第36回東京国際映画祭ルポ。小路紘史監督の『辰巳』がワールド・プレミア。復讐に燃える不良少女と孤高のやくざ者が突き進む冥府魔道。遠藤雄弥と森田想がにらみ合うポスターに込められた思いとは。
タイトル写真:フォトセッションにて。(左から)小路紘史監督、遠藤雄弥、森田想、佐藤五郎
10月23日より開催されている第36回東京国際映画祭の「アジアの未来」部門で、小路紘史監督の『辰巳』が上映された。ワールド・プレミアとなった10月28日、角川シネマ有楽町での上映回後、出演者の遠藤雄弥、森田想、佐藤五郎、そして小路紘史監督が登壇。作品を初めて観客に届けたばかりの満足な表情を見せた。
小路紘史は2016年に劇場公開されて話題となったインディペンデント作品『ケンとカズ』で初長編を手掛けた。覚せい剤の密売に手を染める、悪友同士のケンとカズが破滅への道を突き進んでいくバイオレンスなこの映画で、2015年の第28回東京国際映画祭の日本スプラッシュ部門で作品賞を受賞。8年のときを経た最新作『辰巳』もまた裏社会に生きる者たちが描かれる。
汚れ仕事を担う孤独なやくざ者の辰巳と、姉を殺された不良少女・葵が共に復讐の旅へ向かう物語。くすんだ色合いのルックに、やさぐれたアウトローたちが流す血の赤が溶け込む。登場するのは人の命をなんとも思わない外道ばかりだが、それぞれが確固たる信念を持っており、憎み合い、殺し合うだけの理由づけがなされている。そこには脚本開発段階から緻密な人物造型を徹底して行っているであろうことがうかがえた。アクションにもリアリティが追及され、大立ち回りのようなケレン味よりも、抑制された渇いた暴力描写を重視。ジョン・カサベテスの『グロリア』や、ドン・シーゲル、ウォルター・ヒルを想起させるハードボイルドな空気を漂わせつつ、韓国ノワールを思わせる刃物を使った格闘など、近年のアジアの暴力映画の熱気も取り入れている。懐かしさと新鮮さが絶妙に混ぜ合わされたバイオレンス映画だ。 組織に属していながら誰ともなれ合わない、孤高のやくざである辰巳役に、『ONODA 一万夜を越えて』や『の方へ、流れる』の遠藤雄弥。虚無をたたえたニヒルな顔つきから、突如として野獣のような暴力性を発揮する二面性を持つこの異様なキャラクターを遠藤は、観客がギリギリのラインで感情移入できる程度にまで共感性を排除して見事に演じた。やぶれかぶれの復讐の道を歩む不良少女・葵を熱演したのは森田想。子役から演技の世界に入り、2018年の『アイスと雨音』で初主演を務めて注目を浴びた。やさぐれる中にも、時折に覗かせるあどけない無垢な少女の顔は、荒みきった作品の中での一服の清涼剤となっている。組織の掟と個の感情の間で苦悩する、辰巳の兄貴分を演じた佐藤五郎や、成り行きで辰巳たちに協力することになる凶暴な男役の後藤剛範など、コワモテの男たちを演じる役者たちが脇を固めた。また、『ケンとカズ』にも出演した、藤原季節が辰巳にとって重要な人物として登場する。
小路は満席の場内を見渡し、「最高の音響と最高のスクリーンと満席のお客さんたちが集まった空間で初めて上映を迎えられて感動しています」と感慨深げ。遠藤は「小路監督がご自身の映画人生をかけて作りました。4年の間、こだわり抜いた渾身の一作」と作品に込められた思いの深さに触れた。本作は2019年に撮影されていたが、その後のコロナ禍において脚本の練り直しや追加撮影が行われたという。小路は「皆の絆というか、作品についての方向性をさらに話し合って高められたのは、このメンバーだったから。映画ではあんなに殺し合ってたのに(笑)」と笑いを交えながら、この4年を振り返った。
待望の二作目をこのプロットにした決め手について、小路は初長編作の『ケンとカズ』で消化しきれなかった情熱があったことに触れ、アウトローと幼き者との二人旅という定番ともいえるストーリーラインを、自分の価値観や、役者それぞれの価値観での芝居によるものでどう変化するのかを想像し、「どういう話になるんだろうかっていうのがすごい楽しみで、原動力になりました」と思いを語った。
姉のかたき討ちに怒りの炎を燃えたぎらす葵の役は、当初の設定では少年だった事実が明かされる。オーディションを続けていく中で、別の役のオーディションで来た森田を見た小路が、性別を超えてこの役をまっとうできるのは森田だと確信したという。極道だろうと構わず食ってかかり、相手の顔面につばを吐きかける狂犬のような役柄を体現するのは難しかったのではないか。だが、森田は特に役づくりはしていないと語る。「私は普段から、すごい口が悪いから、何も違和感なくすべての台詞を言えました」とさらり発言。これには周囲から動揺を含んだ笑いが漏れる。森田は続けて、「ただ、つばを吐く回数が多かったので、そこの練習だけたくさんしました(笑)」と皆を笑わせた。
また、森田は屈強な男たちとのバイオレントなシーンも多くこなした。身体的に負荷のかかる撮影だったのではないかと、質疑応答で観客から気遣われる一幕も。森田はその気遣いに感謝しつつ、現場を「楽しかった記憶しかない」と振り返る。「俳優部だけではなく、技術部さんとこんなにも近い現場はなかった」と言い、スタッフと多くの対話を行えたことにありがたみを感じたという。感謝することはあっても、弱音を吐くことは決してなかった森田のタフさに、小路は葵と重なるものを見いだし、「葵役のハートの強さとリンクしていた」と語った。
マーティン・スコセッシやマイケル・マンなど、犯罪と暴力に明け暮れる者たちを描いた作り手に影響を受けていると話す小路は86年生まれ。東映やくざ映画のリアルタイム世代ではないが、当時に作られた映画からの影響も強く、『辰巳』の冒頭では東映実録路線を思わせる演出が見られる。しかし、その後はリアルな現代日本の裏社会と、東南アジア地域の裏社会が同居するような無国籍感の様相を見せ始める。そこには「普通の日本映画のやくざ像をあまり出さずにいきたい」という明確なコンセプトがあった。衣服もカッチリした背広姿ではなく、くたびれた作業着姿などの生活感のあるものばかり。佐藤は「オーディションにスーツで来た役者は皆、落ちた(笑)」と冗談めかして言った。
辰巳は葵の復讐の旅に同行するが、二人は常に反目し合い、互いの感情を激しくぶつける。本作のポスターは、目玉をひん剥く鬼のような形相の辰巳と、彼をにらみ返す葵の横顔を捉えたインパクトあるもの。前作の『ケンとカズ』に続いて、本作でも主役二人の険しい顔のアップが印象的だ。劇中、テンションが最高濃度に高まるシーンをメインビジュアルに使用した意図について観客から問われた小路。この場面の台詞に関しては、ラーメン店で8時間にもおよぶディスカッションが繰り広げられたそうだ。それを踏まえ、「この対話はすごく大事なところだったので、結果的にも映画の中で印象的なカットになりましたし、必然というか、脚本段階で大事にしてたシーンが、ポスターになるのはつながっていた気がします」と運命的なものを感じていたようだった。
遠藤も、あの場面は辰巳の出来事の中で重要なものだと思っていたそうで、そこをポスターに起用した小路の感性に対し「ハッとしました」と感嘆したという。
森田は「ひりひりした、集中力が必要なシーンだった」と振り返り、「撮影のときから、あのシーンを小路さんが大切にしているのを感じていた」と述懐。そして、「昼間の光の加減もそうですし、その粗い感じが映画に合っていて、カッコいいなと思いました」とポスターに対する純粋な感想を口にした。
佐藤は「このシーンがポスターになるのをわかってました」と言う。それはなぜか。「本番中、小路さんの”カッコいい……”と(言葉が)入ってるんです。編集されても、しばらく小路さんの声が入ってたくらい」と撮影中のエピソードを披露した。
ポスターだけではなく、本作はとにかく役者の顔つきが印象に残る。顔面に迫るカメラについて、森田は「表情を撮られることを意識してるからこそできる視線の演技だったりとか、自分で考えることができた」とコメントし、「あれくらい潔く人物の顔を映してくださるのは、こちらに委ねられている気がした」と役者の主体性が求められているのだと解釈したという。 監督と役者とのセッションに関して遠藤は「すごく綿密に作品についてお話してくれますし、最終的に俳優を本当に信じてくれる。この人に見てもらえるから引き出されるみたいな、自分の能力以上のものを引き出してもらえる」と小路に全幅の信頼を寄せていたことを明かした。そして、「毎日、現場に行くのが本当に楽しみ」だったと振り返り、仲間に会えて、『辰巳』の世界観に浸れることが心から喜ばしい経験だったことを、現場を懐かしむようにしみじみ語った。 最後に小路は「来年の公開に向けて、僕たちもさらに精進して、がんばっていきます」と決意を口にし、一足早く映画を観た観客は拍手で応えた。
第36回東京国際映画祭は10月23日から11月1日まで開催。
©小路紘史
【本文敬称略】(取材・文:後藤健児)
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