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『凍』
沢木耕太郎 著
『凍』 (とう)。 新潮文庫。
【最強のクライマー、山野井泰史が妻・妙子と挑んだ魔の高峰は、絶望的状況下で二人に究極の選択を強いた――奇跡の登山行と人間の絆を描き出す。】
沢木耕太郎が、山野井夫妻の奇跡の登山行を描く、?――?。
本の後記をみてみたら、 これは、2005年八月号の「新潮」に一挙掲載された「百の谷、雪の嶺」を改題したもの、とあった。
沢木耕太郎は、スポーツや演劇などの人たちをとりあげ、(政治家もいた?) 独自なノンフィクションライターとして私の記憶に残され、初期の頃の作品を読み漁ったものだったが、登山家はなかった、と思う。
登山家を扱った作家では
長尾三郎や佐瀬稔のが私には有名だった。
長尾三郎は『エベレストに死す』『マッキンレーに死す』など、加藤保男長谷川恒男植村直巳などを取り上げていたし、佐瀬稔は、森田勝を扱った『狼は還らず』があって、それで森田勝に私はとても思い入れさせられていた。
沢木耕太郎が山野井泰史を……正確には山野井夫妻の奇跡的なギャチュンカンからの生還が中心だが。
これは読まずにはおれないのだった。
沢木耕太郎の文章、ん~~~~~…
すごいなぁ。
こういう文章、いったいにどうやってひねり出してくるのだろう。 ? なぁんて、ごく素朴な思い、あり。
つまり、そういう素材を引き出してくる、というか、相手が話しだしてしまうような、そんな術を作者は有している、と思える。
あるいは、相手に限らず、周辺取材においても。
その人物が、こうこうでこうしたからこう思った、と書いてある。
なるほど……たいしたものだった。
泰史の方もだけど、妙子の方。よくこう書けるなぁと思う。
小説家は【小説家、見てきたように嘘をいい。】、だけど。
この本では、山野井夫妻が奥多摩の自宅から出発する描写があるし、成田空港からバンコク経由カトマンズ、それからチベットへまわりこんでギャチュンカンへ向かう経路も書かれてあるし、 登攀中での食事や尿意や便意の記述もある。 持っていく装備についても。
こういう記述が、私にとってまことにいい。より現実的で。
第十章(プラス終章あり)からなる本作品は、まず山野井泰史がギャチュンカンという山を意識した経緯から始まり、 それから、奥多摩を出発していってギャチュンカンの壁にとりつき、遭難しかかり、凍傷をおい死にかかりながらもとにかく生還してきて、日本の病院に入り、 それから彼らが再び山へ向かうまでの、長い道程を順に描きだしているのだけれど、 第三章にだけ、生い立ちが挿入されている。
が。
沢木自身もギャチュンカンの壁に挑んだわけではもちろんない。
しかるに、この文章はどうだろう。
解説を書いた池澤夏樹の、ことに後半の文章がひときわ輝いて思える所以である。
あるいは、沢木自身が山に登っている人間ではなかった、ましてや登攀者ですらない、だからかえってよかったとも思う。
もちろん、沢木だからこそ書けた、といってもいい。
本の構成もいいと思う。
向かって挑んで死にかかりしかし生還してきた、で終わっていないのだ。
山野井妙子は両手指全部をなくした。
山野井泰史は山を辞めようかとすら思った。
けれども、
2005年7月19日、ポタラ峰北壁の初登頂に成功した、そうだ。
……そして。
『凍』についてまだ考えている。
彼らは何故に生還しえたのか?
泰史はあくまでもアルパインスタイルの(極地法でなく一人か二人くらいで低予算でしかも無酸素登山)ソロクライマーで、慎重にも慎重を期していく。そして、イメージングだ。自分の行動をアタマの中でシュミレーションする。 それは、泰史の慎重さに裏打ちされ、実際に壁に取りついてみたら案外そうでもなかった、つまり自分が思っていたのよりかは簡単にいけたという意味だが、ということがあって、それをオマケとよんでいた。
しかし、ギャチュンカンの北壁にはそのオマケが少しもなかった。
ならば早い時期にやめるべきだったろう、という思いも出てくるのだけれど、 それは泰史にとって「絶対の頂き」だった。
登ることはできるだろうが、降ってこれないだろう、しかし登りたい、登るに値いするもの。
そもそも、なぁんで登るのか、よくワカラン人がいるかもしれない。まして、生きて降りてこれなくなろうとも、となればなおさらだろう。 ワカラナイ人に、山に登りたいとは思わない人に、まして八千メートル峰をみたことがない人に、その思いはけして伝わらないだろう。
妙子は泰史に絶対的な信頼をよせている。それに、恐怖心がない。 恐怖心がないことは、危険でもある。が、泰史との登山ではその危険さはほとんどなくなった。
とにかく。彼ら(つまりは泰史がだが)は、ギャチュンカンの北壁にとりついた。
沢木は、事実を積み重ねていくように、対象によりそい迫ろうと、書いていく。
泰史は、妙子は、こう思った、と書いてあるが、それはおそらく、沢木にとっての事実だろう。 それは、山野井夫妻も認めている事実なのだ。
頂きには泰史一人がたった。妙子は行かなかった。
その妙子の判断が、いきた。
それもだが。
二人はけしてパニックにならなかった。
泰史は降りていく自分をシュミレーションできた。
これまでの経験から、壁の状態や自分の体力や天候など、こうであればこうだろうといったことが予想できたし、しかるに、それがなしえるものなのだから、行なえば生きて帰れることになる。
けれども、妙子は他者の気配を感じたことがあった。
二人は七千メートルあたりの高所で、三夜ビバークしているのだ。(酸素なしで)それも、三夜めは、垂直の壁に打ち込んだハーケンとボルトに結んだ、二本のロープにブランコの様に座りながらで。
どれだけすごいことか、お分りいただけるだろうか。
そうだ。日本に帰ってきてから、退院してから、再び山へ壁へむかう、その辺りの文章もまたいい。
『できないと思っていたことが、やっていくうちにできるようになって……』
いいなぁ!
人間の可能性、すばらしさに思いをいたしながら。