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山下リオ、SUMIRE、常間地裕監督スリーショットインタビュー。『記憶の居所』『朝をさがして』二本立てプログラムを通して、観客の記憶に留めてほしいものとは

二本立てプログラムポスターの前で(左から)山下リオ、常間地裕監督、SUMIRE
取材・文:後藤健児

 常間地裕監督の『記憶の居所』と『朝をさがして』はどちらも豊穣な時間にゆったりと浸れる一時間弱の中編映画だ。このたび、両作が二本立てプログラムとして3月29日(金)よりアップリンク吉祥寺、4月12日(金)よりアップリンク京都で上映される。それぞれで主演を務めた山下リオ、SUMIRE、そして常間地監督にインタビューを行い、作品への取り組み方や、二本立てで上映されることの意義についてうかがった。
 1997年生まれの常間地裕監督は、映画美学校フィクションコースの初等科修了制作として手掛けた短編『なみぎわ』が多くの映画祭で入選、入賞となり、早くもその才能が注目される。2022年に公開された長編デビュー作『この日々が凪いだら』は、恋人同士となった若い男女を中心に、平成から令和へとうつろう世の中や近しい人との別れなどにより、生活や心までも変容していく人々を描いた群像劇。時折にジャンプする時制の扱いが印象的で、ようやく見つけた居場所に留まることを許さず、あらゆる者を嫌でも未来へと進ませる冷酷さが感じられた。そこから思い出すのは、60~70年代の変わりゆく時代に敗れ去った者たちへの哀歌である、アメリカン・ニューシネマのほろ苦さとやるせなさだ。しかし、それでも刹那、あたたかみを欲し、思い人と与え合う彼や彼女の”うつろい”への抵抗には、一縷の希望が見える。撮影はコロナ禍前だというが、世界が破滅していく中でもいっときの友との触れ合いを胸に、先へ進み続ける若者を黒沢清が描いた終末ホラー『回路』にも通ずる、険しくもたくましい青春物語だ。そして、テレビドラマ「私と夫と夫の彼氏」など映画以外の場でも活躍する常間地監督が、新たにスクリーンに若者たちの険しい表情を刻んだ。

『記憶の居所』ポスタービジュアル

『記憶の居所』は三つの小話から成るオムニバス調の構成だ。それぞれ味覚(「味の話」)、嗅覚(香の話」)、聴覚(「音の話」)をテーマに、ストーリーだけでなく作劇や演出法すら異なるドラマが描かれる。観客の記憶の中で各作品はリンクし合い、全部を合わせて一時間に満たないながらも、まるで名画座の三本立てプログラムを観終えたあとのような読後感が残る。三話の中で核となるであろう「味の話」は職業柄、人の”死”に慣れてしまった看護師・唄が疎遠になっていた母の訃報を聞き、故郷へ戻る物語。長野の飯田を舞台に、ホームタウンのどこにいても常に居心地が悪そうで心の休まらない主人公が、とある”味”を通して、自身や他者との関係を見つめなおす。突如、ジャンプするように切り替わる過去の情景はしかし、今まさに唄が目にしているものであり、彼女はそうやって過去と現在の記憶をつなぎ合わせようともがく。目まぐるしく行き来する唄の記憶と相反するように、飯田で暮らす時間はゆっくりと流れ、ぐるぐると同じ場所を回り続ける。主演の山下リオは16年間、所属した事務所を2022年に退所してフリーとなったあとの映画出演となり、劇中で訪れる試練と対峙していく唄の毅然とした表情からは、山下のこれからへの決意の表れも見て取れる。

『朝をさがして』ポスタービジュアル

 主人公の鋭いまなざしが印象的な『朝をさがして』も若者が試練にさらされる物語だ。新型コロナウィルスの感染拡大により、CAになるための夢を諦めざるを得なかった女性・美琴が、停滞していた心の時計のねじを巻き上げていく様子が描かれる。毎週水曜日の20時、人けのない公園で幼馴染の男性と一時間だけ会い、持ち寄った缶ビールを飲み交わして他愛のない話に興じる穏やかなひとときには、日本では2020年の緊急事態宣言発令による映画館の閉鎖直前となる3月に公開された、ココナダ監督『コロンバス』での、どことなくなんとなくな男女の触れ合いが重なる。出口が見いだせない暗闇の中、どうということのない、わずかな時間のおしゃべりが無意識に突破口を開いていく。美琴を演じたSUMIRE自身も役者として、コロナ禍の厳しい状況下で苦しい思いをしていたという。求める朝をさがしつづけた美琴が、声を発することもはばかられる社会の片隅で、痛々しくも清々しく叫ぶシーン。そこでのSUMIREは、美琴のみならず、失われた時代に青春を潰された若者たちの気持ちすべてを体現しているかのようだった。
 山下とSUMIREはどのように、唄や美琴の険しい表情を作り出したのか。柔和な顔を見せる常間地監督を交えた三者インタビューで、撮影裏話と共に話を聞かせていただいた。(2024年3月、都内某所にて)

山下リオ、常間地裕監督、SUMIRE

--『記憶の居所』はそれぞれの話が切り離されているようで、しかしどこかしら重なり合うテーマ性を持ち、特集上映の三本立てプログラムを体験した気分になりました。各話の尺のアンバランスさも不思議な魅力ですが、最初のエピソード「味の話」が最も長尺で本作の核にあたるように思えます。
常間地 ”記憶”を掘っていこうと考えたときに、純粋に何分、何分と分かれているよりは、(『記憶の居所』)一本として観られるものにしたいなと。最初から記憶が入り組んで混濁するよりは、ひとつしっかりと土台となるエピソードがあったほうが、そのあとの物語として一本観たときの読後感がいいんじゃないかなと思い、ホンの段階から「味の話」を土台に書いていました。
――暗転でつなげず、カット変わりで次の話に移行する構成もユニークです。
常間地 (暗転で)分断されるより、美術館をめぐっていくような形で入れば、いろんな記憶をつなげていけるんじゃないかなと。
--「味の話」は”味”をテーマとしながら、風にそよぐ葉っぱや信号機の音、食べ物からただよう匂い、嗅覚の鋭い犬の登場など、「香の話」「音の話」の要素も含めた集大成のようにも思えました。
常間地 ”味”をメインにはしつつ、他の要素も生活を描いていく上で入ってきますから、そこは大切にしたかった。味に特化しているけど、記憶を語るには五感すべてを使っていると思うので、味だけにはならないよう意識していました。
--それでも「味の話」は”味”の感覚を最も強く感じます。何度か出てくる卵焼きが印象的でした。
山下 作っていただいた方が、卵焼きの味を変えてくださってたんですよ。それがグッときて。
常間地 ”味”の感覚を大切にしたかったので、フードスタイリストの方にも入っていただいたし、お弁当や調理シーンを美味しく見せるように撮りたいと思っていました。それを撮影チームと話して、ひとつの枷に。誰かとご飯を食べたいなみたいな、そういうものになっていければ。そこは大事に撮りたいねと。
――物語の舞台となる長野の飯田で撮影された景色も作品を彩る、いい具材になっていました。
山下 長野ロケで撮影できたことは大きかったです。その場所にしかない空気感って絶対あるので。今そこにあるリアルな感覚、というのを信じてお芝居できました。それも常間地さんが作ってくださってたのかなと。
--物語の重要なシーンで、山下さん演じる唄が、ある人物に自分の思いを述べますが表情は見えません。
常間地 ちょうど木漏れ日の時間帯を狙ってましたし、また何テイクもやれることでもなく、撮影前にもああいうワンカットだろうと思い描いていました。全部の現場を通して、どの作品もなんですけど、こういう表情でやってくださいというよりは中身の話をよくすることが多いですね。あの二人の仲もちゃんと解釈してくださっていたので、あの撮影は本当に一発でオーケーでしたし、あれ以上のものはなく、表情を見せる必要もありませんでした。

険しくも毅然とした顔で試練に対峙する唄(演:山下リオ)

--続いて、『朝をさがして』の話をおうかがいします。タイトルどおり、朝(日中)と夜の対比を強く感じました。そのあたりの差は演出、演技において特に意識されましたか?
SUMIRE すごく意識して変えるとかではなかったのですが、作品に入る前に監督から「あまり着飾りすぎないでください」と言われて、自分らしくあれるようにと思いました。朝昼の仕事をしているときの美琴は闇がないというか、よくも悪くも目の前のことに集中しているんですけど、夜は友達と公園でお酒を飲んだり、同棲している恋人とちょっと問題があったりとか。夜のほうが人間の心の暗い部分がオープンになる時間なのかなと。それを無理に出そうということではないんですが、その場の雰囲気や会話していることを含めて、引き出せました。
常間地 コロナの問題も今回入ってきてるんですけど、どこかその光みたいなものを各登場人物の中で見つけられたらいいなと思っていたこともあり、必然的に夜にそういう感情が出てきてて。でも、昼のときもその感情がないわけではもちろんないんですけど、全編を通して”明けていきたい”みたいな思いは、ある種の対比につながっているのかなと思います。
--本作はコロナ禍の厳しい社会状況に翻弄される人々が描かれます。コロナ禍はSUMIREさんご自身のお仕事にも多大な影響が及んでいたかと思います。演じられた美琴と重なる部分は?
SUMIRE 自分も作品が延期になったり、周りの友達も会社に行けないなど問題を抱えていることが多かったので、この作品を通して思い出せました。その時期があったから、いまこう乗り越えられて仕事もまた復帰できてるなと思えることができたし。そう感じたからこそ、より美琴という役に集中できたこともあります。この作品が自分にとっても、ここからまたステップアップできるような、いい作品だと思いました。
常間地 コロナは自分も初長編映画の公開が延期したりとか、大学の卒業と重なったりしたんですけど、それ以降、自分の作品にはタイムリーにその話題があまり入りませんでした。『朝をさがして』では人との距離感だったり、居場所だったりを考えたときに、ナチュラルにそのテーマが入ってきて、いまならちょっと向き合えるかもと思って作れた作品ですね。

『朝をさがして』より。輝ける未来をコロナ禍に奪われた若者たちの表情を見てほしい

--『記憶の居所』もコロナが出てくるわけではありませんが、看護師として人の死に慣れてしまった唄の心持ちは現在の社会で生きる我々すべてと通じる気がします。
山下 たしかに毎日増えて行く死者の数字をボーッとみていた時期がありましたが、唄にとっての死の慣れは、一種の職業病だと思います。ストレスから守ろうという人間の防御反応だと思うし、死に向き合い過ぎても悩んだと思います。それが、ただただ人間らしいなって。コロナ渦で、私も事務所を辞める決断をしたんですよ。独立して最初の作品がこれで、フリーになった数日後にクランクインしてるんですけど(笑)。いい意味で執着がなくなったというか。これでオファーがなければ、俳優を辞めようかなって。ある意味、唄の死に対する慣れに近い感覚があったのかもしれません。でも、自分では前に進んだつもりが、何か不安で先が見えないなと思っていたし、そういった意味で、自分自身ともっと深く向き合っていった感覚は、唄とリンクしていた気がしますね。『記憶の居所』を観ると、あの当時の私しか出せない表情が切り取られてる気がします。
--今回、上映される二本は『この日々が凪いだら』と重なる部分を感じました。『記憶の居所』の唄も親の訃報を聞いて故郷へ戻ります。ジャンプしていく時制の使い方もそれぞれで印象深く見られました。引っ越しを余儀なくされて新たな居場所をさがす『この日々が凪いだら』の主人公カップルに対し、『朝をさがして』の美琴は不動産業界に身を置き、人々に居所を提供している。また、どの作品にも食べ物を美味しく口に運びながら団らんするシーンが象徴的に込められている気がします。このあたりはこだわっているテーマなんでしょうか。
常間地 意識してそれを入れようというわけではないんですけど、どちらの作品も日常というか生活みたいなものが自分の中では大きいです。それを描くときに、やっぱり過去があってのいま、先のことはわからない、何があるんだ、というのは根底にあることだと思ってはいて。日常とか生活を切り取る上で入ってきてるテーマというか、キーワードたちです。
――『この日々が凪いだら』の撮影はコロナ禍前?
常間地 2019年の撮影で、公開が2022年ですね。
――あの作品はわりと暗めの展開を見せていきますが、コロナ禍を経験したあとに作られた『記憶の居所』と『朝をさがして』は希望というか、光を感じさせます。
常間地 『この日々が凪いだら』も希望をもたせてはいるですけど、特に『朝をさがして』は自分が今までやった短編とかも含めて、一番爽やかに終わっていく、そういうものにしたいなと思っていました。それはこうしなきゃというよりは、ああいう形になったというか。『記憶の居所』に関しても、根底に死とかは自分の中に入ってきてて。長編を経て何ができるか、何を考えていきたいかを掘ったからこそ撮れた作品でした。「味の話」のある家族のところだったり、考えたいものを記憶というワードで掘った結果だった作品かもしれないです。

『朝をさがして』より。何気なく映る、美味しそうなお弁当に注目。本作もまた「味の話」だ

――そういう希望をもたせる思いみたいなものは、現場で役者さんにも伝えられていたのでしょうか。
常間地 現場では役のことや、この言葉はとか、人に関する対話をしましたね。
山下 常間地さんは、言葉数は少ないですけど、NGのカットはその心を微妙なニュアンスの言葉で言ってくださる。
SUMIRE 言葉数は少なくても、撮っていてここはやっぱりこの言い回しのほうがいいかもとか、私もこういう伝え方のほうがいいんじゃないですか、みたいにお互い提案をし合いました。もちろん、ダメな部分はもう一回撮っていいですか、とかそこは納得がいくまでやりきる監督でした。言葉がなくてもその熱意が伝わりますし、自分もあんまり言葉数が多くないので、お互いにいいものはいいみたいな空気感は伝わってたのかなと。
常間地 目指すべき観たい景色を共有して、それに向かっていったり、当たり前ですけどオーケーに責任を持つことも必要です。対話をしながら作っていきたいなとは思っていますね。一番その役を考え、その役として現場にいるキャストさんと、もちろん技術スタッフさんも含めてですけど、その目指したいもの、観たいものに向かってどういうやりとりができていくか、みたいなことは考えています。そこで生まれるナマのものがすごい見たいですね。一挙手一投足、演出をつける方もいらっしゃるとは思いますが、自分の中ではそこまで……。スタートとゴールだったり、そういうものは共有しなきゃいけないですけど、そこの画面の中でお芝居や感情を切り取れればいいなと思います。

『記憶の居所』「香の話」より。常間地監督テイストにあふれた男女のあてどない旅が描かれる

――ちなみに監督はアドリブを採用されるほうですか?
常間地 一言一句とかではないんですけど、ホン読みをする時間を作れた場合は、その声を聞いて立ち上がった瞬間がうれしくて、それを聞いて直したりはしますね。その人の言いにくそうなところを変えたりも。それは現場でもやりますが、台本にないところを延々やるみたいなことはしないので……。
山下 あれ、私はありましたけど(笑)。おかしいな(笑)。車内の長回しとか。
常間地 確かにあそこは台本以上の(笑)。延々、車が走ってましたから(笑)。
--山下さんから観た『朝をさがして』、SUMIREさんから観た『記憶の居所』はどのように映りましたか?
山下 時間がゆったり流れているのが印象的で、それが常間地さんぽいというか、勢いに任せず、ゆっくり背中を押してくれる感じが居心地良かったです。心動きが繊細に描かれててステキだなと思いました。
SUMIRE 『記憶の居所』を拝見したとき、こっちはこっちで常間地さんらしいなと。『朝をさがして』との対比じゃないですけど、ご飯を食べるところだったり、感覚が似ていると思います。『記憶の居所』は記憶とかすべての出来事をゆっくりたどっている感じが伝わりました。山下さんたちの演技も、演技と感じられないくらいナチュラルだったので、それは居心地が良くて、いい作品だなと。

『記憶の居所』「音の話」より。モノクロームの味わいが記憶のテーマを際立たせる

--あらためて最後に、今回二つの作品を二本立て上映でご覧になる方へ。
常間地 二本をセットで観たときに、どういう見方をしていただけるのか気になります。どこかの記憶や思い出みたいなものが日々の支えになる感覚が自分の中にあって、『朝をさがして』ではコロナも含め、嫌な記憶も生きていればあると思うんですけど、過去があったからこそいまがあり、その過去を否定はしたくないんです。そういう記憶みたいな何かが支えになればいいなと思うので、この二作を続けて観たときに、そんな感覚を劇場を出たあとも持ち帰ってもらえたら。誰かに連絡を取ってみようでもいいですけど、そうなれたらいいなと思います。
SUMIRE 監督がいま仰ったように、この人に会ってみたいなとか、お母さんに感謝しようかなと思うのもいいですね。自分や山下さんとか、誰かを観に来てくれた人が多いと思うので、常間地さんという監督がいるんだとか、『記憶の居所』を観て、山下さんっていい女優さんだなとか、誰かにとっての発見になればうれしいです。
山下 常間地さんが描く女性像がすごく好きなんです。今回たまたまですけど、どちらの作品も女性がメインですし、『記憶の居所』の女子学生二人のエピソードも印象的でした。長編で一人の主人公をぐっと観るのもステキですけど 、二本立てだったりオムニバスだからこそ、色んな選択肢をみることで、この世の正解が無くなって、世界が広がって見える感じを体験できる気がします。忙しない現代人にとって、ふっと息をつけるような映画になっています。
――本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。実りある上映となることを願っております。

『記憶の居所』『朝をさがして』は二本立てプログラムとして、3月29日(金)よりアップリンク吉祥寺、4月12日(金)よりアップリンク京都にて上映予定。

SUMIREヘアメイク:佐々木篤
SUMIREスタイリスト:JOE(JOETOKYO)

【本文敬称略】
『記憶の居所』©Filmssimo
『朝をさがして』©Ella Project

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