『北国の帝王』 反逆児アルドリッチのノーサイド精神が炸裂! 列車タダ乗り王マーヴィンと鬼瓦車掌ボーグナイン怒りの激突! これぞ男のための男の映画 町山智浩単行本未収録傑作選23
文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2012年12月号
●反権力の塊ロバート・アルドリッチ監督の『北国の帝王』
7月8日、アーネスト・ボーグナインが亡くなった。95歳だった。『地上より永遠に』(1953年)で水兵のフランク・シナトラをイジメ殺す意地悪な上官、『ウィラード』(1971年)で気弱な青年ウィラードをイジメてネズミに食い殺される上司を演じたが、ガマガエルの親分みたいな顔のせいで、心底悪党には見えなかった。そのボーグナインの顔演技を最も堪能できるのが、ロバート・アルドリッチ監督の『北国の帝王』(1973年)だ。
大恐慌時代のオレゴンを舞台に、どんな列車にもタダ乗りする男リー・マーヴィンと、どんなタダ乗りも阻止する乗務員ボーグナインが対決する、という話だ。新
聞広告には、デカい目玉を限界までひん剥いたボーグナインが汗と血にまみれて、鼻のデカいリー・マーヴィンの首を鉄の鎖で締め上げる写真が載っていた。もし、今、血みどろの中尾彬がギョロ目を剥いて梅宮辰夫の首をねじねじマフラーで締める映画があったとして、誰が観に行くだろうか? 俺は行くけど。
「1933年、大恐慌の最中」
『北国の帝王』はそんな字幕で始まる。
「ホーボーたちが全米を彷徨っていた。仕事を求めて貨物列車に無賃乗車する人々だ。社会から弾き出され、家族も家もなく、彼らは特殊な集団になった。法律を嘲笑い、自分たちの掟を重んじた」
ホーボーの語源は「日本人鉄道工夫が使っていた『方々へ行く』から来た」など諸説あるが不明。ジョン・スタインベックの戯曲『二十日鼠と人間』で描かれたように、農作物の刈り入れなどの臨時雇いで働き、仕事が終わるとまた次の農村地帯に移動する。俳優ロバート・ミッチャムも若い頃はホーボーだった。
画面は暗闇からオレゴンの森林地帯へとアイリスインする。ワイプの一種で、丸くて小さな窓がだんだん大きくなるのだが、これは映画の舞台となる1930年代の映画で使われていた手法だ。
牧歌的な主題歌が流れる。
頼むから止めないでくれ
無駄なことだから
僕には夢がある
素晴らしい夢が
本当の男になるという夢が
貨物列車を引いた蒸気機関車が給水のために停車する。発進して加速している間にホーボーたちが列車に飛び乗る。しかし、乗務員のシャック(ボーグナイン)は見ていた。貨車と貨車の間の連結器に座っていたホーボーの頭にハンマーを振り下ろす。列車の下に落ちたホーボーは胴体を真っ二つにされる。
シャックは無賃乗車する者を容赦なく殺すことでホーボーから恐れられていた。シャックが仕切る19号車に乗って次の駅まで生きてたどり着けた者はいなかった。それに挑戦するのが、南波杏、いや、ア・ナンバー・ワン(リー・マーヴィン)だ。
ホーボーはみんなホーボー・ネームを持っている。「1番」はザ・ナンバー・ワンだが、ア・ナンバー・ワンだと「一流」「最高」という意味。彼は、その熟練した無賃乗車のスキルを崇められて、そう呼ばれている。ボーグナイン扮するシャックも名前ではない。シャックとはホーボーのスラングでブレーキマン(制御手)のこと。当時の蒸気機関車にはブレーキ専門の乗務員がいた。
シャックとナンバー・ワン、2人は本名も、背景も、家族も、私生活も描かれない。象徴的な存在だからだ。
「シャックは家庭では良き父親だろう。ナイスガイで、一緒に酒を飲むと楽しい奴だろう」
ロバート・アルドリッチ監督は英『サイト&サウンド』誌(74年夏号)のインタビューでそう言っている。「しかし、シャックは完全無欠の権力そのもので、自分の列車を守るためなら何でもする」
権力の象徴であるシャックに対して、ナンバー・ワンは反権力の塊だ。アルドリッチ映画のヒーローはいつだって、そんな反逆児だった。監督デビュー作『アパッチ』(1954年)では、インディアンたちが白人支配に順応していくなかで孤独な戦いをやめようとしない男(バート・ランカスター)。『攻撃!』(1956年)では第二次大戦のヨーロッパで、無能な上官(エディ・アルバート)に反逆する兵士たち。『ロンゲスト・ヤード』(1974年)では傲慢な刑務所長(エディ・アルバート)にフットボールの試合で勝とうとする囚人(バート・レイノルズ)、『合衆国最後の日』(1977年)では、ベトナム戦争の真相を暴くために核ミサイルを乗っ取る軍人(バート・レイノルズ)。
アルドリッチ自身、ハリウッドの反逆児だった。チャップリンの『ライムライト』の助監督を務め、脚本家エイブラム・ポロンスキーとクリフォード・オデッツの薫陶も受けたが、チャップリンもポロンスキーもオデッツも赤狩りの標的になった。アルドリッチは彼らを虐げたハリウッドへの怒りを忘れず、当時としては珍しく、どこの映画会社にも所属しないインデペンデント監督としてハリウッドという体制と戦い続けた。
さて、ナンバー・ワンは家畜運搬用貨車に飛び込む。彼のマネをして、やせっぽちの若者(キース・キャラデイン)が同じことをする。2人が入るのを見ていたシャックは貨車の出入り口をロックしてしまう。このまま次の駅まで閉じ込めておけばいい。捕まった! 若者はパニック。でも、ナンバー・ワンは落ち着いて、積まれた干し草にマッチで火を点けた。焼け死んでしまう! 慌てる若者を尻目に、ナンバー・ワンは燃えて薄くなった壁を破って脱出した。
ここでアルドリッチ監督は、シャックら鉄道員が、燃え盛る車両を切り離して処理する手続きをじっくり見せる。彼らが尊敬すべきプロフェッショナルであることを示すために。
逃げ遅れた若者は鉄道員たちに逮捕された。若者のホーボー・ネームは「シガレット」といった。鉄道員たちは信じられない。こんな若造が、タダ乗り不可能と言われたシャックの19号車に乗っていたなんて! シャックは鉄道員たちの伝説であり、カリスマだ。強すぎるので反発する鉄道員もいるが、シャックの前では何も言えない。
いっぽう、ナンバー・ワンはホーボー仲間の野営地に行く。無賃乗車というだけで16人も殺してきたシャックの19号車に乗って来たと言う彼に、キャンプファイヤを囲むホーボーたちは熱狂する。
「ナンバー・ワンこそ、北国の帝王だ!」
ホーボーの間では「最強のホーボーがいるとすれば、北極にいる」というジョークがあった。しかし、ナンバー・ワンは、今回の乗り方は正しい勝ち方とは言えないと謙遜する。
逆にシガレットのほうは、ナンバー・ワンのマネをしただけなのに、シャックを出し抜いたと思われてイイ気になっている。
「嘘だ」シャックはシガレットを見ただけで見抜く。「お前はホーボーですらない。ただの青二才だ」
そこに飛び込んできた鉄道員が叫ぶ。
「ナンバー・ワンだ! 奴が19号車でポートランドに行くんだと!」
給水塔に犯行予告が書かれたのだ。住所を持たないホーボーは互いの連絡のために線路沿いのものに暗号を書いた。
鉄道員たちはナンバー・ワンが勝つか、シャックが勝つか、賭けをし始める。みんなシガレットのことなど忘れてしまう。結局、どうでもいい小者だったからだ。 シャックとナンバー・ワンの対決のニュースは電信で全米を駆け抜ける。賭け金は何百ドルへも跳ね上がる。北国の帝王になるのは誰か? その興奮は観客にも伝わって来る。
早朝、シャックはナンバー・ワンが飛び乗れないよう、ハイボール(全速力)で走るつもりだったが、上司から安全に走るよう釘を刺される。つまり鉄道会社としては無賃乗車など大した問題ではないのだ。シャックがホーボーを決して乗せないのは、単なる意地でしかない。
シャックは上司の命令を無視して、速度を上げさせる。
「もっとスピードを出せ!」
ところがナンバー・ワンは線路のポイントを切り替えていた。19号車は引込み線に逸れ、行き止まりに突っ込んで停止する。ナンバー・ワンはまんまと乗り込んだ。彼の名声を横取りしようと狙うシガレットも一緒に。そしてシャックとの手に汗握る攻防戦が始まる。
ナンバー・ワンは貨物車の下に入る。シガレットもマネをする。それを見つけたシャックは、連結器に刺す鉄の棒に紐をつけて、車両の下に投げ入れる。棒は枕木に当たって跳ねまわり、シガレットをさんざん打ちのめす。可哀想に思ったナンバー・ワンは紐をつかんでシガレットを助けてやる。
●“ナンバー・ワン”には実在のモデルがいた!
結局、この第1ラウンドはシャックの勝ち。ボロカスに痛めつけられたシガレットはナンバー・ワンに頼るしかないと気づく。
「わかった。教えてやろう」ナンバー・ワンは言う。「俺の言う通りにすれば北極の帝王になれるぞ」
シガレットは彼の下でホーボー修行をする。線路にグリースを塗って列車を停車させる方法。ベルトとゴーグルを使って車両の屋根の上で眠る方法……。
実はナンバー・ワンは実在の人物である。本名はレオン・レイ・リビングストン(1872年生まれ)。彼は浮浪者でも失業者でもなく、豊かな家庭に生まれたが、11歳で初めて列車のタダ乗りを経験して以来、ホーボーの生き方に魅了され、タダで全米を旅した。ホーボーたちの伝説や噂話を集めて出版した。1917年には『ジャック・ロンドンと共に西海岸から東海岸まで』という本を出している。これは『白い牙』『野生の呼び声』で名高い作家ジャック・ロンドンと青年時代にホーボーとしてアメリカじゅうを放浪した思い出をつづったものだ。
ナンバー・ワンは4歳年下の家出青年だったジャック・ロンドンにホーボーの智恵や技術を教えた。そしてジャック・ロンドンが当時使っていたホーボー・ネームは「シガレット」だった。そう、『北国の帝王』はナンバー・ワンとジャック・ロンドンの関係をヒントに、想像をふくらませて書かれたシナリオなのだ。
ジャック・ロンドンはホーボー時代の体験を『放浪記 The Road』として出版した。それに大きな影響を受けたジャック・ケルアックは40〜50年代、鉄道ではなく自動車で全米を放浪して『路上 On The Road』(1957年)に書いた。『路上』を読んだ60年代の若者は、家を出て、あてのない旅に出た。ヒッピーの始まりだ。また、1992年、ロンドンの『放浪記』に憧れた大学生クリス・マッカンドレスがロンドンと同じく北を目指してヒッチハイクでアメリカを彷徨い、アラスカの原野で死亡し、『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画になった。
また、ジャック・ロンドンの社会主義や自然回帰思想も、60年代の左翼革命やネイチャー志向の原点になっている。カウンター・カルチャーの元祖はロンドンだと言っていい。
「シガレットはベトナム戦争以後の世代の象徴だ」アルドリッチ監督は『フィルム・コメント』誌(77年3−4月号)のインタビューでそう語っている。つまり『北国の帝王』が作られた当時の若者そのものだと。しかし、その描き方は……。
給水塔に再びナンバー・ワンの予告が書かれた。今度こそ19番線に乗る!
また車両の下に入ったナンバー・ワンをシャックはまたしても鉄棒で攻撃する。今度はシガレットが助けて恩を返す時だ。ところが彼は何もせず、ナンバー・ワンが鉄棒で叩かれるのをニヤニヤ笑いながら見ているではないか。ナンバー・ワンが死ねば、自分がトップに立てると思っているからだ。
シガレットを「ベトナム戦争以降の世代」とアルドリッチが呼んだのはこういう意味だ。72年にベトナム戦争継続を掲げたニクソン大統領が再選され、結局、若者たちの反戦運動は挫折し、政治への関心を失った。「みんな、家に帰って眠るんだ。どうでもいいや、もう終わったことだ、と。……奴らは日和見野郎どもだ」
ちなみにアルドリッチは『ロンゲスト・ヤード』で陰謀をめぐらす刑務所長エディ・アルバートを「あれはニクソンだ」と言うほどニクソン嫌いだ。
権力と戦ったのは、60年代の学生運動が初めてじゃなかった。ハリウッドの中でも、チャップリンが、ポロンスキーが、オデッツが、ダルトン・トランボが、バート・ランカスターが、カーク・ダグラスが、ハンフリー・ボガートが、アルドリッチが赤狩りと闘った。ある者は負け、ある者は負けなかった。ただ言えるのは、彼らは団塊の世代の学生と違って、孤立無援の戦いをしたということだ。
●「おい、小僧! お前には品格ってやつがないんだよ」
シガレットに裏切られたナンバー・ワンは最後の手段に出る。足でブレーキを引いた。列車は急停車し、乗務員の1人は首の骨を折って即死。機関士はボイラーに突っ込んで大やけどを負った。許せん! シャックの堪忍袋の緒は切れた。遊びの時間は終わりだ!
空の車両の上で、鎖を振り回すシャックと角材を構えたナンバー・ワンの一騎打ちが始まる。シガレットはそれを高みの見物だ。
「これはローマの闘技場なんだよ」アルドリッチは言う。「シャックとナンバー・ワンは剣闘士だ」
ナンバー・ワンに殴られて、シャックは貨車から落ちて必死にぶら下がる。ここで落ちたら死ぬだろう。ところがナンバー・ワンは宿敵を引き上げた。
「この闘技場で、2人はお互いに特別の敬意を払っている。この闘技場の外で2人に私怨はない。だから、たとえチャンスがあっても、相手を殺すことはない」
いわゆる「ノーサイド」の精神だ。ただ、アルドリッチは、わかりやすい勧善懲悪にしなかったことが『北国の帝王』の商業的な失敗の原因であると考えている。
「最後にナンバー・ワンがボーグナインを列車から落としたときも観客の拍手喝采は起こらなかったからね」
その代わりに拍手喝采が起こったのは、戦いが終わった後、ナンバー・ワンがシガレットを川に突き落とした時だったという。最初のシナリオでは、ナンバー・ワンとシャックが相討ちになって死に、シガレットだけが生き残る結末だった。それは旧世代が新世代にとって代わられるという意味になるが、アルドリッチは拒否した。
「おい、小僧! お前には品格ってやつがないんだよ」
最後にナンバー・ワンはシガレットに長い説教をする。
「お前のようなガキはヒッチハイクでもしてろ。ブリキの缶をもって物乞いをしろ。小銭を求めて勝手口を回れ。だが、お前は、二度と線路に近づくな。ここはホーボーによるホーボーの世界だ。お前は決して北国の帝王にはなれない。お前には若さがあったが、心がなかった。心は誰もお前には教えてやれない。このナンバー・ワンでさえもな。だからもう列車に乗るのはやめろ。これは勇気ある者だけの乗り物だ。あばよ、小僧」
冒頭の主題曲が今度は歌なしで流れる。「僕には夢がある/本当の男になるという夢が」という歌詞が空しいからか。
「でも、シガレットはこの映画で唯一の若者の代表ですよ。若い観客はこんな風に描かれたら嫌がりますよ」
『フィルム・コメント』誌のスチュワート・バイロンに突っ込まれたアルドリッチはひとこと、こう言った。
「知ったことか!」
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