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多賀英典、再び

割引あり

もともと、歌曲と映画とは深い関係があったわけだが、レコード音楽業界と映画業界との関係を考えてみた時、私は多賀英典という人物を思いおこす。

多賀英典はポリドール社員だった。

小椋佳や井上陽水のアルバムをヒットさせていた多賀英典が映画に関わった最初は、1971年の『初めての旅』(森谷司郎監督)で、音楽プロデューサーとして。

翌1982年に独立して、キティミュージックコーポレーションを設立するが、後にキティフィルムを設立しての最初の映画が、1979年の『限りなく透明に近いブルー』だった。
そう、村上龍の小説の映画化作品。
しかも、この映画の監督に村上龍を起用したのだ。

キティフィルム設立、この時に集められた人たちが、長谷川和彦と相米慎二、それとプロデューサーの伊地知啓。

伊地知啓は長谷川和彦が引っ張り出したとの説もある。そのせいか?キティフィルムは、長谷川和彦に映画を撮らせるためにつくられたとの説もあるが、私はこの説には与しない。

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