往復書簡・映画館の話をしよう「映画館と街」②(大浦奈都子)
山口さん、「映画館と街」について、シネマスコーレ周辺の変わりゆく景色について書いていただきありがとうございました。あの頃を思い出して、じんわり、しんみりしながら読みました。
バトミントンおじさんたち、懐かしいなぁ。あの頃はやれやれ、と思って見ていたけれど、あの雑然さを含め、街がおおらかだったのだと思います。
実は「映画館と街」というテーマにしたのは、“シネマスコーレは「街」との関わりが薄いなぁ、”と最近考えていたからなのです。だから山口さんが“「街の風景」をとても色濃く感じられる映画館だと思います”と書いてくれてハッとしました。
映画館について考えるようになったこの頃。いくつかのミニシアターについて書かれた本を読むなかで気になったのが、「街に根差した映画館づくり」や、地域と連携を取り、街の人々が集まる「コミュニティ」としての意識が強い映画館が多く存在することです。
映画館が新たにオープンする際、「〇〇の街に再び映画館を」や、クラウドファンディングにあたって「この街の映画館を守る」という言葉はよく目にしませんか?街に映画館が在り続けることは、文化を守ることでもある、という意識があるのですね。
日々、それぞれの人がさまざまな問題と向き合いながら生活するなかで、あまりに多くの関心ごとは、次々と起こる問題の波にすぐに流されてしまいがちです。映画館は、世界中のありとあらゆる時勢をその街に取り戻すことができる場所でもあると思うのです。
そうなると、シネマスコーレはどうだろう?この街にとって、どうだろう?
今まで、名古屋という場所で面白いことを発信するんだ!という意識はあれど、この場所に存在する意味、という視点で考えてこなかったことに気づきました。
5年ほど前のお話。
シネマスコーレの在る名古屋市中村区椿町は、朝は八百屋や精肉店、喫茶店が立ち並び、自転車に乗ったおばちゃんたちがそこかしこで世間話をしている。それが夜になると、一気に飲み屋のネオンがこれでもかと主張を始める。そんな一角でした。
目の前のお店は台湾ラーメン屋さん。台湾ラーメンって名古屋発祥なのに台湾人のハンさんが営んでいて、その隣はしょうゆラーメンが異常に美味しい居酒屋のサツマルさん。
よく酔っ払いの客がフラフラ劇場にやって来ては絡んできたけれど、その度にハンさんが酔っ払いをペチン!と怒りにきて、「ごめんねぇ!」といつも笑いに変えてくれた。サツマルさんの店主、ニシさんも看板メニューの新作ラーメンができると「味見してよ」と食べさせてくれて、世間話をする仲でした。
雑然として、混沌とした自由さが生んだ熱気は、山口さんがおっしゃったように「アジアの裏路地に来たみたい」とよく通りすがりの人に言われていました。
かつて中村遊郭が徒歩圏内にあったこの地域は、その名残からいかがわしいようなお店が立ち並び、「治安が悪い」とずっと言われてきたけれど、わたしはあのおじさんたちのお陰で「ここなら大丈夫」という安心感に包まれていたのです。
それがここ数年、景色はずいぶん変わりました。
リニア開通に伴う開発により、多くの店舗が閉店。ハンさんお店もニシさんのお店もcaféスコーレも、八百屋さんも肉屋さんもcafeマタハリさんもシャッターを閉じ、取り壊しを待つだけ。
なんだかここ数年は、この街にとってシネマスコーレが異質になったような違和感を感じています。
ああ、ダメだダメだ!
「あの頃は・・・」なんて過去に引っ張られていては、変わりゆく街の中で置いてけぼりになってしまう!わたしは映画館で働いているのに!
そもそもわたしが捉える「街」、狭過ぎやしないか?
映画を観終わった後って、余韻を楽しみながら一駅歩いたりすること、ありませんか?
映画が始まるまで時間があったら、街を散策することなんて、ありますよね?
スコーレから西へ足を伸ばしてみれば、さっきまでビックカメラだったのに商店街が現れるし、個性的な店も残っていたり生まれていたりします。この街の面白みを、ちゃんと見ていかなきゃなぁ。
なんだかわたしも、最初に書きたいと思ったことと全然違う方向の手紙になって、さらにすっかり長くなってしまいました。
だけれど、山口さんがスコーレの風景を描いてくださったお陰で、色々見つめ直せました。ありがとうございます!
実は6月に大阪のシネ・ヌーヴォさんに行って来ました。街を含め本当に素敵な映画館でした。その話はいつかどこかでお話しできたらいいなと思います。
山口さんの、旅先で印象的な映画館などあれば、ぜひ教えてください!
おまけ。
Twitter(まだXとは呼ばんぞ)で近くのお店を紹介する「#スコーレのご近所さん」を始めました。少しずつ更新していますので、良かったら覗いてみてください。