『氷雪の門』
今日は、真岡郵便電信局事件がおきた日だった。1945/08/20、ソ連軍樺太進攻上陸。
これを題材とした映画が、『氷雪の門』(1974)
この映画を映画館で観た記憶があって(??)、
ともかく、映画『氷雪の門』を知っていた。
けれども、上映中止となって、長くお蔵入りのままだったのだが、数年前に再公開された。
その上映中止となった要因はソ連からの圧力によるものと、私は思っていたのだけれど。・・・
実際、クレームというか通達というか、ソ連側からのアクションはあったはず。東宝側はこの映画を配給中止にしているのだから(東宝は当時日ソ合作『モスクワわが愛』という映画を公開中だった)。
今回、改めて検索してみたら、どぉもそうと言いきれない様で。
この映画は、金子俊男(元北海タイムス新聞記者)「樺太一九四十五分夏・樺太終戦記録」の本(講談社・1972)
を原作として、国弘威雄が書いた脚本によるものだが、そもそも「真岡郵便電信局事件」そのものが、なんか曖昧化していると思った。
08/15日以後も樺太に残って業務を続けていた職員達が(ソ連軍上陸進攻で)集団自決したというものだが、そもそも08/15以後の樺太残留は、自発的なものなのか?、それとも命令があったのかどうか、とか、自決は青酸カリ服毒だそうだが、その青酸カリをどう入手したのか?とか、その後の生存者証言が錯綜しているとか・・・
なので、真岡郵便電信局事件について深入りする時間もないから、ここではこの映画の上映中止(東宝)と上映館削減(東映洋画)に関してだけにする。
このことに関しても、今いち。
当初、配給は東宝だったが、公開間際になって東宝側が公開をとりやめた。その東宝側の言い分に疑惑あり。いや、東宝側は「そもそもうちでやると決まっていたわけではない」とすら、言い出すしまつ。
その後、東映洋画で配給が決まって公開されたのだが、上映館が削減された。この東映洋画配給での上映館削減要因も曖昧。
上映中止&上映館削減の要因が、これまたどぉもスッキリしない。
日本映画についての配給公開についてなら、配給会社にだが、外務省にも報告があった。けれども、その外務省へのものが、文書によるものなのか口頭によるものなのか?ハッキリしない。
詳しくは、Wikipedia記事での「上映中止・上映館削減問題」を読んでもらうことにして。
その後も、細々と(公民館とかで)上映されたことはあったらしいが、殆どお蔵入りだった。
しかし、当時のスタッフ(これは当時この映画で助監督した新城卓だ)の尽力で、2010年に再公開された。36年ぶりのことだった。
『氷雪の門』上映委員会(新城卓事務所内)から、VHSテープ&DVDが販売されている。
2010年再公開でのチラシ文面を見れば、上記Wikipedia記事内にもある通り、『ソ連側からの圧力によって上映ができなかった』といった情報が、一人歩きしてしまった面もあるだろう。
と共に、このチラシ文面にある「真実の物語」云々も、疑わしいと思う必要がある。
いすれにせよ、1945年8月15日以後に、ソ連軍が樺太に上陸したのは明らかだろう。
真岡郵便電信局職員たる女性達が、集団自決したのだから。
稚内にその慰霊碑が建っている。
靖国神社にも合祀されているそうだ。
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