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東映70周年・・?

『レジェンド&バタフライ』は、東映70周年記念映画だった。

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70周年?と思って、検索。それで、また、さらに、解らないことが出てきてしまった。
東京映画配給株式会社が、大泉映画と東横映画を吸収合併して、1951年に東映として創立。東京映画配給株式会社は、大泉映画と東横映画の製作映画を配給する会社として作られていた、その会社が、配給だけじゃなくて、映画製作もあわせてやっていこうとした。それにしても、どうして東京映画配給株式会社が吸収合併だったのだろう?

東横映画は、名前のとうり、東横沿線で映画館を経営していたが、それが映画製作もしていこうってぇことになった。だから、東横映画に吸収合併というのなら、まだ解りやすいのだが。
もう一つ。東横映画は、満州からの引揚げ者、特に満州映画OBの受け皿を社是としていたという、このことは、東映には満州映画OBが多いと知っていたから、驚く程ではなかったが、(東映創立は戦後すぐくらいかと思っていたから、創立70周年?と思ったのだが。)、この東横映画に根岸寛一がいた。マキノ光雄と共に(勿論その他にも満州映画OBはいるけれど)満州映画OB。で、根岸寛一。。?根岸寛一といえば日活だろう、と思ったのだが。最も、これは私の勘違いで、日活社長に根岸姓の人はいなかった。根岸寛一は戦前の日活多摩川製作所の所長で、その後満州映画協会理事、それから東横映画だった。

さて。
東京映画配給株式会社が、他の二社を吸収合併の件だが。とにかく、ここに、東急社長の五島慶太が登場てくるわけだ。小林一三が東宝を、五島慶太が東映を、創ったとも言われているそうで。
ここら辺、少なくともWikipediaではよく解らなかった。つまり。どうして東横映画が他の二社を吸収合併ではなかったのか?と同時に、五島慶太がどうしてそこまで東映再建?に入れ込んだのか?といったところ。なんか、東急からの融資ではなくて、五島慶太が個人的に私有財産を担保に、住友銀行から融資をうけたそうで、東映再建に失敗したら五島家は破産すると言われていた。

おそらく。そこらを理解するためのキーパーソンが、東横映画社長だった黒川渉三、だと思う。『黒川渉三』のWikipediaをみると。五島慶太との関係だけではなくて、根岸寛一との仲関係についての記述もある。この黒川が、高利貸しから借金して東横映画は大赤字を出していた、らしい。黒川を可愛がっていた五島慶太としての心中はいかばかりだったらう・・。。!?ただ、管理能力はないが人をハッタリで説得する才能が抜群だった、そうだ。渋谷駅周辺の開発発展に、五島慶太と黒川渉三は欠くことができない人物、だった。

で。五島慶太は、長野県の今の青木村出身。なかなか苦学していて、しかし向学心大、東大卒業は29歳の時、その後農商務省入省、さらに鉄道院に。で、小林一三の関西での開発手腕を聞いたら、これはもぉ~~対抗意識を燃やした、と思うわけ。東横線沿線、ことに田園調布。典型的な田園都市構想による街造り、だったと思う。

あ~~話しがづれてきた。しかし、長野県出身者としては、やはり?どうしても五島慶太&東急に親近感を感じてしまう。(小林一三や堤康二郎よりも)
と、いったところで。(なにが?)
東映には、けっこう親近感ある。(松竹や東宝より)


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