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特別上映企画ルポ 「今ここにいない人たちへ」3月11日、篠崎誠監督作品4本が上映。寺島進、斉藤陽一郎も登壇し、一期一会の映画上映への想いを共に語り合った

 2011年3月11日に発生した、東日本大震災から今年で12年。篠崎誠は『あれから』、『SHARING』、『共想』と震災がもたらした社会、人心の変化にまつわる映画を作り続けてきた。今年の3月11日、東京・新文芸坐でこれら3作品と、篠崎の商業長編監督デビュー作『おかえり』が上映。『おかえり』の上映前には、本作が映画初主演となった寺島進が篠崎と共に登壇。また、『共想』上映後には、昨年の3月に逝去した青山真治監督の”北九州サーガ”『Helpless』『EUREKA』『サッド ヴァケイション』に出演した斉藤陽一郎と篠崎のトークが展開された。

3月11日に上映された篠崎誠監督の4作品

 篠崎誠は『おかえり』(1995)で長編監督デビュー。『忘れられぬ人々』(2000)や『東京島』(2010)、北野武監督『菊次郎の夏』のメイキングドキュメンタリー『ジャム・セッション 菊次郎の夏<公式海賊版>』(1999)等の作品を手掛ける一方、殺し屋たちの残酷バトルロイヤル『殺しのはらわた』(2006)や究極のホラーが世界に呪いを拡散させる『死ね!死ね!シネマ』(2011)等、往年のジャンル映画を思わせる血と暴力に彩られたインディーズ作品も発表。また、立教大学現代心理学部映像身体学科教授として、学生たちへの指導や、彼らとコラボレートした映画づくりも精力的に行っている。

自身の作品に込めた思いを語る篠崎誠

 この日、上映されたのは、(上映順に)『あれから』(2012)、『おかえり』(1995)、『SHARING』(2014)、『共想』(2018)の4作品。東日本大震災の翌年に公開された『あれから』は、東京で3.11を経験した人々の、日常と非日常の狭間で感じる不安と、被災地との距離感が恐ろしくも、しとやかに描かれる。忘れえぬ震災の記憶が何気ない日常の中に不気味に忍び込み、現実的な恐怖に晒されながらも、被災地の恋人を想う主人公の祥子(竹厚綾)はときに幻想をもってそれを超えようとする。映画における、フィクショナルな存在へ託す想いにも溢れた豊かな作品だ。
 一組の男女が主人公で、精神的に追い詰められた相手を戸惑いながら気遣い、共に寄り添う物語の『あれから』は、篠崎の長編デビュー作『おかえり』と通じるものがある。『おかえり』は、ある夫婦の物語だ。ごく普通の生活を送っていた2人の日常はある時期から変容していく。心を病んだ妻(上村美穂)は、”見回り”と言い、近所を徘徊する。組織に狙われている、と怯える妻の言葉や行動を理解できず、困惑する夫(寺島進)。精神の失調をオーバーアクトで表現せず、俳優の顔にカメラが肉薄することで、まるでピクピクと音が聞こえてきそうな程の表情の変質がフィルムに刻印される。だが、ドキュメントタッチと括ることのできない、フィクションの飛躍が映画にマジックを与える。早朝、組織から町を守るための見回りに出かけた妻。夫は気づかれぬように、そのあとをつける。冥界へいざなうかのような濃い朝靄に包まれた町の路上を抜け、ある丘へとたどり着く。そこは空にも靄の幕がかかり、周囲に人も建物も見えない、まさに最果ての地。女は現世の淵に立つ。もう自分の知っている彼女ではない、別の人間に変わってしまったかのような伴侶を目撃する男が見せる、驚愕の表情。心象風景、場面の転回、テーマの説明、それらを台詞のない映像だけで描写していく。極めて映画的な名シーンだ。ベルリン国際映画祭最優秀新人賞、モントリオール世界映画祭新人監督グランプリ、東京スポーツ映画大賞監督賞などを受賞した、鮮烈なデビュー作である。
 登壇した寺島は「コロナ禍で自粛規制とかあった中、心のバランスが崩れた方もいらっしゃると思いますけども、この映画を通して、見つめ直してくれれば」と不安な社会で生きざるえない現代に、本作が上映されることの意義を伝える。
 篠崎は、この日の上映劇場の思い出から話を始める。「昔、旧文芸坐のときに、是枝裕和さんの『幻の光』と二本立てで最初にやってもらったんです」と懐かしそうに語った。

初主演作を懐かしそうに振り返る寺島進

 本作は夫婦の物語だが、篠崎も寺島も当時は独身だった。篠崎は「この映画を撮ってる頃は寺やんも僕もまだ結婚してない。結婚というものがよくわからないままでも、夫婦の話をやりたいと言っていて。いまだに覚えてるんだけど、”なんでカップルじゃダメで、夫婦でなきゃいけないんだ?”と寺やんから問いかけられ、うまく答えられなかったんです」と試行錯誤しながら突き進んだテーマであったことを明かす。
 寺島は「あの頃はいろいろ疑問があり、ディスカッションをして。室生犀星のポエムとか、あの辺がすごくヒントになったかな」と先人たちの書物からも多くのインスピレーションを受けたことを語った。
 当時を振り返るうち、2人が気を張っていた現場での葛藤に話が及ぶ。「お互いにまだ30歳になったばっかりだし、寺やんの初めての主演作で、私にとっても商業映画としては初めての作品だった。思い入れの強い分、話し合ったりもした。その上で、言葉を尽くすんじゃなく、一回稽古をし、それで合わなかったら、またもう一回仕切り直そうかって」とコメント。その話しぶりから、現場では相当な奮闘劇があったであろうことがうかがえた。
 監督、主演俳優は若かったが、彼らを支えたのは熟練のキャスト、スタッフたちだった。寺島は「他界された青木富夫さん、撮影の古谷伸さんとか、素晴らしいベテランの方々が協力していただいた。そんな、いろんなものが凝縮されたものなんじゃないのかな」と当時を思い返しながら語った。
 篠崎も「(実際の職業と同じ精神科医役で出演した)精神科医の高橋紳吾さんも、残念ながらお亡くなりになりました」と偲ぶ様子で語る。次いで、映画の創世記から携わってきた人々との共作であることをあらためて振り返り、「これはこのときじゃないとできなかった」と、唯一無二のショットで綴られた映画であることを説明した。
 そして、2人は観客に向けて挨拶をし、壇上から降りていった。
 本作はDCP化されておらず、DVDやBDにもなっていない。この日の上映は35ミリフィルムで映写された。来場者のひとりに話を伺うことができたが、その方は寺島のファンということで来場されたそうで、いわゆるミニシアターと呼ばれる映画館に来たのは今回が初めてだと話し、またフィルム上映で映画を観ることも初体験だったという。30年近く前に作られ、時の経過を刻んだフィルムが、今また新しい観客と映画を結びつけた。映画がもたらす、一期一会の出会いである。

『SHARING』ポスター

『おかえり』に続いて上映されたのは『SHARING』。東京にある大学の心理学科準教授・瑛子(山田キヌヲ)と、演劇科の学生・薫(樋口明日香)の2人を軸に、3.11の悪夢と再生を描いた野心作だ。
 瑛子は「3.11が起きる前に震災の夢を見た」と訴える人々が多くいることに興味を抱き、調査を行っていた。彼女は震災で恋人を失っており、今でもつらい記憶に苦しみ、恋人が出てくる夢を度々見ていた。ある日、瑛子は恋人の姿を大学構内で目撃する。その頃から、周囲で不可思議な現象が起こり始めていく。一方、薫は卒業公演として、3.11をテーマにした舞台の稽古に励んでいたが、テーマに対してうしろめたさを感じる共演者から、震災を経験していない自分たちが演じることの是非を問われてしまう。薫は舞台稽古をきっかけとして見続けるようになった震災の夢にうなされており、ふとしたことから、瑛子に夢の内容を相談する。3.11の記憶にさいなまれる2人が出会ったとき、何が起こるのか。
 震災が奪ったかけがえのない命と、残された人々の想い。そして、原発という人類が生み出したものがもたらした災厄(山田キヌヲは撮影前に夜行バスでひとり福井を訪れ、劇中にも登場する高速増殖炉「もんじゅ」の前に行き、ずっと眺めていたという)。2つの大災害を描くにあたって篠崎は、高校時代に撮った短編でも扱った”ドッペルゲンガー”や”予知夢”の要素を再び活かし、さらには虚偽記憶や神、テロリズムの恐怖もテーマに取り入れた。
 それらを表現するために、Jホラー的な幽霊演出や爆発などのスペクタクルな特撮まで用い、篠崎が培ったジャンル映画の手法を結集させ、ホラー映画の形態として仕上げた。夢と現実の狭間で彷徨し、魂の救済を求める者という構造は、エイドリアン・ライン監督の『ジェイコブス・ラダー』を想起させる。
 戦慄のホラー作品だが、瑛子の友人を演じた木村知貴が見せる、飄々とした愛嬌あるキャラクターは一服の清涼剤とも言える。この日、上映された他の作品も重いテーマを扱い、喉がひりひりしてきそうなシリアス調だが、どの作品にも、ユーモラスな給水スポット的シーンが用意されている。そこには、娯楽としての映画の力を信じる篠崎の信念が表れているように見えた。

『共想』ポスター

 そして、4本目となる最後の上映作は、2017年に撮影された『共想』。都内に暮らす、幼なじみの珠子(松下仁美 ※正確には「松」は異体字)と善美(矢崎初音)。東日本大震災の日、彼女らは高校生だった。3月11日の珠子の誕生日に、震災は起きた。震災を境に変化していく彼女らの関係性と、それぞれが向き合う自己や死生観。過去か現在か、空想か現実か、判然としない日常のポートレート集とも形容できるこの映画。『SHARING』では虚偽記憶をテーマとしていたが、本作では離人症をテーマのひとつとし、異なるアプローチで、死と災厄がもたらす人心の変容を描いていた。カラーグレーディングに時間をかけたというだけあって、大学構内の真っ白な壁、丘に生える草の緑、夜空の闇黒と文明の存在を際立たせる青や黄色のネオンサイン、そして、いまはなきニュー八王子シネマ(2017年1月31日に閉館)の赤を基調とした館内の内装など、原色へのこだわりが印象深い。撮り方の構図も、色調を念頭に置いて考えられているように思えた。今回の特集上映中、最も空間設計が強く打ち出された作品ではないだろうか。
 本作にも、あの”丘”が登場する。『おかえり』での丘は、まるでルチオ・フルチの地獄ホラー『ビヨンド』と見紛う冥界のような描かれ方をしていた。それに対し『共想』では、青空が広がり、都会のビル群も立ち並んでいる、こちら側の世界だ。さらに外部の喧騒も入り込む。学校のチャイム、子供たちの声、サイレン、飛行機の音など、世界の複雑さを凝縮したかのような音の波は実際にその場で録られた自然のものだという。この場所で、珠子と善美が向かい合い、お互いの心情を吐露する場面は感動的だ。
 上映前に篠崎が本作を含めた、この日の上映作品についての思いを口にする。「こういう形で3月11日に4本、自分の作品がまとめて上映されるのは本当にありがたいことです。1994年に『おかえり』を撮影しまして、翌年、編集の最中に阪神淡路大震災が発生し、オウムの地下鉄サリン事件があり、それを経て、95年の5月31日に『おかえり』が完成しました。先ほど『おかえり』は皆さんと一緒に中で観させていただいてたんですけど、このときにしか撮れないようなものが、映画のよし悪しとは別に映っていたような気がすごくしています」と真摯に述べた。続けて、テーマや物語の異なる4本の上映作品の共通点を説明する。「たぶん、僕の中で唯一共通してることは、『おかえり』を撮ったことが一番大きいんですが、”俳優のドキュメンタリーを撮る”という気持ちがあるんですね。それはフィクション映画で物語があって、脚本が書かれていても、やはりカメラが回る瞬間に、俳優の人たちが物語の設定をなぞるのではなく、それを越えて生身の人間として動き、そのことが映画を牽引していく。自分はそれを見届けるのが好きなんだなっていうことをあらためて感じました」と篠崎自身にとっても、この日の上映は新たな気づきを得られたものだったようだ。「今日、これからご覧になっていただく『共想』は、キャストのお2人は日本映画学校(現:日本映画大学)の卒業生なんですけども、スタッフは私が関わっている立教大学の現代心理学映像身体学科の学生たち。彼らと一緒に撮った映画です。カメラマンも録音技師もそうです」と映画を学ぶ者たちとのコラボレーションで作り上げられた作品であることを伝えた。
 昨今、創作現場における搾取の構造が問題視されているが、「『共想』はスタッフ全員が立教の学生であると言いましたが、やりがい搾取はしていません。ちゃんと、所定の時給もお支払いして、労働時間が8時間を越える場合は25%上乗せしました」と明言した、教育者でもある篠崎は毅然とした表情だった。
 上映前舞台挨拶の最後には、育っていった教え子たちを思いながら話すように締めくくる。「関わった人たちもそれぞれの場所で自分自身が監督作品や脚本作品を作ったり、俳優だったり、あるいは撮影者として、活躍しています。すごく頼もしい限りです。俳優たちと一緒になって作ったのが今日の映画なので、私が一方的に演出するのではなく、俳優の中から生まれてくる自発的なものを大事にしながら撮った映画だという風に思っていただければ」と言い、壇上を降りた。

『おかえり』と『共想』に登場する重要な”丘”をフィーチャーした、今回の特集上映用ポスター

 4作品の上映が終了した。3月11日のこの日、これらの作品を連続して上映したことには大きな意味があったのではないだろうか。『共想』の英題は「Wish we were here」という。これは、ピンク・フロイドの名曲「あなたがここにいてほしい」(原題:Wish you Were Here)を意識したものと思われるが、この曲の中でこう歌われる(訳詩は筆者の意訳)。 

 Running over the same old ground
 What have we found?
 The same old fears

 ずっと変わらない場所を駈けずり回って
 何を見つけたかって?
 ずっと変わらない不安だよ

 『あれから』、『おかえり』、『SHARING』、『共想』は基本的に舞台が移動し続けることはなく、いくつかの同じ場所で物語が展開される。物理的な場所は変わらないが、そこにいる人々の関係性は悲しくも変容していき、彼や彼女は、よりよい明日を目指して駈けずり回る。そして、たどり着いた先で見つけたものは、やはり終わることのない不安感だった。しかし、常に不安だからこそ、生者たちは寄り添い、あるいは死者へ思いを馳せる。そうやって、皆、共に想うのだろう。
 上映後、篠崎と斉藤陽一郎が舞台に上がり、『共想』を中心に語り合った。斉藤は『共想』をあらためて観て、「ものすごい好きな映画。この好きな感じはなんだろうと思っていて、いまだにその答えは出てないんですけども。今日、久しぶりにスクリーンで観て思ったのは、自分との対話の時間がすごくあるというか」と話す。続けて、黒沢清監督『CURE』を引用し、「『CURE』で萩原聖人さん演じる間宮が”自分の中のものが全部、外に出て、だから、あんたのことが分かる”と洞口依子さん演じる医師に言う台詞があるんですけど。映画を観てるときって、自分の中にあるものが全部、外に出て、それの反射が自分に返ってくる」と分析。
『共想』の中で、聖職者が失われた命について語る場面がある。斉藤は「中盤のチャプレンの説教シーン。かけがえのなさを聴いている時間が心地よくて、なんとなく、僕の中で篠崎さんの映画を観ることは、ミサに通う感覚です。あちら側のことを考える時間にもなるし、あちら側の入り口を見せてもらっているような」とコメント。

『共想』から感じた思いを語る斉藤陽一郎

 かけがえのない人の死と、それへの向き合いについて、篠崎が話しだす。「去年の3月に亡くなった青山真治さんの死ということもあるんですけども、自分の中での映画を観ることの距離感がより強固に、死との向き合い方や、かけがえのないものとの向き合い方を感じるようになった」と語る。
 震災後、死者を想うことと、映画づくりの関係について考えるきっかけには、2011年の夏頃にイタリアから舞い込んだ仕事の影響もあったという。アジア映画に特化した、イタリアの映画祭・アジアティカフィルムメディアーレ(Asiatica Film Mediale)絡みのその仕事内容は、かつて世界中にカメラマンを派遣して撮ったドキュメンタリー映像の中から、日本で撮られたものについて、篠崎に編集してほしいというものだった。「日本では戦前から68年くらいまで、28時間くらい。それを15分くらいの短編に編集しなおしてくれ、と。ティピカルな戦争関連のところが20時間くらいあったんです。紋切型の戦意高揚の映像は使わないようにしました。唯一子供が戦争ごっこしてる映像だけ使いました。笑ってしまう一方よく考えたら怖いかなと。それ以外は子供を中心にして、なんでもないような日常的な映像を使いました。編集して最後の段階でふっと思ったのは、これを撮った撮影者は亡くなられているし、映ってる人たちもほとんど亡くなってるかもしれないということでした。じゃあ、自分はこの世にはいない人たちとコラボレーションしながら、映画を作ってるんだなと。で、何かこう映画を作る行為は生きている人たちと一緒にやるわけですが、いずれ私たちも亡くなってしまうし、でも一方で生きてる人たちも死者を背負っていて、残された映画に宿る」とかつての生者たちについて話した。
 それから、篠崎は青山真治がかつて『boidマガジン』に連載していた日記『宝ヶ池の沈まぬ亀』に書かれていた内容を引用しつつ、語りだす。「青山が遺作として撮ろうとしていた作品があり、そのために彼はいろんな書物をひもといていて。『死者と霊性』(岩波書店)という本を晩年の青山は読んでいたんですね」と言い、その本の中で安藤礼二が記した、表現とは死者と共になされるもの、というくだり、青山が感銘を受けたであろう、日記で言及されていた箇所を読み上げた。
 篠崎は学生たちとコラボレーションして映画を作っているが、青山真治も多摩美術大学映像演劇科の教授在任中(2012~2015)に同科の学生たちと中篇映画を制作していた。「(青山は)多摩美の学生たちと1年に1本ずつ、三部作の『FUGAKU』という映画を撮っていて。第三部がある種、すごい綻んでる。酔っ払った青山真治が映っていて。あ、これこれ、これが俺らの知っていた青山、っていうのが映ってる。カッコいいとは言えない姿を編集の段階でカットせずに、ちゃんと残してる。そういう青山の様子を慈しむように撮っている学生たちがいて、最後にスタジオでライブをしている。こういうコラボレーションのしかた、自分は先生だという強い立場ではなく、学生たちと横並びなんですよ。彼はバンドを組むみたいに、チームを組んで本気で学生たちとつき合ってたというのを突きつけられました。”篠やん、そんなことでふらふらしていいの?”この1年間ずっと青山から𠮟られている気がします。誰も青山と同じことはできませんが、今後学生たちと一緒に映画を作ることがあるとしたら、考えざるをえない。青山真治がいたことを忘れて今後映画は作れないんですよ。肉体は消えてしまったけども、彼の影響はいまだに受け続けてるんじゃないか」と語った。
 この日の特集上映は「今ここにいない人たちへ」と題された。上映作品に関わった人々への篠崎の思いとは。「『おかえり』の撮影者、古谷伸さんは、黒澤明のデビュー作『姿三四郎』の現場で撮影助手でした。本当はサックス奏者を目指していて音楽をやりたかったけど、戦争になり、敵性音楽ということでダメになって。『おかえり』で青木富夫さんというかつて子役として突貫小僧の役名で知られた俳優が語る場面があるんですが、あれは古谷さんの話が入っています」と『おかえり』の秘話を明かしながら語る。「撮影機材が極貧だったので、ドキュメンタリーの巨匠・瀬川順一さんから、エクレールというキャメラを借りました。瀬川さんが生前よく言っていたのは”キャメラマンはフレームの中に映らない。俺は映っていない。でも、いないけど、いるんだ”」と巨匠の言葉を伝えた篠崎は続けて、「(『おかえり』で)精神科医を演じた、本当の精神科医だった高橋紳吾先生も。関わった人たちがこの二十数年でお亡くなりになっている」と話す。彼がこの日、『おかえり』を観直したことで感じたのは、1本の作品として観ることではなく、該当のショットを撮影しているときの撮影者、古谷の息遣いであったりと、瞬間の思い出だったという。”瞬間”は、篠崎が現場で追い求めているものでもある。「今日の4本、それぞれ違ったテーマ、思いで撮ってるんですけど、自分の撮り方の手癖は別として、俳優のドキュメンタリーを撮りたい。その瞬間しか出せない、繰り返せないものを撮りたい。だから、クローズアップが多くなる。それは技術論じゃないんです。俳優の微細な表情、長いまつげの寺島進がまばたきする瞬間や、山田キヌヲさんの唇の震えとか、それを撮りたいと思うと自然とカメラが寄っていく」と作品づくりに対する思いを明かした。
 斉藤があらためて、自分にとっての『共想』が何なのかを話す。「自分の中に流れている時間と相性がいいというか。折に触れ、観たくなる映画。皆さんとまた観て、共に想う時間を持つことが、またなんか、今ここにいない人との時間を紡いでいくというか、皆さんの中で『共想』という映画が、かけがえのない作品になってもらえたら」と語り終えた。
 そして、最後に篠崎の口から語られたのは、今年逝去した、映画評論家の山根貞男が残した言葉だった。「山根さんも人をつなぐ人だった。ご自宅で闘病しながら最後まで原稿を書いていた。一番最後に書いた原稿が、阪本順治さんの新作のコメント。それが亡くなる数日前。どこまでも、本当に映画のために生きてる人だった。山根さんが生前よく言っていたのが、”映画の恩と書いて、映恩が大事だ”」と山根を偲びながら、彼が残した言葉を我々に伝える篠崎。続けて、「ある時に僕が悩んでいたときに山根さんが“つまらないプライドなんて、犬に食わしちまえ”と。監督のプライドなんかどうだっていいんだな、映画がちゃんとすればいいんであって。キャメラの前で動く俳優と、キャメラの後ろで見守るスタッフと一緒にやる。監督ひとりじゃなくて、皆で作っていく。青木富夫さんがよく飲むと言ってたのは、”映画は監督のものじゃない、俳優のものでもない、みんなのものだ”と。そういうことの重みが年を経るに従って、すごくある。その”みんな”っていうのは代えのきかないみんなで。今日のチャプレンの話じゃないけど、あれは実際に撮ってるんです、(震災から)6年後にはあんなガラガラだったんです。震災の年は満杯だったのが。それをひっくるめて一期一会で」と語り、一期一会の大切さを訴える。「配信を否定するわけではないんですけど、私にとって、現場というのが一期一会なように、今この劇場にいらっしゃるお客さんたちも二度とこのメンバーが集まることはないと思うんです。そういう意味では、(撮影)現場があって、また劇場で一期一会で、ようやく映画が出来上がってくる感じがします。本当に皆様、ご来場いただきまして、ありがとうございます」と、またいつかの機会に映画を通して出会えることを期待しながら、観客に礼を述べた。【本文敬称略】
(取材・文:後藤健児)

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