『春を背負って』&映画監督・木村大作
笹本稜平の小説を先に読んでいた。
奥秩父の山小屋を舞台とした短編集だった。
前回(2021/11/08.)にアップした際は、笹本稜平の小説関連でだったが、今回は『劔岳・点の記』関連で。
それで、木村大作が二作めの映画として『春を背負って』という映画を撮ると知った際に、私のアタマには大きな疑問符がうかんだ。
それは、『劔岳/点の記』を見た時に感じたものでもあった。映画監督としての木村大作に。
『春を背負って』(2014)、案の定だった。
特に後半の方の、松山けんいちと蒼井優が両手つないでまわり、その周囲をカメラが回るところ。もぉ~~~~もお、、赤面ものもいいところ。全く、見ていて恥ずかしくなった。
私が、『劔岳/点の記』で監督としての力量を疑問視したわけを、ここでもう一度書いておくと。
主にキャスティング。
劔岳の行者に夏八木勲で、陸軍少将に笹野高史、このキャスティングは、私には納得いかなかった。これは逆だろうと。せめて、夏八木勲はもっと痩せこけて、陸軍少将にはもっと貫禄ある人にしてもらいたかった。
ともかく、『劔岳・点の記』の好評さは、題材が良かったからだと思っていた。
実際、浅野忠信や仲村トオルがインタビューで言っている様に、CGなしで本当に当時の格好で劔岳に登っていったからこその、あの映画だったのだ。
それと同じ様なことを(小説では奥秩父が舞台だった)『春を背負って』でやろうとしたって、そりゃ無理ってもんでしょう。
今回の検索で。
本来、木村大作は、最初で最後との覚悟で『劔岳/点の記』を撮ったのだけど、それがけっこう好評で、二作めの期待が高まって、それで考えたのが『孤高の人』だった、のだが、しかし、これまた、冬の槍ヶ岳、過酷な撮影になるはずとのことから、それで『春を背負って』にした、という。。
360度、どこを撮っても絵になる、という理由から、舞台を、やはり、立山剣岳辺りにして、だ。
しかし、やはり、これはいただけない。
木村大作のアタマの中には、立山剣岳辺りの光景が焼き付いてしまって、そこでまたやってしまおうと思ったと、思われる。『春を背負って』で、だ。この、感覚が、私はどうも、納得できない。
自然風景の絵に寄りかかろうとしすぎじゃないですかね?
そんなわけで、私は、三作めの『散り椿』に注目しているのだけれど、これはまだ見てない。これを見て、もしかしたらひょっとして、私の監督としての木村大作評価が変わるかもしれないが・・?
はて、どうでしょうか。