ジャンジャックアノー、関連
『ランニング・フリー』(2000)
製作・原案、ジャン・ジャック・アノー
監督、セルゲイ・ボドロフ
DVDパッケージに書かれたキャッチコピーは 、【ジャン・ジャック・アノーがアフリカの大自然を舞台に描く永遠の絆】、とある・・
僕が思うに、主人公はあくまでもラッキーと名付けられた馬だ。
ラッキーは、ヨーロッパから南アフリカへ迎う輸送船の中で生まれ、ナミビアの鉱山主の白人のもとで育ち(飼育係は少年で、この少年との絆をもった)、ヨーロッパで起きた戦争の影響で無人と化したその家を飛び出し、アフリカの大地で逞しく育つ物語だ。
およそ12年後に、成長したその彼と出会うことになる。
ラストシーンは、群れを率いてアフリカの大地を疾走するラッキーたちの空撮シーン。
音楽が、タブラみたいな打楽器を主とした力強いもので、みごとにはまっていた。
………
DVD配給は、コロンビア・ピクチャーズ、トライスター・ホームビデオ、 発売がソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント。
で、監督はロシア出身者。この時点ではまったく聞いたことなくて知らない名前だったけど、『MONGOL』を監督していた。。
『ランニングフリー』、この映画の原案&製作がジャンジャックアノーで、
JJアノーは『セブンイヤーインチベット』(1997)を監督していた。(他にも気になる映画あるけど)
ハインリヒハラー。。!
私は、アイガー北壁初登攀者として記憶していた。本の題名は『白い蜘蛛・アイガーの北壁』、訳者・横山文雄、白水社刊行。
アイガー北壁初登攀は1938年。。ハインリヒハラーは26歳!
翌年に、ナンガパルバットの遠征隊に加わりパキスタンへ。登頂ルートを見つけて帰国途中第二次大戦発生のあおりをうけてムンバイで拘禁、その後ヒマラヤに近い場所に移されたハラーはそこで脱走、チベットへ逃れそこに滞在、ダライ・ラマとも交流した。
そのハラーのチベットでの滞在を記した書記の、映画化だ。
ジャンジャックアノー。
1941/10/01、フランス生まれ。
ソルボンヌ大学卒業後、高等映画学院で学び、1960年代後半から'70年にかけて、多くのCMを製作。
監督デビュー作は『ブラックアンドホワイトインカラー』(1976)で、第一次大戦時のアフリカを描いている、そうだ。これでアカデミー賞外国語映画賞受賞。コートジボワール代表の映画として。。!
因みに、コートジボワール、当然もとフランス領、昔は「象牙海岸共和国」と呼ばれていた。
2000年の『ランニングフリー』もアフリカが舞台だった!
監督デビューから24年後、どうしてこの時監督をしなかったのだろう??
気になるところだか、それよりも『ランニングフリー』の監督がロシア出身のセルゲイボドロフ。。
検索では、「ハバロフスク出身。1970年代後半から映画製作を始め」、としかない。
2007年公開の『モンゴル』を監督している。
ジャンジャックアノーと、セルゲイボドロフ。。!?
こちらの方のが気になる!!