往復書簡・映画館の話をしよう「旅先の映画館③」(大浦奈都子)
山口さん、ウラジオストクのお話、ありがとうございました。
ウラジオストクを地図で見てみると、日本から近くて驚きました。
ロシア、と聞いてあの広大な土地を思うかべるけれど、ここからそう遠くない場所に人が住み、2020年に山口さんは確かにそこに行き、映画を見た。そこで会ったひとたちに、山口さんの思い出を借りて想いを馳せました。また直接、このお話をしましょう。
さて、今回の「旅先の映画館」。
京都みなみ会館さんのお話を書いてみます。
初めて伺ったのは2018年2月。シネマスコーレの坪井支配人を追ったドキュメンタリー『劇場版 シネマ狂想曲』を上映していただいた時でした。みなみ会館はその直後の3月で移転のため一時休館に入ったので、ギリギリのタイミングで旧劇場に伺えたのです。
当時の京都みなみ会館さんは、オールナイト、爆音上映など、オリジナルの面白い企画を連発しまくっていて、さらに毎度抜群の企画ネーミングセンスでその名を全国に轟かしていたというイメージ。
シネマスコーレはというと、「名古屋を映画で一番おもしろい都市にする!」という言葉が『シネマ狂想曲』でもよく登場するように、他ではできない企画でお客さん、映画ファンをいかに驚かせるか、と躍起になっていた時期でした。
ですから、今だから言ってしまうと・・・心の隅に勝手にライバル心を抱えていたのです。
わたしが伺ったのは上映の2日目。すでに他のゲストは1日目に京都入りしていました。緊張しながら入り口の階段を上がると、右手に劇場の扉、左手にチケット売り場があり、物販などが丁寧に並べられています。
若いスタッフの方が迎えてくれ、奥に進むと先に坪井さんが・・・スタッフさんに囲まれご満悦の表情で喋り倒しているではありませんか!
少し呆れつつ、そんなことよりも何よりも、驚きました。
スタッフさんが、全員、若い・・そしてたくさんいる・・・さらに女性が多い!
職場でのわたしは、年上の男性スタッフに囲まれ、お客さんも男性が圧倒的に多く、舞台挨拶で会う映画業界の人も男性が多数。違う・・・わたしが見てきた景色とあまりに違う。
京都みなみ会館さんのロビーにはやわらかな空気が流れています。
スタッフさんとお話しする中で、当時の支配人のYさんはスコーレの運営形態を聞いて反対に驚愕し、「その少人数でやっているのが信じられない」「わたしたちは常に相談して、悩みながら企画を組んでいるから」とおっしゃっていました(多少の記憶違いはお許しください)。
スタッフさんの皆さん、落ち着いた空気を纏っているけれど、話の節々に映画に対する熱いマグマを感じます。
この人たちが各々のアイデアを出し合い、試行錯誤しながら多様な企画を実現させるからこそ、さまざまな人が興味を掻き立てられるのでしょう。そりゃ、若いお客さんに支持されるはずだ。
あの頃のわたしは、次々にやってくるイベントに対応しながら、いかに個性を出し、がむしゃらにやり抜くかに精一杯。どう考えてもがんじがらめになっていたカッチカチの脳みそに、ぷわっと空気を送り込んでくれました。
ああ、ライバル心なんて抱いていたアホなわたしよ。
2019年。
あの格好良い、それこそ若者が憧れをもちそうな劇場に引越し、1年も経たないうちにコロナがやってきました。みなみ会館のスタッフさんと会うことは幾度もあったわけではないけれど、コロナが始まった混乱期にはSNSや電話で励まし合いつつ愚痴を言い合ったり、どん底の時期を共有したり・・・とにかく「みなみ会館のスタッフさんも頑張っている」と思い浮かべるだけで、その存在にどれだけ励まされたか。
その後の苦しい戦いは、私たちが想像できないほどの心労があったはずです。支配人の方は2回変わりました。
スタッフさんたちは、今何をやっているだろうか。元気でしょうか?あの建物は、どうなるのだろう。
うまく締めることができません。
また会いたいなぁ。
さて、次のお題です。「子ども時代の映画館」でお願いします!自分が「子ども」と感じていればいつでも構いません。
楽しみにしています!