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フィルム

『フィルム』という短編オムニバス小説を読み終えた。自分の心が動いた表現をここでも書き留めておく。一つ一つの描写、言葉の表現が豊かで読んでいて画に浮かんでくる。映画的というか。そんなたくさんの言葉に感動させられた。細かい描写、たった1行だけでその主人公の背景心情が浮かぶ。脚本を書くことの勉強になる。言葉ではなく画で語ることができる。

僕自身、カメラが趣味で撮ったりするのだけど、最近はもっぱらスマホで撮るだけなのであまりえらそうなことは言えないが、数年前までフィルムカメラを使って写真を撮ったりしていた。現像に出して上がってくるまでがとてもワクワクする。そしてフィルムで撮ったその独特の色味。時間とお金に余裕があれば、もっと凝ってみたいと思う。中判カメラや、現像も自分で暗室を作ってやってみたり。2020年はカメラを買って旅をしてたくさん写真を残そうと思う。

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・記憶というものは皮肉だ。かんじなんことを忘れて、どうでもいいことを覚えていたりする。しかし、忘れる力があるから、人間は新しいことができると武田は堂々信じてきた。忘却力は人間に必要な力なのだ。
・顔も覚えていない個人の遺品に触れることに、抵抗を感じる。毛玉だらけのセーター、綻びの目立つズボン、皺くちゃのワイシャツ、点滴の血痕が残る下着、踵が擦り切れている靴下、毛先の開いた歯ブラシ、イヤホン付きのトランジスタラジオ、新聞の将棋問題の切り抜き。。。僕にとっては、何もかもが気持ちの悪いものでしかない。ただフィルムは、僕の心を少しだけ揺すった。あの人(自分を捨てた父親)との思い出は、たった一つしかない。それは、いちばん古い記憶の断片を並べると、短く鮮明に浮かび上がる。
・あの人とキャッチボールをした。空き地はデコボコだった。僕がピッチャー気取りでボールを投げると、あの人は後ろにひっくり返り、「すごい球を投げるな」というようなことを言った。
遺品の整理をするのに、10分とかからなかった。まだ余裕のある段ボールを持ち上げたとき、その軽さがやけに哀れに思えた。人は何も持たずに生まれてくる。そして何かを残して死んでゆく。段ボール一箱分の荷物しか残せずに死んでいったあの人の人生は、いったい何だったのだろう。そんなことを考え始めると、上着のポケットに入れたフィルムが重さを増した。35mmのネガフィルム。この中にどんな時間が記憶されているのか。他人だと思っていたのに、無性に気になった。
・(フィルムの現像)40分という時間を、これほど長く感じたことはない。腕時計の秒針が1秒進むごとに、無色(フィルム)だったはずのあの人の人生に色が乗せられていく。なぜあの人は母と僕を捨てたのか。なぜあの人は一度も僕に会いにきてくれなかったのか。なぜせめて電話の一本もかけてくれなかったのか。なぜ人生の最後を勝沼で過ごしたのか。なぜ新しい家族がいないのか。なぜフィルムを残したのか。たくさんの「なぜ」が40分の待ち時間を埋める。
・お父さんは僕のことをどれだけ覚えていましたか。もしかして、話もしたかった?でも病気になって、声を失って。キャッチボールのことも覚えててくれたんですね。じゃあなぜ、フィルムを現像しなかったんですか?僕との時間を形にするのが辛かったんですか?それとも、僕たちを捨てた罪の償いとして、十字架のようにあのフィルムを持ち続けたのですか?
・形として残るものに金を使うことは誰にでもできる。自分の気持ちの中に残っていく形で遊びたいのだ。
・都会が吐き出した埃や塵ばかりでなく、日常にうごめく人々の欲望まで台風が連れ去ったように、世良には思えた。
・時として、富は無力になる。どれだけの大金が手元にあっても、自分の心を潤す一滴の水すら買えないのだ。


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