『セブン』町山智浩単行本未収録傑作選13 90年代編6 『ゾディアック』の礎ともなる殺人鬼映画の傑作はデヴィッド・フィンチャー自身のハリウッドへの復讐劇だった!
文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2006年11月号
お前は俺にお前を犯させる
お前は俺にお前を汚させる
お前は俺にお前を貫かせる
お前は俺にお前をかき乱させる
Help Me 俺は内側から壊されていく
Help Me 俺には告げ口心臓がない
Help Me 俺を俺から救ってくれ
お前をFuckしたい 獣のように
お前を感じたい はらわたを割いて
俺の存在のすべては過ちだ
お前は俺を神に近づける!(ナイン・インチ・ネイルズ「クローサー」)
鯨のように肥満した男が、アパートの台所のテーブルで死んでいた。皿の上のスパゲティに顔を突っ込んだまま。大量のスパゲティで胃袋が破裂している。食いすぎによる自殺? いや、男の手足はワイヤーで縛られ、こめかみには拳銃の銃口を押し付けた痕が残っていた。何者かが男を銃で脅して無理やり食べさせ、胃袋を蹴飛ばして殺したのだ。誰が? 何のために? 男のアパートの壁にはこう書かれていた。
「Gluttony(飽食)」
それは「七つの大罪」のひとつだった。中世のカソリック教会は人間を堕落させる7つの罪を次のように定めた。
Pride(傲慢)、Envy(嫉妬)、Wrath(憤怒)、Sloth(怠惰)、Greed(強欲)、Gluttony(暴食)、そしてLust(色欲)。
『セブン』(96年)は、七つの大罪に従って7人が殺される物語。「アートとしての殺人」がテーマである。
●ゾディアックとルーカスの隣人
62年生まれのデヴィッド・フィンチャーはサンフランシスコの北、マリン郡のサン・ラファエルという高級住宅地で育った。「静かな土地だったが、ゾディアックって連続殺人鬼が出たんで、学校のスクールバスには警察の護衛がついていたよ」
思春期を迎えたフィンチャーは、フリーライターで映画マニアだった父に連れられて、70年代のいわゆる「アメリカン・ニューシネマ」の数々を見せられた。『明日に向って撃て!』や、『オール・ザット・ジャズ』等々。
「今(80年代以降の)映画は観客の心に何も残さない」フィンチャーは言う。「映画は娯楽でなきゃいけないって奴がいるけど、俺には理解できない。俺はいつだって観客の心に傷を残す映画が大好きだった」
彼が映画監督を目指すようになったのは、10歳の頃、家の向かいの豪邸にジョージ・ルーカスが引っ越してきた時だった。「パジャマ姿で玄関に落ちた新聞を拾いに来るあのヒゲ面のおっさんなんだ。それでオレは思ったんだ。俺も映画監督になれるかもって」
すぐにプロになりたかった彼は、友人のコネでルーカス・フィルムのSFX工房ILMに潜り込んだ。17歳の頃である。そして、『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』(83年)のミニチュア撮影のアシスタントとして初めてクレジットされた。だが、彼は暗く陰惨な『帝国の逆襲』は大好きだったが、可愛い小熊のようなイウォーク族が帝国を倒す『ジェダイ』を「クソをストローで吸うみたいな映画」と表現している。
その後独立し25歳でCM製作会社「プロパガンダ・フィルム」を旗揚げした。90年代に入りプロモ・ビデオに比重を置き、マドンナにストリップを演じさせた「エクスプレス・ユアセルフ」はメガヒットになる。なかでもエアロスミスの「ジェニーズ・ガッタ・ガン」は父親に性的虐待を受けた少女が父親を射殺するという内容で、彼らしい「観る者の心に傷を残す」ビデオだ。
そして、念願の映画監督の仕事として『エイリアン3』(92年)を任された。製作費5000万ドルの大作だったが脚本家と監督が何人もクビになった後で、フィンチャーは決定稿がないまま撮影を始めさせられた。しかもプロデューサーのウォルター・ヒルや製作会社のFOXが激しく干渉し、彼のアイデアはことごとく潰された。批評家から叩かれ、ファンからは憎まれ、興行的には惨敗に終わった。「みんな『エイリアン3』を嫌うが、あの映画をいちばん憎んでるのは俺自身さ」。彼は映画監督のキャリアをあきらめかけていた。
『セブン』のシナリオを読むまでは。
「ハリウッドの定型に従って展開を予想すると全部、掟破りの方向に転がっていく。70年代の映画を観てるような気分になったよ」
●デスノート
『セブン』は、退職を決めた老刑事サマセット(モーガン・フリーマン)がひとり暮らしのアパートで目覚める朝から始まる。
都会の喧騒が聞こえてくる。パトカーのサイレン、誰かの叫び声……。
身支度をはじめる。テーブルに整然と並べた警察バッジ、ナイフ、ペン、警棒、ハンカチをポケットに入れていく。引退を1週間後に控えたサマセットは、夫婦喧嘩で妻が夫を射殺した現場に行く。現場で面倒な質問をする彼は同僚の刑事に「あんたが引退してくれて嬉しいよ。いつもくだらん質問するからな」と吐き捨てられる。
夜、アパートに帰ったサマセットは絶え間なく聞こえてくる都会のカオスをかき消すために秩序正しくリズムを刻むメトロノームを枕元に置いて眠りにつく。リズムは突如、雷鳴にかき消され、メインタイトルが始まる。
画面は誰かの指先を超クローズアップで映し出す。剃刀の刃で指先の指紋を削る。紙に細かい字で何かをビッシリと書き込んでいる。針に糸を通して、その紙を製本してノートにする。検死写真らしい死体写真を貼り付けていく。このデスノートを作っている指先の持ち主は連続殺人鬼なのだが、観客にはこの時点では誰だかわからない。ただ、正常な人間でないことは明らかだ。
「殺人者の心の中に入っていくような映像」『セブン』のメインタイトルに、フィンチャーはそう注文した。タイトル・デザイナーのカイル・クーパーはフィルムを傷だらけにし、激しくコマを飛ばし、画質そのものを狂わせた。この映像はクーパーを一躍有名にした。
音楽はナイン・インチ・ネイルズの「クローサー」。音楽というよりノイズだ。指先が紙幣から「GOD」という文字を切り抜くショットで、トレント・レズナーのボーカルは絶叫する。
You get me closer to god(お前は俺を神に近づける)!
このメインタイトルはサマセット刑事が見た悪夢のようにも見える。それもそのはず、サマセットも連続殺人鬼も、実は脚本家アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーの分身なのだ。
●都会の底で
夫婦喧嘩で射殺された夫の死体を演じているのが、『セブン』の脚本を書いた当時30歳のウォーカーだ。
64年、ペンシルヴェニア州生まれのカントリーボーイで、大学で映画の脚本を学んだウォーカーは、卒業後ニューヨークに出て、スラッシャー映画の脚本の手伝いを始めた。しかし金はもらえず、生活のためビデオ売り場で働き始めた。そこはポルノやエロ雑誌もかなりの数で置いてあり、客は近所に住む大学生やフリーキーな人々だった。
仕事が終わると彼はまたスラッシャー映画のアイデアを練り始めた。
「ある日、七つの大罪に従って7人が殺される連続殺人事件の話を思いついた。図書館に通って資料を読み込んでいくうち、単なるスラッシャー映画ではなくなっていったんだ」ウォーカーは狭く汚いアパートでひとり寂しくシナリオを書くうちに、NYで貧しく暮らす自分自身の怒りをぶつけていった。
「NYでの毎日は本当に惨めだった。僕は騒がしくて汚いこの街に我慢できなかった。この街に対する憎しみを『セブン』にぶつけたんだ」
●雨とブラピ
月曜日。肥満の男が胃袋が破裂するほど食わされて殺される。
「殺し方そのものに意味がある」と語るサマセット刑事だが、事件の担当を拒否する。とても1週間後に退職するまでに解決する事件じゃない。
「じゃあ、自分に担当させてください」
サマセットの相棒に配属されたばかりの若手刑事ミルズ(ブラット・ピット)が言い張った。
ミルズはいかにも体育会系、田舎のブルーカラー出身。落ち着きなくガムを噛み、ボールペンをカチカチとノックし、口数が多く、FUCKを連発し、つまらないジョークをしゃべり続け、見るからに頼りない。
実はブラット・ピットがこのシナリオを気に入ったおかげで、『エイリアン3』で失敗したフィンチャーがこの『セブン』を監督できたのだ。ハリウッド最高の人気スターと最高の名優モーガン・フリーマンの競演なら商売は固い。
『セブン』ではラストを除いて全編、雨が降り続けているが、それもブラット・ピットが原因だ。売れっ子のピットは4週間しか撮影に参加できなかった。しかも本作の舞台はNYだが、予算を安く抑えるために、冬の雨季に突入していたLAロケになっていた。晴れ待ちをする余裕もなく、フィンチャーはずっと雨を降らせることにした。これなら天気に左右されないし、風景が雨でかすんでNYにもLAにも見える。
「また、雨に封じ込められて逃げ場のない閉塞感が出た」とフィンチャーは言う。そう、酸性雨が降り注ぐ『ブレードランナー』の近未来のLAのように。
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