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『ロング・グッドバイ』 5月26日よりロバート・アルトマン傑作選がスタート!『マッシュ』の名コンビが新たな情熱を賭けて挑むミステリーの興奮、レイモンド・チャンドラーの世界!

文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2012年2月号、『狼たちは天使の匂い』収録


ハリウッド万歳
ばかげた、見世物じみたハリウッド!
使いっ走りも整備工も
イケメンになろうと必死
水商売のホステスだって
スターになれるかも
扇子持ってちょいと踊れりゃね
運だめしにおいでよ
ドナルド・ダックくらいにゃなれるかも

 映画『ハリウッド・ホテル』(37年)の挿入歌「ハリウッド万歳」は、現在インストルメンタルでアカデミー賞をはじめハリウッド関係のセレモニーのテーマとして使われているので、ハリウッド賛歌かと思っていたが、歌詞の内容は、映画産業のインチキ臭さを揶揄していた。
 この歌で始まるのが、ロバート・アルトマン監督『ロング・グッドバイ』(73年)だ。
 主人公は汚いアパートのベッドで、よれよれのワイシャツと背広のズボンをはいたまま眠っている。やせっぽちでショボクれた容貌、もじゃもじゃの髪が『ゲバゲバ90分』に出ていた「おヒョイ」こと藤村俊二っぽい。
 彼は夜中の三時に飼い猫に起こされた。
「よしよし、お腹が空いたのか」
 でも、猫缶が切れている。彼は車に乗ってスーパーに猫缶を買いに行く。
 でも、目当ての猫缶は売り切れ。代わりに別のブランドの缶を買って帰り、猫ちゃんお気に入りの缶に詰め替えて、猫の目の前で皿に盛る。しかし猫はこんな小細工にだまされない。匂いを嗅いだだけで、そっぽを向いた。せっかく夜中に車を飛ばしたのに!
 実におかしいオープニングだが、レイモンド・チャンドラーの原作の読者はここで怒ったそうだ。「こんな猫の話は原作にない!」「私立探偵フィリップ・マーロウはこんな情けなくない!」と。
『ロング〜』は「最もマーロウらしくないマーロウ映画」と悪名高い。
 マーロウは1939年の小説『大いなる眠り』で登場した、ロサンジェルスの私立探偵。30年にダシール・ハメットが書いた『マルタの鷹』の私立探偵サム・スペードと並んで、ハードボイルドのアイコンになっている。
『大いなる眠り』は46年にハワード・ホークス監督で『三つ数えろ』という映画になっており、マーロウはハンフリー・ボガートが演じた。彼は、『マルタの鷹』の映画化(41年)でもサム・スペードを演じており、ハードボイルドは、トレンチコート姿でソフトを目深にかぶり、タバコを吸うボガートの渋い魅力と結び付けられるようになった。
 そんな無口でタフなボガートと正反対なのが、『ロング〜』のエリオット・グールド。口数ばかり多くて、飄々として、どう見てもヘナチョコ。原作とは似ても似つかない。
 でも、それは当り前。なにしろアルトマンは原作なんか読んでないんだから。
「マーロウ物を監督しないか、と誘われたが、まるで興味がなかった」アルトマンは言う。「原作読んでないし、ボガートの印象があまりに強すぎたからね。でも、脚本を読んで、やることに決めた」
 脚色したのは、四半世紀前に『三つ数えろ』の脚本を書いたリー・ブラケット。ホークス監督のためにジョン・ウェインの『リオ・ブラボー』の脚本も書いている黄金時代ハリウッドの脚本家。スペース・オペラ『キャプテン・フューチャー』の作家エドモント・ハミルトンの妻でもあり、後に『スター・ウォーズ帝国の逆襲』のシナリオも書いている。
 ブラケットのシナリオはチャンドラーの原作とかなり違っていた。特にラストが。「この結末はまったくマーロウらしくなかった。だから、この脚本のラストでいくなら、監督すると言ったんだ」このへそ曲がりめ!
 マーロウ役の候補にはロバート・ミッチャムがあがっていた。原作のマーロウは42歳で、ミッチャムは既に50半ばだったが、彼は、原作の舞台になる40~50年代のハリウッドで数々のフィルム・ノワールに出演しており、ハードボイルドのムードは体に染みついていた。実際、タフガイでもあるし。
 しかし、へそ曲がりのアルトマンがそんなハマリ役をキャストするはずがない。彼は「マーロウをルーザー(負け犬)にしたかった」という理由で、『M★A★S★H』でいいかげんな軍医を演じたエリオット・グールドを選んだ。
 この映画でマーロウは居場所のない男として描かれている。
 隣のアパートを見ると、ベランダで若い女の子たちが裸でヨガをしたり瞑想したり、マリファナでラリったりしている。原作は1953年に発表されたが、アルトマンは舞台を20年後の「現在」に持ってきた。フリーセックスとドラッグの70年代カリフォルニアに。
 この風景からマーロウだけは浮いている。60年代風の細いネクタイをして(70年代前半のネクタイはスルメのように幅広だった)、フィルム・ノワールに出てきそうな50年代のポンコツ車を乗り回す。カーラジオから流れるのも、古臭いスタンダード・ジャズ。

♪長いお別れ、それは毎日あること……

 その歌は実はスタンダードでも何でもなくて、この映画のためにジョン・ウィリアムズが作った「ロング・グッドバイ」というオリジナル。ウィリアムズはもともとジャズ畑の人だった。
 店に入ったマーロウは店員に話しかける。
「この音楽、気づいた?」
 そう、店内のスピーカーから流れるBGMは主題歌のインストなのだ。この映画では同じ主題歌が様々なアレンジで使われている。メキシコの場面では、マリアーチ風に演奏される。
 だから、マーロウのこのセリフで「音楽のギャグ、気付いた?」と観客にウィンクしているわけ。こんなセリフ、ブラケットの脚本にあるはずがない。アルトマンのお遊びなのだ。アルトマンは『M★A★S★H』でも、米軍基地内のアナウンスで「本日、上映する映画はロバート・アルトマン監督の『M★A★S★H』です」と言わせたり、映画と現実の境界を壊すギャグが好きだ。
 ちなみに猫のエピソードも脚本にない。アルトマンの知り合いの話を元にしている。
 このようにどうでもいい遊びを10分ほどやってから、やっと本筋が始まる。猫に嫌われたマーロウのアパートをテリー・レノックスという友人が訪ねてくる。まだ夜明け前なのに。夫婦喧嘩して家を飛び出したと言う。頭を冷やすために国境を越えてメキシコに行きたいというレノックスの頼みを聞いて、マーロウは車を飛ばしてティファナに往復する。
 自宅に戻ってきたマーロウは警察に逮捕される。殺人犯の逃亡を助けた罪だ。
「誰が誰を殺したって?」
「レノックスが自分の女房を殴り殺したんだ」
 マーロウは厳しい取り調べを受けるが、突然、釈放される。
「レノックスがメキシコで自殺した。これでこの事件は終わりだ」
 どうにも釈然としないマーロウは、ある人妻から、行方不明の夫を捜索してほしいと依頼される。依頼人の家は、マリブ・コロニーという、海岸沿いの高級住宅コミュニティで、レノックス夫妻の隣人だった……。
 しかし、ストーリーはあまり重要じゃない。特にチャンドラーの小説はミステリーとしては緻密さや整合性に欠ける。それよりも、まず、探偵の前に次々と登場する怪しい美女、冷酷な悪党、哀しい人、おかしい人……そんな人間模様を味わうことだ。
 行方不明の夫ロジャー・ウェイド(スターリング・ヘイドン)はかつての大ベストセラー作家だった。妻は20歳ぐらい年下のブロンドの美女アイリーン(ニナ・ヴァン・パラント)。マーロウは彼女の頬に青痣を見つける。ウェイドは既に何年も本が書けず、酒びたりで、妻に暴力も振っているらしい。
 マーロウの家に今度はギャングたちが現れる。地元のボス、オーガスティン(マーク・ライデル)がレノックスに預けた金を取り返しにきたのだ。オーガスティンは決してヤクザ風に凄まず、紳士的にマーロウを問い詰める。「俺は妻子を大切にする常識人だ」と言うオーガスティンだが、「妻子の次に愛している」という若い愛人を連れ歩いている。
「見ろ、美しい顔だろう」と愛人をマーロウに自慢したかと思うと、いきなりコーラの瓶で彼女の顔を殴った。瓶は木端微塵に砕け、愛人は血みどろの顔で絶叫する。
 マーロウのような奴をいくら殴っても無駄だと察したオーガスティンは、直接殴るよりも効果的に恐怖と狂気を伝える方法を選んだのだ。オーガスティンを演じるマーク・ライデルの本業は映画監督で、後に『黄昏』でアカデミー賞候補にもなっている。このオーガスティンの部分も原作にない。後の『グッドフェローズ』のジョー・ペシに先駆けた狂演だ。
 チャンドラー小説のもうひとつの楽しみは、マーロウの一人称による、粋で皮肉で、含蓄のある語り口。『ロング〜』にも「さよならを言うのは、ほんの少しだけ死ぬこと」などの名セリフが散りばめられている。ところがアルトマンの映画版には一切、原作の名文は登場しない。なぜなら、ほとんどの会話シーンがアドリブで撮影されたからだ。
『ロング〜』の自由気ままな撮り方は時代のムードを反映している。
 70年代のカリフォルニア、青い空に白い雲、青い海に白い砂浜、女の子たちはみんな小麦色に日焼けし、ナチュラルなストレートの髪を長く伸ばして真ん中で分け、ノーブラにジーパン、インドやインディアンのアクセサリーをつけて、お香を焚いて、ゆらゆらと体を揺すっている。テイク・イット・イージー、気楽にやろうぜ。
 アルトマンとグールドはこの時代に場違いだと言うが、そのシニカルなキャラクターは、当時、早川義夫が歌っていた「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という歌を思い出させる70年代的アンチヒーロー像だと思う。
 マーロウ以上に場違いなのは、マリブ・コロニーのゲートを管理する警備員だ。彼は黄金時代のハリウッド映画の大ファンで、ジェームズ・スチュワートやウォルター・ブレナンなど往年のスターのセリフを真似するのだが、マーロウ以外はわかってくれない。
 警備員はフィルム・ノワールの名作、ビリー・ワイルダー監督『深夜の告白』(44年)の主演女優バーバラ・スタンウィックの真似もする。『深夜の告白』以来、映画ではファム・ファタール(運命の女)は登場シーンで必ず吹き抜けの階段を下りてくるようになった。『ロング〜』でも、ウェイドの美しい妻アイリーンは吹き抜けの階段を下りてくるのだが、着ているのがドレスじゃなくて木綿のチュニックみたいなカジュアルな服だし、山小屋風の素朴な木の階段なので、全然ドラマチックに見えない。70年代のナチュラル志向はフィルム・ノワールに合わないのだ。
 西海岸のきらめく陽光が、この映画では滲んだように淡く見える。これは「フラッシング」という手法で、撮影したネガを現像前に少しだけ光に当てて感光させる。しかし仕上がりはまったく予想できない。実際、ウェイド家でのパーティ・シーンでは室内の黒味が色あせてしまっている。デジタルが存在しない時代ならではの危険な方法だ。
 撮影監督のヴィルモス・ジグムントはもうひとつ実験をしている。1度もカメラを固定せず、絶えずカメラを動かしながら撮影した。原作の一人称をカメラで表現しようとしたのだという。チャンドラーの『湖中の女』の46年の映画化では、全シーンをマーロウの視点から撮影したので、観客にマーロウが見えるのは、彼が鏡を見るシーンだけだった。そこまで極端ではないが、ジグムントは全シーンにマーロウを無理やり入れ込むという離れ業を行った。
 たとえば、ウェイドが妻アイリーンと2人だけで話している場面にマーロウはいないが、窓に砂浜で遊ぶマーロウを窓に反射させて写り込ませている。次の場面は逆。マーロウとアイリーンが2人で話している。夫との関係に苦しむアイリーンにマーロウは同情し、彼女への好意が芽生えている。しかしカメラが2人の間の窓にズームインしていくと、夜の海岸でウェイドが海に向かって歩いて行くのが見える。自殺するのだ。
 書けなくなったアル中作家ウェイドを演じるスターリング・ヘイドンは50年代のフィルム・ノワールや西部劇のスターだった。スタンリー・キューブリック監督の『現金に体を張れ』(56年)の主役でもある。しかし62年、彼はハリウッドの豪邸を処分して、サンフランシスコ郊外に停泊させた船で暮らすようになった。当時、彼が書いた自伝にはハリウッドに対する嫌悪感が綴られている。
 ヘイドンは第二次世界大戦中、アメリカ軍の諜報員としてユーゴのパルチザンを支援した。その流れで彼は戦後、共産党の一員になったが、赤狩りで追及され仲間を密告するよう強要された。ハリウッドで赤狩りを正面から批判したのはハンフリー・ボガートなど少数だけで、それ以外の人々は我が身を守るため仲間を売り、追放に手を貸した。
 ハリウッドから離れてからのヘイドンはアメリカの暗黒面を象徴するような役に意欲を示した。キューブリックの『博士の異常な愛情』(64年)ではソ連の陰謀で自分がインポになったと信じて世界核戦争の引き金を引く狂気の軍人を怪演し、『ゴッドファーザー』(72年)では腐敗した邪悪な警察官を演じた。アルトマンはヘイドンの起用に不安だったが、ヘイドンは絶望した作家の内面に入り込み、現場をほとんどアドリブで演じてアルトマンを驚かせた。俳優よりも船乗りになりたかったというヘイドンにとって、ハリウッドを逃げ出して海に消えるウェイドは、彼自身だったのだろう。
 ウェイドが小説を書けなくなった理由は描かれない。だが、『ロング〜』を訳した村上春樹は、ウェイドのモデルはハリウッドに脚本家として雇われてアルコール依存になったチャンドラー自身、それに、同じくハリウッドに雇われてアル中になったフィッツジェラルドではないかと書いている。黄金時代のハリウッドは成功した作家を次々に脚本家として「飼って」いた。莫大な金の代わりに、商品を作らされるうちに精神的に崩壊する文学者も多かった。『三つ数えろ』をブラケットと共に脚色したウィリアム・フォークナーもハリウッドで酒に溺れた。
 ハリウッドの囚人になったチャンドラーは、金や名声のために平気で裏切りを重ねる人々を山ほど見て、その嫌悪感を『さらば愛しき女』や『ロング〜』に込めている。マーロウが目撃するのは、欲望に目がくらんで愛や友情を裏切り、自分の魂を腐らせる者たちだ。
 マーロウはさんざん振り回されたあげく、友人レノックスが死んだメキシコの町に行く。地元の警察は、ちょっと賄賂を渡したら簡単に白状した。レノックスの自殺写真も、葬儀も、警察とレノックスが仕組んだ偽装だったと。メキシコで優雅に暮らすレノックスは、訪れたマーロウを笑顔で迎えた。彼は、ウェイドの妻アイリーンと愛し合っていた。それに気づいた妻が叫んだので殴ったら死んでしまった、と言う。
「君のカミさんの顔は完全に潰れてたぞ」
 マーロウはやはりレノックスの逃亡のために利用されただけだった。
「悪いな、マーロウ。君はやっぱり負け犬だ」
「ああ、猫も帰って来ないしな」
 そう言うなり、マーロウは背広を跳ね上げると腰に差したスナッブノーズのリボルバーを一瞬で引き抜き、一発でレノックスの心臓を撃ち抜いた!
 これには本当にびっくりした。この瞬間まで、この映画では一発も銃声は聴こえないし、画面に銃すら登場しない。しかも、マーロウはずっとヘラヘラとふざけ続け、殴り合いすらしないのに、丸腰の男をいきなり射殺するのだ。
 原作のファンはもっと驚いただろう。原作でのマーロウはレノックスを殺さないし、そもそもマーロウはマイク・ハマーのように悪人を自分の手で処刑するキャラではない。
 射殺で終わらせたのはブラケットだが、このためにアルトマンは映画化を引き受けたのだ。
 友人を葬ったマーロウは並木道を歩いて行く。向こうからアイリーンの乗るジープが走って来る。愛するレノックスと結ばれるため、彼女もまたマーロウを利用した。すれ違いざまに彼女はマーロウに気付いて車を止めるが、彼は一瞥もせずに去っていく。
「『第三の男』だよ」アルトマンは言う。
 キャロル・リード監督『第三の男』(49年)も、自分の死を偽装したハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)と、その親友ジョセフ・コットンの物語だった。コットンはライムの恋人アリダ・ヴァリに惹かれ、ほのかな三角関係が生まれる。ライムは冷酷な悪党で、コットンは友情とモラルの間で引き裂かれるが、結局警察に協力し、ライムを倒す。最後に並木道でコットンはアンナに再会するが、彼女は一瞥もせずに去っていく。
 BGMはメキシコ風の「ロング〜」から「ハリウッド万歳」に変わる。

ハリウッド万歳
インチキで陳腐なハリウッド!
故郷では地味だったあんたも
スターになれるかも
マックス・ファクターさんに会いなさい
サルでもイケてる感じにしてくれる
30分もあれば
あんたもタイロン・パワーさ
ハリウッド万歳!

「この映画はまさにそういう内容だから」とアルトマンは言う。たしかにロサンジェルスが舞台だが、ハリウッドの映画産業は一切絡んで来ない。
 アルトマンはスタッフやキャストに原作小説ではなく、チャンドラーが書いたエッセイを配ったという。そこにはハリウッドへの嫌悪や自殺願望が書かれていた。つまりアルトマンにとって『ロング〜』の主人公は自殺するウェイドだった。ウェイドの自宅はアルトマンの自宅で撮影されている。彼はウェイドに感情移入していたのだ。
『ロング〜』は予想通り、原作や『三つ数えろ』と比較されて酷評され、興行的にもいまひとつだった。プロデューサーのエリオット・カストナーは『さらば愛しき女よ』の映画化権も持っていたので、最初の予定通り、ロバート・ミッチャムにマーロウを演じさせて75年に映画化し、原作ファンから絶賛された。『ロング〜』はシニカルで前衛的で、監督の独りよがりな思いを込めた、コメディのようで突然のバイオレンスで終わるいびつな作品だ。
 しかし、これに多大な影響を受けた男が日本にいた。松田優作である。
 彼は『探偵物語』(79年)で、背がヒョロ高くて、ふざけたへらず口ばかり利いてる私立探偵工藤俊作を演じた。隣に住むファッションモデルの女の子たちとの不思議な関係、楽屋落ちを視聴者に向かって話しかけたり、『ロング〜』と共通点が多い。特にマーロウが自分の監視役のチンピラを徹底的にからかうギャグは、松田優作がよくやる、アドリブでの共演者いじりとよく似ている。
 松田優作は初監督作『ア・ホーマンス』(86年)でヤクザのボスを演じるポール牧に、決して声を荒げたり怒鳴ったりせず、いつも静かに上品に話すように演出した。そのボスは表情も変えずにいきなり部下の口に剃刀を突っ込んで切り裂く。『ロング〜』のオーガスティンのように。
 ちなみにオーガスティンの用心棒を演じる筋肉男は無名だったアーノルド・シュワルツェネッガーだ。『さらば愛しき女』ではヤクザの用心棒役で、無名時代のシルヴェスター・スタローンが出演している。また、69年にチャンドラーの同名小説を映画化した『かわいい女』では、マーロウを襲う殺し屋役でブルース・リーが出ている。なぜ、フィリップ・マーロウは筋肉アクション・スターの登竜門なのか?

ロバート・アルトマン傑作選
5月26日より6月15日、角川シネマ有楽町、以後。全国順次ロードショー
『雨にぬれた舗道』『イメージズ』『ロング・グッドバイ』

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