『ファイト・クラブ』町山智浩単行本未収録傑作選90年代 その2
文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2007年6月号
君のこめかみに僕は銃を押し付けている。
君は死ぬ。銃弾が君の頭を吹き飛ばす。
君は学校を辞めてしまって、今はコンビニで働いている。
もし、ここで射殺されなかったら何がしたい? 子どもの頃は何になりたかった?
君は「じゅ、獣医です」と答えた。そうか、動物が好きなのか。それが本当に君のやりたいことだな? だったら獣医になるために必要な勉強をしろ。死ぬよりマシだろ。
僕は君の運転免許証を保管している。君の身元を知っている。これからもずっと監視する。もし、君が自分の目的に向かってがむしゃらに努力せず、ただ日銭を稼いで暮らしていたら、殺す。
さあ、行け。君の人生を生きろ。死ぬ気でやれば何だってできる。
今晩の食事は一生でいちばん美味だろう。明日の朝は一生でいちばん素晴らしいものだろう。
これはチャック・パラニュークの小説『ファイト・クラブ』のある部分の要約だ。
1997年のある日、映画監督デヴィッド・フィンチャーにプロデューサーのジョシュア・ドーネンから電話がかかってきた。20世紀FOXが『ファイト・クラブ』の映画化権を買って、監督を探しているので、読んでほしいと言うのだ。映画『ゲーム』の編集で徹夜続きのフィンチャーは「本なんか読める状態じゃないよ」と断ったがドーネンは食い下がった。「じゃあ、電話で2ページだけ朗読するから聞いてくれ」
それがこの場面だ。
フィンチャーはそれを聞いただけで監督を引き受けた。
◎ 実存3部作
「ヘミングウェイは言った。『この世界は素晴らしい。闘う価値がある』私は同意するよ。後半部分に」
フィンチャー監督の映画『セブン』(96年)は、刑事サマセット(モーガン・フリーマン)のセリフで終わる。堕落した人間たちに絶望したサマセットは隠居を考えていたが、自堕落な人間たちを憎み、次々と処刑する連続殺人鬼ジョン・ドーが現れる。自分の分身のようなドーが多くの人間を道連れに死んだのを見て、サマセットは醜い現実から逃げずに闘い続ける決意をする。
監督デビュー作『エイリアン3』(92年)の失敗でハリウッドから干されていたフィンチャーは、『セブン』の成功で見事に復活した。それから彼は『ゲーム』(97年)と『ファイト・クラブ』で作家性を確立する。
『セブン』から始まるこの3本は、原作も脚本も書いた人間は違っているが、3部作といえるほどテーマが似通っている。それは「このクソったれの現実世界で、なぜ生きるのか?」。つまり「実存」だ。
『ゲーム』の主人公ニコラス(マイケル・ダグラス)は投資家として成功し、優雅に暮らしているが生きる気力が湧かないまま48歳の誕生日を迎える。父親は同じ歳で自殺した。そこに弟(ショーン・ぺン)が訪ねてきて誕生日のプレゼントとしてCRSという団体の「ゲーム」にニコラスを招待する。その日からニコラスは何者かに命を狙われ、追われ、全財産を奪われ、最後には棺桶に入れられてしまう。しかしニコラスは脱出し、死に物狂いでCRSへの逆襲を開始する。実は、そのゲームは人を死の淵に追い込むことで生存本能を呼び覚ますためのものだった。
『セブン』の刑事サマセットも、『ゲーム』のニコラスも、趣味のいい服で端正に装い、整然とした部屋に住み、何不自由ないのに、人生に何の希望も見出せない。しかし、究極の恐怖を通じて、生きる意志を蘇らせる。
『ファイト・クラブ』もまったく同じ話だ。ただ、フィンチャーはそのテーマと表現をハリウッド映画で許される極限まで推し進めたのである。
◎ フィア・センター
真っ暗な空間に『FIGHT CLUB』というタイトルが浮かぶ。
「そこは脳内の恐怖中枢(フィア・センター)だ」DVDの副音声でフィンチャー監督は解説する。CGで描かれた恐怖中枢で神経電気がスパークする。カメラはそこから猛スピードで後進する。観客はスタッフが「ブレイン・ライド」と名づけた脳内ジェットコースターに乗せられる。アドレナリンが噴出する脳内を走り抜け、頭蓋骨の外側へ飛び出す。出口は眉間の毛穴だ。カメラはなおも後進し、その男が拳銃を口にくわえているのがわかる。その拳銃が恐怖の原因だったのだ。カメラは拳銃のサイトの上を滑り、照門を抜けたところで停まる。
「ブレイン・ライド」は『ファイト・クラブ』が死の恐怖についての映画であることを宣言している。
拳銃をくわえた、怯えた目の男がこの映画の主人公「ぼく」(エドワード・ノートン)だ。「ぼく」に拳銃を突きつけた男が言う。
「爆発まで3分。ここは爆心地になる」
その男、タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)は窓から夜景を眺める。そこはオフィス街にある高層ビルで、周りにも高層ビルが立ち並んでいるのが見える。
「ぼくらは大量破壊ショーの最前線にいる。騒乱計画(プロジェクト・メイヘム)の破壊活動だ」「ぼく」の心の声が聴こえると、カメラはタイラーの横を通ってガラス窓をすり抜け、いっきに数十メートル降下して地面のアスファルトに貫通し、そのまま地下の駐車場まで降りて行く。「ビルの基礎の支柱に爆薬が巻きつけてある」
このシーンには実際に撮影されたスチル写真をCGで立体に再構成するフォトグラメトリーという技術が使われている。
「物語の語り手の意識の流れをそのまま映像化したかった」とフィンチャーは言う。「あと2分半だ。お前と俺が成し遂げた偉業を思い出してみろよ。
タイラーと「ぼく」は何をしたのか? なぜビルを爆破するのか? 「ぼく」は回想を始める。
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