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デイミアン・チャゼル監督『バビロン』エンディングで引用される映画史上重要な49の映像の全リスト

文:町山智浩

『バビロン』エンディングで引用される映画史上重要な49の映像の全リストを作りました。
 サイレントを滅ぼしたトーキー映画『ジャズ・シンガー』のように、映画史を変えた技術革新になった作品が並んでいます。
 ただ、『裁かるるジャンヌ』や『女と男のいる舗道』のクロースアップは、『バビロン』のマーゴット・ロビーのクロースアップの撮り方に影響を与えたから、ここに引用されていると思われます。
『アンダルシアの犬』などゴア・フィルムの元祖が並んでいるのは、『バビロン』のグロテスクなシーンとのつながりのようです。
 また、『バレエ・メカニック』や『タランテラ』のように映像と音楽をシンクロさせようとした実験映画が多いのは、チャゼルがそれを目指す映画作家だからに違いありません。

1.エドワード・マイブリッジ『動く馬』( 1878 年)アメリカ

 走る馬を写した 12 枚の連続写真。ジョーダン・ピールの『NOPE/ノープ』でも引用されたように、ここから映画が始まったとされる。マイブリッジはその後、馬だけでなく、人や猫や象の走ったり歩いたりする動きの連続写真も撮った。

2.リュミエール兄弟『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895 年)フランス

 史上で初めて観客の前でスクリーンに上映された映画。大衆が一緒に体験する娯楽としての映画の始まり。

3.トーマス・エジソン『アニー・オークレー』(1894年)アメリカ

 当時の曲撃ち芸人アニー・オークレーがウィンチェスター・カービン銃で空中に投げられたコインを撃つ姿を記録した90秒のフィルム。エジソンはリュミエールよりも先に映画撮影機を発明し、撮影所も開いたが、スクリーンでは上映せず、一人がのぞいて楽しむキネトスコープという機械で観るシステムだった。

4.F.S.アーミテージ『真珠の誕生』(1901年)アメリカ

 アーミテージはエジソンやポーターなどのために働いた撮影監督。スーパーインポーズなどの技術を開発した。ビーナスの誕生を描いたこのフィルムで世界でも最も初期のポルノ映画。

5.ジョルジュ・メリエス『月世界旅行』(1902年)フランス

 最も初期のSF映画で特撮映画。メリエスは多重露光やミニチュア撮影など様々なフィルム・トリックを開発した。月人、つまりエイリアンも登場する。

6.フェルディナン・ゼッカ『アリババと40人の盗賊』(1902 年)フランス

 ゼッカはメリエスと並ぶフランスのトリック撮影のパイオニア。この映画は白黒フィルムに手で色を塗った世界で最も初期のカラー映画。

7.エドウィン・S・ポーター『大列車強盗』(1903年)アメリカ

 世界最初の西部劇。走る列車の上でのアクションもある。映画の物語が終わった後、いきなり、俳優がカメラ(つまり観客)に向けて拳銃を撃つ。このショットは当時の観客に衝撃を与えた。

8.ウィンザー・マッケイ『リトル・ニモ』 (1911 年)

 新聞の連載コミック『(夢の国の)リトル・ニモ』を作者のウィンザー・マッケイ自身がアニメ化した2分の短編フィルム。物語はなく、マッケイがニモとその仲間のキャラを紙に描いて、それが伸びたり縮んだりするだけ。マッケイは1914年にはアニメ短編『恐竜ガーティ』も作っている。その精巧な動きはフライシャー兄弟やディズニーにも影響を与えた。

9.D.W.グリフィス『イントレランス』(1916年)アメリカ

 クロースアップやクロスカッティング、ラスト・ミニッツ・レスキューなど娯楽映画の文法の多くを開発した映画の父、グリフィスはKKKを称賛する映画『國民の創生』(1915年)の大ヒットで稼いだ莫大な利益をすべて投じて、当時史上最大の大作『イントレランス』を製作した。古代バビロン、キリストの受難、バーソロミューの虐殺、そして1910年代アメリカという4つの時代におけるイントレランス(不寛容)による悲劇をクロスカッティングで同時進行させる。構成が複雑すぎて、当時のアメリカの観客は理解できず、大赤字に終わった。
 古代バビロニアのセットは映画史上最大といわれる規模で、それを撮影するため、クレーンが使われた。今の日本でもカメラを高い位置に置くための足場を「イントレ」と呼ぶ。これ以来、バビロンはハリウッドの別名になり、アカデミー賞授賞式が行われるドルビー・シアターも、『イントレランス』のバビロニアのセットを模している。

10.チャーリー・チャップリン『チャップリンの拳闘』(1915年)

 チャップリンのボクシング・シーンで笑わせる短編。彼は後に長編『街の灯』(1931年)でこれを再現している。

11.ルイ・フイヤード『レ・ヴァンピール吸血ギャング団』(1915年)

 ホラー映画ではなく、吸血鬼を名乗るギャング団をめぐる犯罪スリラー。全10話の連続活劇。オリヴィエ・アサイヤス『イルマ・ヴェップ』(1996年)はこの映画へのオマージュ。

12.セシル・B・デミル『ヂャンヌ・ダーク』 (1916 年)

 デミルはハリウッド最初の映画『スコウマン』(1913年)の監督で、サイレントからトーキーまで数々の史劇大作を作った娯楽映画の巨匠。このジャンヌ・ダルクの史劇は2時間17分の大作で、白黒フィルムを染色してカラー効果を出している、最後の火刑シーンでは本当に炎が燃えているように見える。『バビロン』では、このモンタージュの後、実際に白黒フィルムを赤や緑に染める過程を挿入している。

13.ラディスラフ・スタレヴィッチ『ナイチンゲールの歌声』(1925 年)フランス

 スタレヴィッチはポーランド出身でフランスに亡命した映画作家。本物の虫や動物を動かして撮る独自のアニメーションはフィル・ティペットに大きな影響を与えた。フィルムを彩色している。

14.フェルナン・レジェ『バレエ・メカニック』(1924年)フランス

 キュビズムの画家としても知られるレジェは第一次大戦後、急激に発展する近代の工業化や機械化に新しい美を見出し、機械の動きを編集でバレエのように見せたこの短編を作った(撮影はマン・レイ)。

15.アラン・クロスランド『ジャズ・シンガー』(1927 年)アメリカ

 ワーナーブラザーズ製作のハリウッド初のトーキー(発声)長編映画。当時の人気歌手アル・ジョルソンの半生を基に、ユダヤ教厳格派の聖歌手が父にさからってジャズ歌手になるまでを、ジョルソンの歌とともに描く。この映画の大ヒットで世界の映画はいっきにトーキーになだれ込んだ。

16.ダドリー・マーフィー『ブラック&タン』(1929 年)アメリカ

『バレエ・メカニック』の撮影者の一人、ダッドリー・マーフィーはアメリカに帰って、当時のジャズ・エイジのミュージシャンたちをトーキーの技術で撮影した。これは、ハーレム・ルネッサンスの中心地だったコットン・クラブで大人気だったデューク・エリントンの演奏を記録した短編。

17.チャールズ・ライスナー『ハリウッド・レヴィユー』(1929年)アメリカ

 Revue (レヴュー)とは、歌や踊りやコントなどを盛り込んだバラエティ・ショー。日劇ももともとはレビューを見せる劇場だった。ハリウッドの映画会社MGMはトーキー時代に対応すべく、契約するスターを総動員して、歌って踊らせて、このレヴュー映画を作った。一部が2色分解テクニカラーで撮影されている。赤と緑のフィルターで映像を2つの白黒フィルムに分解する方式。映画の最初と最後に「雨に唄えば」が歌われ、エンディングではノアの箱舟の前でMGMスターが勢ぞろいして合唱する。『バビロン』のブラッド・ピット演じるジャックのモデルになったジョン・ギルバートも参加させられた。ちなみにバスター・キートンだけは歌ってない!

18.E.A.デュポン『ピカデリー』(1929 年)イギリス

 ハリウッド最初のアジア系スター、アンナ・メイ・ウォンが英国で主演した。ロンドンのピカデリーのナイトクラブが舞台で、ウォンはダンサーを演じる。サイレント映画としていったん公開されたが、後で音楽をつけたサウンド版で再公開された。

19.ヴィクター・フレミング『オズの魔法使』(1939年)アメリカ

 最初はセピア調のモノクロ・フィルムで始まり、ドロシー(ジュディ・ガーランド)がドアを開けると極彩色のオズの国が現れる。これは赤、青、緑のフィルターで3つの白黒フィルムに分解するテクニカラーで撮影された。3色分解テクニカラーで初めて撮影された実写長編映画はRKOの『虚栄の市』(1935年)だが、デイミアン・チャゼルが『オズの魔法使』を選んだのは、このシーンで、ひとつのショットのなかでセピアのモノクロからカラーに変わるからだろう。このトリックは、セピア一色で塗装された部屋でセピア一色の服を着たガーランドのスタンドインがドアを開け、カラフルな衣装を着たガーランドと入れ替わることで撮影された。

20.セルゲイ・エイゼンシュテイン『イワン雷帝 第2部』(1944年)ソ連

 イワン雷帝の親衛隊が群舞する、後半のカラー・シーン。『戦艦ポチョムキン』(1925年)で、モンタージュ理論を確立した巨匠エイゼンシュテインが、侵略と粛清に明け暮れた暴君イヴァン4世の生涯を映画化。当時のソ連の独裁者スターリンはイワン雷帝に感情移入していたが、この「第2部」でエイゼンシュテインはイワンを疑心暗鬼にとりつかれたパラノイアとして描き、スターリンを怒らせ、第3部の製作は中止になった。

21.メアリー・エレン・ビュート『タランテラ』(1940 年)アメリカ

 メアリー・エレン・ビュートは1930年代から50年代にかけて活躍した実験映像作家。「視覚音楽」と題して、抽象的なアニメーションと音楽をシンクロさせる作品を発表し、オシロスコープの画面も使った。『バレエ・メカニック』に始まる映像の音楽化の試みという点でチャゼルもその延長線上にいる。

22.田中絹代『恋文』(1953年)日本 新東宝

『愛染かつら』(1938年)、『西鶴一代女』(1952年)、などの映画女優、田中絹代の初監督作品(脚本は木下恵介)。題名の「恋文」は、進駐軍のアメリカ兵あてのラブレターのことで、戦後、英語が書けるインテリは恋文の代筆をして暮らしていた(渋谷にあった恋文横丁は代筆屋が集まっていた)。ヒロイン(久我美子)は戦争で夫を失くし、戦後はアメリカ兵の妻になったが、それを知ったかつての恋人(森雅之)から「洋妾」となじられ、自殺を図る。日本映画の女優が監督をしたのは、田中絹代が史上二人目。

23.サタジット・レイ『大地のうた』 (1955 年)インド

 エリート広告マンだったサタジット・レイはヴィットリオ・デシーカが戦後イタリアの貧困をリアリズムで描いた『自転車泥棒』(1948年)に感動し、自分で資金を集めてインドの貧困層に生まれた少年オプーの物語『大地のうた』を映画化。後の『大河のうた』『大樹のうた』で三部作になる。

24.チャック・ジョーンズ『カモにされたカモ』(1953 年)アメリカ

ワーナーブラザーズのアニメ・キャラクター、ダフィー・ダックが『三銃士』を演じようとすると、意地悪なアニメーターに背景を変えられる。ダフィーと意地悪アニメーターのケンカが続き、アニメーターはダフィーを消そうとする。チャック・ジョーンズはアニメの枠を超える「メタ」コメディで、ゴダールや赤塚不二夫に大きな影響を与えた。

25.マイク・トッドほか『これがシネラマだ』(1952年)アメリカ

 超横長スクリーンによるジェットコースターの映像。シネラマは映写機3台を使って縦横比1:2.65のスクリーンに映写し、観客の視界を覆う体感映像システム(後に映写機は1台になった)。『これがシネラマ』にはストーリーがなく、ナイアガラの滝や、アメリカ西部の風景の空撮などシネラマの体感効果を披露する映像の寄せ集めになっている。『2001年宇宙の旅』(1968年)もシネラマの体感映画として作られたので、宇宙飛行描写が長いのだ。

26.ウィリアム・ワイラー『ベン・ハー』(1959年)アメリカ

 紀元1世紀のローマ帝国を舞台にした大スペクタクル。エキストラ1万人、衣装は10万着、製作費は現在の金額に換算すると1億4千万ドル。通常の35mmフィルムの倍のいわゆる「70mm」で撮影された。クライマックスの戦車レースは準備から撮影まで1年間かかり、競技場のセットの建設費は現在の金額にすると10億円以上。アクションがあまりにリアルなので、撮影中にスタントマンが死亡したという都市伝説も生まれた。

27.ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』(1929年)フランス

スペイン出身のルイス・ブニュエル(当時29歳)とサルバドール・ダリがパリで会って、二人が見た夢を映像化した自主制作短編(21分)。題名はスペインの慣用句「アンダルシアの犬が吠える(誰かが死んだ)」から。ストーリーはなく、掌の穴から蟻がわらわら出てきたり、皮をはいだ馬の死体を載せたグランドピアノを引きずったり、奇怪なイメージが脈絡なく続くが、最もショッキングなのは、女性の眼球をカミソリで切り裂くシーン(毛を剃った家畜を使って撮影された)。これが後のスプラッター映画の始祖といわれ、ここから、スラッシャー映画の基礎となった作品が並ぶ。

28.アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』(1960 年)アメリカ

 ヒロインとして宣伝されていたジャネット・リーが映画の前半でいきなり殺されてしまうことで当時の観客を驚かせた。情報が漏れることを恐れたヒッチコックはマスコミ向けの試写を行わず、映画館でも途中入場を禁じさせた(当時、映画は途中で出入りするのが普通だった)。ジャネット・リーが刺殺されるシーンは45秒間に60ショット。絵コンテはデザイナーのソウル・バスが描いた。

29.ハンス・リヒター『金で買える夢』(1947 年)アメリカ

 ブニュエルはシュールレアリスムの作家だが、ダダイズムの画家だったのがハンス・リヒター。ナチス・ドイツを逃れてアメリカに渡り、ニューヨーク市立大学の映画技術研究所の所長となり、数々の実験映画を撮った。『金で買える夢』はタイトル通り、その人が見たい夢を売る商売を始める男の話。『トータル・リコール』みたいだが、出てくる夢は6つで、それぞれを、マックス・エルンスト、フェルディナン・レジェ、マン・レイ、マルセル・デュシャンなど当時の前衛芸術家が監督している。『バビロン』では、リヒター自身が撮った最後の夢で、男が女性の喉にナイフをあてるショットを使っている。

30.マヤ・デレン&アレクサンダー・ハミット『午後の網目』 (1943年)アメリカ

 ウクライナ出身のアーティスト、マヤ・デレンとハミット夫妻が自主制作した14分の短編。デレン扮する女性が、道で会った黒頭巾をかぶった人物(顔は鏡になっている)に刺殺されるのではないかと怯えるが、それが夢か現実かわからなくなる。後のさまざまなスラッシャー映画、それにデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』や『インラインド・エンパイア』に大きな影響を与えている。

31.カール・セオドア・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』 (1928年)フランス

 デンマークの監督ドライヤーがフランスで撮ったサイレント映画。フランス救国の英雄ジャンヌ・ダルクが異端審問で魔女とされて処刑されるまでを裁判記録に忠実に描く。ジャンヌを演じるルネ・ファルコネッティの仰角によるクロースアップと彼女を追い詰める審問官たちの切り返しが延々と続き、観客はジャンヌに一体化して自分が弾劾されているような絶望感におそわれる。

32.ジャン=リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』 (1962年)フランス

 ゴダールが妻アンナ・カリーナに街娼ナナを演じさせた。当時の街娼についての本が原作だが、ナナという名前はエミール・ゾラの『ナナ』(1880年)、ショートボブの髪型はサイレント時代の女優ルイーズ・ブルックスを基にしている。『バビロン』で使っているのは、映画館で『裁かるるジャンヌ』を観て、ジャンヌのクロースアップに涙するナナ(アンナ・カリーナ)のクロースアップ。

33.ウンベルト・ソラス『ルシア』(1968年)キューバ

 激動のキューバ史の3つの時代(スペインからの独立、1930年代、1960年代)に生きたルシアという名の三人の女性を描くオムニバス映画。カメラワークがダイナミックなスペクタクル。『バビロン』では、アンナ・カリーナの泣き顔から、『ルシア』第2部で1930年代のルシア(エスリンダ・ニュエス)が愛する人を失った涙へつなぐ。

34.フランシス・トンプソン『NY,NY』(1957 年)

 15分の実験映画。カメラのレンズに鏡をつけて万華鏡のようにニューヨークを捉える。『バビロン』ではなぜか刻まれるオレンジの映像を使っている。

35.センベーヌ・ウスマン『ボロム・サレット』(1963 年)セネガル

「アフリカ映画の父」と呼ばれるセンベーヌがセネガルの貧しい馬車運転手の生活を描いたドラマ。

36.ロマン・ヴィニョリー・バレット『ブラック・ヴァンパイア』(1953年)アルゼンチン

「黒い吸血鬼」と呼ばれる連続殺人者をめぐるスリラー。フリッツ・ラングの『M』やフィルムノワールの影響が強い。

37.スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』(1968年)アメリカ・イギリス

38.ジャン=リュック・ゴダール『ウィークエンド』(1967年)フランス

 エンディングの「Fin de Cinema」だけ使っている。

39.ジョン・ホイットニー『マトリックス』(1971年)アメリカ

 一見CGやビデオ・アートに見えるが、これはデジタルではなくアナログ・コンピュータとフィルム・カメラで撮られたもの。これを作ったジョン・ホイットニーは、ヒッチコックの『めまい』のグルグル回るアニメーションに参加している。『2001年宇宙の旅』のスターゲイトも最初はホイットニーに依頼するつもりだったが、彼のやり方を研究してダグラス・トランブルが作った。

41.エド・エムシュウィラー『サンストーン』(1979年)アメリカ

 エムシュウィラーはイラストレイターで、SF雑誌『ギャラクシー』や『アスタウンディング・サイエンス・フィクション』などの表紙で有名だが、1964年から16mmカメラで実験映画を撮り始めた。1970年代からビデオを使い始め、1979年にはコンピュータを使った3分間の3Dアニメーション『サンストーン』を製作し、CG時代の道を拓いた。

42.『レイダーズ 失われた聖櫃〈アーク〉』(1981年)アメリカ

『聖櫃〈アーク〉』が開いて、未知なる力が空に立ち上るシーン。

43.『トロン』(1982 年)アメリカ

44.ジェームズ・キャメロン『ターミネーター 2』(1991 年)アメリカ
45.スティーヴン・スピルバーグ『ジュラシック パーク』(1993年)アメリカ
46.ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』(1999年)アメリカ
47.ジェームズ・キャメロン『
アバター』(2009 年)アメリカ
このへんはいいですね。

48.イングマール・ベルイマン『仮面ペルソナ』( 1965 年)スウェーデン

 引退しようとする女優と看護師の二人が共同生活をするうちに二人の人格が曖昧になっていく。ベルイマンはフィルムそれ自体を燃やしたり、ヒビを入れたり、サブリミナル的に一コマだけペニスの写真を挿入したりして、観客と映画の距離感を壊していく。『バビロン』で使っているのは、冒頭、少年が映画のスクリーンに触れようとするシーン。ここで映画は『2001年宇宙の旅』の猿人に知恵を与えたモノリスなのだ。

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