話題のクリント・イーストウッドから広げて(笑)

クリント・イーストウッドという94歳のおじいちゃんが作った映画が、日本では映画館での上映をせずに、いきなり配信される。配信だけでしか観れない作品もあるので、僕自身は、別に良いんじゃない?という気持ちが半分くらいある。世代によって、ここの価値判断は分かれそう。僕は、今年、29歳になるのだけど、僕らの世代が、ギリギリ、「映画館で映画を観ようよ」という志の高い、最後の世代なのかも・だったのかもしれない(笑) 言ってしまうと、イーストウッド作品は、映画館では一度も観たことがない。大学生の頃、『アメリカンスナイパー』を映画館で上映していたけれど、観に行かなかった。いくつか、思い出される理由がある。
① 映画館で観なくてもDVD・Blu-rayを借りれば充分(今なら、配信で充分)

②映画論なる授業を取っていて、その講義を担当するクセツヨ先生が推していたから、観るのやめた(今、考えると、笑える)

③そもそも、映画館へ行くのがダルい
(今は、積極的に出かける、魔法にかかってる)

④イーストウッドより観たい作品が、確かあった(何かは忘れた)

今では、月に、最低でも一回は、沼津や東京、神奈川、静岡(笑)の映画館へ出かけている自分ですが、こんな時もありました。今でも、「あれ、何で映画館行っているのだろう」って思うことあります。多分、そう感じるのは、一日をうまく使いこなせなかった、充実感を得なかった自分への責めがあるのだろうなぁ。映画館へ行くというより、行きたいまちに、映画館があるから、映画館へ行くという思いが強いのかもしれない。どうも、まちに、魅力を感じないと、「映画館行かなくても良かった」と感じてしまうことがある。僕の中では、「まち=映画館」という式?が勝手に成立しているのだろう。
(完全にイコールではない)

映画館へ行く前後が大切ということ。

今では、映画館へ行こう、というマジックにかかっている。半分くらいは、上映される作品に引っ張られている。あと、フィルム上映ですよ〜何て、宣伝されると行きたくなる。あとは、どんなお客さん来てるかなぁ。あとは、多分、観にくる人、自分だけだろうという検証。あとは…マジックにかかっているのは間違いない。

僕の周りに、映画館で映画観ようよ!って言ってる人って、少ない。だから、友達、誘いづらい。家族と映画観ないよ、全く。
(最近、90歳のおばあちゃんが、家で映画観せろ!って言ってくる)

あと、やはり、一人で観たいという思いもある。よっぽど、好きな人が隣にいないと、ダメな質なのかもしれない。両隣に、知らない人に座ってもらいたくない。電車で席空いてるのに、わざわざ立っている人いるでしょ、半分くらい気持ちが分かる。

結局、世界全体が、コミュニケーション不全なんじゃないの?

どういう映画館、作ろう・作りたいのだろう
(苦笑)

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