『タイマグラばあちゃん』(2004)
『タイマグラばあちゃん』
2004年3月完成。
16ミリ・カラー、 110分。
監督、澄川嘉彦
『タイマグラばあちゃん』は、岩手県タイマグラに住む向田マサヨばあちゃんの日常生活の記録映画です。
味噌玉を作っているばあちゃんのシーンから始まります。 始めの方ではおじいさんも登場していますが、おじいさんが亡くなってからも、タイマグラばあちゃんの暮らしに変わりはありません。
春、早池峰山の雪が融けて山の斜面に「種まき爺こ」の形が現われたら畑に出ます。 コブシの花の咲き具合が豊作か凶作かを知らせてくれます。
カッコウの鳴き声を合図に種まきを始め、お農神さまへのお祈りを欠かしません。 秋には収穫をお供えして実りを感謝し、冬の寒さがきたら畑で育てた豆から豆腐や味噌をこしらえます。
戦後十軒あまりの農家が入植しましたが東京オリンピックの頃にはほとんどの家が山を去り、向田久米蔵・マサヨさんの二人だけとなり、以来20年あまり、二人だけの暮らしが続いたのですが、昭和63年に、二つの事件がありました。
一つはタイマグラに電気がひかれたこと、もう一つは久しぶりにお隣さんがやってきたこと。大阪出身の若者・奥畑充幸さんが空き家を借りて住み始めたのです。
凍みホド(ジャガイモ)づくり、味噌仕込み、豆腐作り、畑仕事、タイマグラばあちゃんはいつも体を動かしています。
じいちゃんは、生前、自分が割って用意しといた薪がなくなったら山を下りるようにばあちゃんに言っていたのですが、ばあちゃんは下りませんでした。
戦後入植した時に植えられた防風林のカラマツを切ることにしました。 ばあちゃんは切り株の年輪を数えていました。
そんなばあちゃんも、味噌玉を天井に吊す作業をしていた時心臓発作で倒れました。 倒れて入院していた間、娘さんに連れられて一度ばあちゃんはタイマグラに戻りに来ました。入り口の敷居を跨ぐことができなくなっていました。
タイマグラばあちゃんは一昨年(2002)の暮れに亡くなりました。
タイマグラに住み続ける奥畑さんは家族と共にばあちゃんが教えてくれた味噌作りを受け継いでいこうとしています。
タイマグラばあちゃんが亡くなってから、翌春に咲いたコブシの花は満開でした。
それから、、畑を耕し続けているじいちゃんとばあちゃんのシーンで終わります。
………………静かな感動が、じんわりとこみあげてきました。
「タイマグラ」とは、アイヌの言葉で『森の奥へと続く道』という意味だといわれている。岩手県早池峰山の麓に拓かれた開拓地。
2011年2月5日
共愛学園前橋国際大学にて。
授業「平和論」+地域共生研究センター+栄友会「共愛の森プロジェクト」、共催企画。
ゲスト、奥畑充幸
大阪府出身。北アルプス槍ケ岳山荘に六シーズン勤めた後、タイマグラに移住、古い農家を改装し民宿フィールドノートを始めて24年め。 山代陽子さんと(別姓婚)三人の子供と共に暮らす。 早池峰エコツーリズム推進協議会代表。