方向性を打ち出せていたかも知れない。そんな忸怩たる思いは、後のメンバーの発言から感じられる。
どちらかというと、俺たちはひどいマネージメント、ひどいレコード会社の犠牲者だった。(リッチー・ラノ)
このアルバムが不発だった事が原因で、ソフト寄りの方向性を主張したルッキング・グラス時代からのメンバーを含む2名が、脱退してしまう。
最終作となった4th
メンバー・チェンジを経て同じ1978年に発表された4thアルバム、Coliseum Rockでバンドは最初の2枚の音楽性に回帰するが、起死回生はならなかった。
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楽曲、演奏とも悪くない。タイトル曲に顕著なブリティッシュ・ハード・ロックへのオマージュなど、より硬派な方向性も感じられる。1stから見え隠れしていたポップス的な要素も健在ながら、でも何かが足りない印象が拭えない。つくづく、バンドとは難しいものだと思わされる。
音楽性と時代の相剋
デビュー当時、マーケティング的な発想で狙ったキッス的な音楽性と、エアロスミスのアティテュードのいいとこ取り的な方向性は、マネジメント、レコード会社の思惑どおりの結果とならなかった。さらに、2ndでスマッシュ・ヒットを出したものの、それをバンドの個性に繋げられないまま失速してしまった嫌いはある。
当時は不評だった3rdの方向転換だが、音楽のクオリティが劣ってたわけではなかった。ただ、現在そう評価できるのは、ボン・ジョヴィ、モトリー・クルーといった後進の活躍でアップ・デートされた耳で聴いているからだ。この頃はポップスの曲も書けるハード・ロック・バンド、という概念はリスナーに馴染みがなかった事を忘れてはいけない。
そして、それは当事者であるメンバーも同じだった様だ。
Q: スタイルやアプローチに関して近いと感じるバンドはいますか?また、あなた方の「後継者」と言える人はいますか?
A: エアロスミスがそうだったかな。80年代半ばから後半にかけてのバンド(ポイズン、モトリー・クルー、ボン・ジョヴィ、ウォレント)は、僕らに強い影響を受けたと言ってくれたけど、実際に僕らのようなサウンドだとは言えなかったね。(リッチー・ラノ)
率直な本音かも知れない。ただ、ここに名前の挙がったバンドのスターズへのリスペクトにも頷ける自分としては、もどかしさを覚える発言ではある。
バンドがマネジメントやレコード会社の無理解を押しのけて、運気を呼び込む事ができなかったのは何故だったか?あらためて、色々と考えてしまった。もちろん、結論など出せないのだが。
Fin