The Doobie Brothers ソロ・ワークス<マイク・マクドナルド編④>
敢えて振り返る No Lookin' Back
低迷したチャート成績
順調に見えたマイクのソロ活動だったが、No Lookin' Backからの1stシングルとなったタイトル曲は34位止まり。アルバムも45位までしか上昇せず、消化不良気味の成績で終わってしまった。
この82年から85年にかけての時期は、多くのアダルト・コンテンポラリー系アーティストが低迷や失速を経験している。シーンを代表する存在だったマイクも、例外ではなかったのかも知れない。
ジョニ・ミッチェルとの共演曲に見る類似性
同じ頃、マイクは60年代から活躍するシンガー&ソングライター、ジョニ・ミッチェルの、Good Friends にゲスト・ヴォーカルで参加している。
収録アルバムのDog Eat Dog(1985)は、フェアライトCMI(DAWソフトの原型となった当時の最新機材)を駆使したモダン・ポップ作品だった。サンプリングや、シンセが作り出すサウンドが特徴的な反面、音色に顕著な80年代色が本作の評価を難しくしている。
時代性への目配せが裏目に出る傾向は、70年代から活躍したアーティストのこの時期の作品にしばしば見受けられる。80年代はベテランにとって受難の時代だったのだ。
本来のアーティスト性との葛藤
「時代に合わせなければ」というプレッシャーの中、マイクがNo Lookin' Backで指向したデジタル色の強いサウンドは、結果として本来の情感を薄めてしまう事に繋がった。それがセールス低迷の原因だったと断言はできないが、1stで支持を得た彼のアーティスト性から多少なりとも離れてしまっていた、とは言えるだろう。
この後、マイク本人の完璧主義と、曲作りの遅さがネックとなって、作品発表の間隔がどんどん開いて行く事になる。
Sweet Freedomのヒット
映画のサントラからのシングル・カット
1986年に映画、Running Scared(邦題:シカゴ・コネクション/夢みて走れ)の主題歌、Sweet Freedomに抜擢され、全米7位まで上るヒットを記録した。
作曲はロッド・テンパートン。クインシー・ジョーンズ関連の諸作で重用されるソング・ライター&アレンジャーで、マイケル・ジャクソンのOff the Wall、 Rock with You、Thriller、等々の代表曲は彼の手になるものだ。
80年代的デジタル・サウンドを乗りこなした曲
ここで聴かれるのはスクリッティ・ポリッティのキューピッド&サイケ85以降とも言える、デジタル機材を駆使したサウンドだ。
プロデュースには、前述のロッド・テンパートン、ブルース・スウェディンら3名がクレジットされている。他人に委ねた制作とはいえ、2ndで試みたデジタル・サウンドはより消化され、同時にキーボード・リフを土台にした従来のマイクのスタイルと異なる曲調でのヒットだった。
こうして新たな代表曲を得た事は、次作 Take it to Heartの方向性に少なからず影響したと考えられる。
コンピレーション盤と、2ndソロの出し直し版
Sweet Freedomのヒットを受け、同じ1986年の末に同曲をタイトル曲に据えたコンピレーション盤が、欧州圏と日本でリリースされた。英国ではチャート6位のヒットを記録している。
選曲は1st、2ndからの各4曲ずつに加えて、パティ・ラベルとのデュエットによるOn My Own、ジェームス・イングラムとのYah Mo B Thereなども収録された。
また同年、米国では2ndにSweet Freedomを加え、ジャケットの装丁と曲順を見直した再発盤がリリースされている。
難産だった3rdソロ作 Take It to Heart
紆余曲折の末のリリース
1990年、ソロでは3作目となる Take It to Heart が、前作から5年ぶりにリリースされた。
実は前年の1989年、テッド・テンプルマンとマイクの共同プロデュースでアルバムは完成し、Lonely Talkというタイトルで発売が予定されていた。
だが「シングル・ヒット向きの曲が少ない」と言うレコード会社の判断で、直前になって発売延期。何曲かの差し替え、追加レコーディングを経て、1年後のリリースに漕ぎつけたそうだ。
それでも振るわなかったセールス
1stシングルは、ダイアン・ウォーレンとの共作曲、A-④Take It to Hearがカットされたが、U.S Adult Contemporaryで4位、総合では98位と振るわなかった。
続いてA-⑤Tear It Up、A-①All We Gotがカットされた。いずれも総合ではチャートインを逃している。また、アルバム自体も総合で最高位110位の成績に終わっている。
ブラック・コンテンポラリーに寄せた作風
制作にあたってSweet Freedom、Yah Mo B Thereといったコラボ曲の実績を考慮したのか、概ねロックに属していたこれまでのソロ作品に対して、本盤は当時のブラック・コンテンポラリーに接近した内容となった。
その点では2ndより機械的ななビートとサウンドだが、シンセの音圧にヴォーカルが押され気味だった点は改善された。
ただ、アルバム全体に楽曲が精彩を欠く印象は否めない。これはリリースまでの経緯のせいだけではなく、恐らく、この頃のマイクは作曲でスランプを迎えていたのではないだろうか。
クレジット情報に見る制作経緯
リリースまでの紆余曲折は先に述べたが、結果として本盤には複数のプロデューサーが関与している。
テッド&マイク以外のプロデューサーが担当した箇所を、色付きの枠で表示した。
緑枠:シェップ・ペティボーンによるリミックス・ヴァージョン
A-①All We Got
赤枠:ドン・ウォズプロデュース曲
A-②Get the Word Started、A-④Take It to Heart
青枠:デヴィッド・ギャムソン、ガードナー・コール、共同プロデュース曲
A-⑤Tear It Up
Lonely Talkとタイトルされていた当初のトラック・リストは不明だが、上記がレコード会社の指示で差し替えがあった曲だとされる。
A-④、A-⑤、A-①と続いたシングル・カット曲とも重なるので、そこにマーケティング上の判断と、レコード会社の意図を類推することも可能だろう。
ドン・ウォズはボニー・レイットが商業的ブレイクを果たしたアルバム、Nick of Timeをプロデュースした実績があり、その後も数々のベテラン・アーティストを手がける事になる。
デビッド・ギャムソンは、前述したスクリッティ・ポリッティの元メンバーであり、ヒップ・ホップ的なノウハウの導入を意図した起用と思われる。
リミックス・ヴァージョンのA-①All We Got
A-①All We Gotは、サンプリング・ヴォイスと、オーケストラ・ヒットで始まる。一瞬、誰のアルバムを聴いているのか判らなくなる展開だ。
なお、この曲をマイクと共作しているピーター・ラインハイザーは、デビュー当時のペイジズのメンバーだった。マイクの近作、Wide Openにも1曲、共作が収録されている。
Paul Carrackとの共作A-③Love Can Break Your Heart
A-③Love Can Break Yourは、ポール・キャラック(元Ace、Squeeze、Mike + The Mechanics)との共作。やや地味ながら、アルバムのもう一つのハイライトだ。
本作の参加ミュージシャンには殆ど触れなかったが、ここでのジェフ・ポーカロの演奏は一発で彼と分かる。
実現しなかったカバー曲
テッド・テンプルマンの語り下ろし本「プラチナ・ディスクはいかにして生まれたのか」(シンコーミュージック刊)では、本盤についての記述は少ない。
ただ、プリ・プロダクション段階でパーシー・スレッジの「男が女を愛する時」のカバーを試みたこと、最終曲B-⑥You Show Meへのスタン・ゲッツの参加がハイライトであったこと、等には触れている。
テッドによれば、パーシー・スレッジのカバーは「アルバムに完璧にハマっていた」そうだ。
最終的に形を変えてリリースされた作品から、この発言の意図を感じ取るのは難しい。だが、この時点で実現していれば、2000年代にリリースされてヒットしたMotownなどの一連のカバー作品の先取りになった可能性はある。
Fin