『暁の7人』 静かに熱く悲しい戦争映画 町山智浩単行本未収録傑作選9
文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2012年4月号
「君たちには、この特命を拒否する権利がある」
上官は言った。生きて帰れる見込みのない作戦だった。
「パラシュートで祖国チェコスロバキアに潜入し、どうにかして支配者ハイドリヒを暗殺しろ」
ルイス・ギルバート監督の『暁の7人』(75年)は、クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(09年)に大きな影響を与えた、静かに熱く悲しい映画だ。
描かれるのは第二次世界大戦中の「エンスラポイド作戦」。ヨーロッパ全土を支配しようとするナチス・ドイツはチェコを占領し、国外に脱出した人々はイギリスに亡命した。チェコを統治したのはナチ親衛隊でヒムラーに次ぐ地位にあったラインハルト・ハイドリヒ。彼はユダヤ人絶滅を決定したナチ高官のひとりでもあり、チェコでも反ナチ運動家やユダヤ人を10万人以上殺害した。そのため「死刑執行人」「金髪の獣」などと呼ばれていた。
ナチは工業国チェコで戦車と機関銃を生産していたので、連合国にとってもナチのチェコ支配は脅威だった。英国首相チャーチルは、亡命チェコ政府にハイドリヒ暗殺を提案した。亡命チェコ人の若者7人に破壊工作の技術などを教育してプラハに潜入させて、現地のレジスタンスとの協力で暗殺方法を考えるという行き当たりばったりの無謀な計画だった。
その決死隊に選ばれたのは、28歳のヤン・クビス(ティモシー・ボトムズ)とヨーゼフ・カブツィク(アンソニー・アンドリュース)、カレル・ツィルダ(マーティン・ショウ)。彼らは先発隊のシルバーAで、後からシルバーBの4名と合流する。
1941年12月、チェコの白い雪原と白い空に白いパラシュートが降りた。ヤンたちは愛しい祖国の土を踏んだ。それを今、支配する殺戮者を倒すために。
ヤンたちが首都プラハに入ると、自転車に乗った中学生くらいの少女がこっちを見ている。ヤンたちが追うと、自転車はプラハ大学に入った。そして数学の講義をしている部屋に案内される。それはレジスタンスの秘密の会合だった。
しかしレジスタンスたちはヤンを信用しない。
「ナチのスパイじゃないのか? 君が亡命チェコ人であることは証明できるか?」
ヤンは黙ってシャツを脱いで裸の背中を見せる。そこにはナチのハーケン・クロイツが黒く刻まれていた。彼を捕まえたドイツ兵が戯れに焼けたナイフか何かでつけた焼印のようだ。これは、『イングロリアス・バスターズ』でブラット・ピットが捕えたドイツ兵の額にカギ十字を刻むシーンの原点だろう。
自転車の少女はレジスタンスを支援する主婦マリー・モラヴィックの娘だった。「マリーおばさん」と呼ばれて慕われる彼女は、音大生の息子アタと中学生の娘インドリスカにレジスタンス間の連絡役をさせているが、夫は何も知らない。この映画はアメリカのワーナーの資本で、アメリカ俳優ティモシー・ボトムズ主演、イギリス人のルイス・ギルバート監督で作られ、主要キャストも英語圏の俳優が集められた。しかし、撮影は実際にプラハで行われ、セリフの少ない役はチェコ人が演じた。特にインドリスカのイノセントな容貌は、踏みにじられたチェコそのものの象徴に見える。
ハイドリヒはボヘミア王の宮城であるプラハ城を徴用して司令室にしていた。王冠を出してきて自ら戴冠、王座に座る。彼はチェコ人民に愛される指導者を演じていた。妻や幼い娘と積極的にメディアに登場して、良き家庭人をアピールした。また、彼のチェコ統治に反対する者などいないかのように、朝夕、郊外の自宅からプラハ城までメルセデス・ベンツで「出勤」する道では、車の幌をオープンにしていた。
「なぜ、今まで彼を殺そうとしなかったんだ!」
ヤンはレジスタンスのリーダーを責める。
「その後に起こる結果を考慮したからだ」
「僕らは兵隊で、これは戦争だ」
ヤンは言う。何も考えず殺すのが兵士の仕事だ。
「殺しのことしか考えないの?」
レジスタンスの女性アンナはヤンに問う。ヤンたちは、ロシア正教の聖ツィリル教会の地下の墓に隠れていた。
「私たちは若いのよ。もし平和だったら何がしたい?」
「サッカーだな」
「私は真っ赤なドレスが着てみたい。それでダンスがしてみたい」
暗い墓場で、青春を押し潰された2人が音楽もないままダンスをする。そして唇を合わせる。アンナが抱きしめるヤンの背中には決して消せないカギ十字が刻み込まれている。
いっぽう、ヤンとともに潜入したツィルダは、故郷に残した妻と再会していた。家には彼が亡命した後に生まれた赤ん坊がいた。妻子はツィルダにとって何よりも大切なものになっていた。ハイドリヒを倒す使命よりも。
最初、ヤンは列車に乗るハイドリヒを遠くから狙撃しようとして失敗する。
「自分たちが安全な方法でやろうとするから、できないんだ!」
ヤンは憤る。
「捨て身でやらなきゃ!」
ちなみに実際はヤンよりもヨーゼフのほうがリーダー格だったが、映画ではヨーゼフはいつもニコニコと黙ってトランプをいじる「頼りになる相棒」役になっている。
ハイドリヒの朝の出勤途中を狙おう。カーブでスピードが落ちるから、そこを至近距離から襲撃する。顔を見られるから危険だが、他に方法がない。
1942年5月27日朝、ハイドリヒはいつもより少し遅れて自宅を出た。時間に厳密な彼は途中で護衛の装甲車を追い抜かし、メルセデスだけでプラハ市内に入った。問題のカーブでハイドリヒの前に、英国製ステンマーク短機関銃を構えたヨーゼフが飛び出した。英国政府は、分解組立てが容易で軽いステンマークを各地のレジスタンスに密かに供給していたが、作りがチャチなので作動不良も多かった。ヨーゼフが引き金を引いたときもステンマークからは弾が出なかった。
逃げ出したヨーゼフをメルセデスの運転手がワルサーP38を持って追う。ハイドリヒを車に残したまま。そこにヤンが手榴弾を投げつけた。車体の下で爆発した破片はハイドリヒの腹部を貫いた。ヤンも破片で傷つきながら自転車で逃亡した。ヨーゼフも運転手を拳銃で撃ち倒して逃げ延びた。
ハイドリヒは手術の甲斐なく病院で死亡。補佐官カール・フランクは襲撃後すぐにチェコ全土に戒厳令を敷き、犯人捜しを始めた。この捜査過程で捕まった150人以上が拷問や処刑で殺された。さらにナチは見せしめとして、人口500人の村リディツェを地図からランダムに選び、「消滅」させることにした。男200人は全員、その場で銃殺された。残る女性と子どもは引き離されて収容所に送られ、病気と栄養失調でほとんどが終戦前に死んだ。ナチはリディツェの建物をすべて爆破し、村を更地にする様を映画に撮影し、占領地内の映画館で大々的に上映した。ナチに逆らうとこうなるぞ、という脅しのため。
「神よ、私は人殺しです」
ヤンはツィリル教会のペトリック司教に懺悔する。
「私がハイドリヒを殺したために多くの関係ない人々が殺されてしまいました」
とはいえ任務を遂行した7人の特命隊はすぐにチェコを脱出するべきだ。
「でも、ツィルダが来ない。彼ひとり置いてはいけない」
その間、ツィルダは街を彷徨っていた。リディツェの件でナチの恐ろしさはわかった。どんなことがあっても妻子は守らなければ。街中に暗殺犯の情報を求めるポスターが貼られていた。賞金は莫大な額だ。それだけあれば家族を充分養える。
ついにツィルダはゲシュタポの本部に行って密告する。
「犯人の協力者を言いますから、私の家族の命を守ってください」
彼はキリストを金貨と引き換えに売った、裏切り者ユダになったのだ。
ツィルダの密告でゲシュタポはモラヴィク家を急襲。マリーおばさんを逮捕するが彼女はヤンたちの居場所を言わずに青酸カリで自殺。家に帰ってきた息子アタは拷問され、バイオリニストになるための大事な手を砕かれるが、最後まで口を割らない。だが、ツィルダと2人きりになったとき、
「僕、ツィリル教会って言わなかったよ」
と漏らしてしまう。ツィルダが寝返ったとも知らないで。実際は、アタは無理やり酒を飲まされて朦朧とした状態で、切断された母の首を見せられて精神が崩壊してしゃべってしまったという。
「暁とともに僕らは脱出する」
ヤンはアンに再会を約束して別れた。その直後、教会を750人の親衛隊が取り囲んだ。大聖堂に突入した彼らを、2階のバルコニーからシルバーBの4人がステンマークで迎え撃つ。角度的に不利な親衛隊は射撃の的のように次々と倒れ、文字通り死体の山が積み上がっていく。この場面は『イングロリアス・バスターズ』で、映画館に集められたナチ高官に向けて、ユダヤ系アメリカ人の特命隊がバルコニーから銃弾の雨を降らせるクライマックスの元になっている。タランティーノは、兵士の死体に銃弾が穴を開けるディテールまで再現している。
籠城戦は6時間も続いた。特命隊側は生き残ったヤンとヨーゼフが地下墓地に立てこもった。プラハ市民は彼らの戦いを黙ってじっと見つめる。ナチへの怒りと英雄への祈りの眼で。
ヒトラーから暗殺者を生きたまま捕まえろとの命を受けた親衛隊は、消防車で地下室に大量の水を流し込んだ。水に首まで浸かったヤンとヨーゼフは、小さな空気穴から差し込んだ光を見上げる。それは天からの神の光のようだ。十字架にかけられたキリストも、雲の間から差し込む光をこんな風に見たのだろう。
2人は捕虜の辱めを受ける前に抱き合い、互いの後頭部にワルサーの銃口をあてて、自決した。
映画は登場人物のその後を紹介するカーテンコールで終わる。
暗殺者の協力者、アタ・モラヴィクとペトリック司教はナチに処刑された。少女インドリスカも捕まり、収容所で死亡した。ヤンを愛したアンも同じく収容所で短い人生を終えた。真っ赤なドレスを着ることもなく。
戦争が終わってから裏切り者ツィルダはナチ協力者として処刑された。
ナチに消された村リディツェは戦後、復興された。ツィリル教会でヤンとヨーゼフが光を見た空気穴は、今も銃弾の痕を残したまま保存されている。
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