第23回東京フィルメックス取材2 各国の映画祭を席巻する、母娘の壮絶な憎み合いの物語には、日本の漫画作品の影響もあった。韓国映画『同じ下着を着るふたりの女(原題)』
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Q&Aの様子。(左から)東京フィルメックス プログラムディレクターの神谷直希、監督のキム・セイン、ムン・ソヒ役のチョン・ボラム、撮影監督のムン・ミョンファン(撮影:白畑留美)
取材・文:後藤健児
11月6日に閉幕した、第23回東京フィルメックス。会期中の11月3日に上映された、コンペティション作品の韓国映画『同じ下着を着るふたりの女(原題)』は、上映会場となった東京・有楽町朝日ホールに集まった多くの観客から絶賛をもって迎えられた。上映後のQ&Aには、監督のキム・セインをはじめ、メインキャストの一人であるチョン・ボラムと撮影監督のムン・ミョンファンも登壇し、観客からの質問に対して、真摯に答えていった。
『同じ下着を着るふたりの女(原題)』(英題:『The Apartment With Two Women』)は、周囲の迷惑など顧みず自由奔放に生きるシングルマザーと、彼女に抑圧されて育った20代の娘との関係性を通して、人が人を憎むこと、愛することとは何かを問う、140分に及ぶ濃密なドラマだ。監督のキム・セインは『Submarine Sickness』(2014)など数々の短編映画を手掛けたあと、韓国アカデミーの長編課程科卒業作品として作られた本作で長編監督デビュー。第26回釜山国際映画祭では、ニューカレンツ賞、ニューカレンツ部門観客賞、NETPAC賞、WATCHA賞、俳優賞(イム・ジホ)の五冠を達成。第72回ベルリン国際映画祭に公式招待もされ、世界的に注目を集めている作品だ。
自分の好きなように生き、決して人に頭を下げることのない高圧的なシングルマザーのスギョン。彼女から虐待されて育ち、今では職にも就いているが自立できない娘イジョン。互いに憎み合いながらも断ち切ることのできない二人の共依存の関係性が、登場人物に肉薄する手持ちカメラでじっくりと捉えられ、観ている側も息苦しさを感じてしまう、まるで鉛のように重いドラマが展開。全体としてリアリズムに重きを置く抑制された演出の中、突発的なアクションや観客の心をかき乱す色覚を操る演出など冒険心にもあふれ、これが長編デビュー作なのかと驚かせる完成度の高さだ。
Q&Aが始まる前に、キム・セインから観客へのサプライズプレゼントの旨が伝えられる。質問者の中から抽選で渡されるそれは、リコーダーの形をしたボールペン。リコーダーは、劇中で演奏する登場人物の感情を表す重要なアイテムとして使われている。監督からの粋な計らいだ。
濃厚な母娘関係を描こうとしたきっかけについて問われたキム・セインは、まず観客に向けて「私は監督のキム・セインです」と日本語であいさつ。客席からは拍手が起こった。それから、作品のテーマを語りだす。「完全に人を愛することができず、憎むこともできない、そういうアイロニカルな関係について、探求したいと思いました」と説明し、続けて「韓国社会でアイロニカルな関係の極みとはなんだろうかと考えたときに、親子の関係、母と娘の関係ではないか」と考えるに至ったそうだ。韓国文化における”母娘”の描き方の変化について、今の韓国映画やドラマ、本では様々な形の親子、母と娘の姿を描いたものが多いとする一方、「本作のプロットを書き始めた2016年当時、母と娘の関係性は仲がよく、美しく描かれるものが多かった」と振り返った。だが、自身や周囲の実体験においては、異なる関係がたくさんあることに気づき、これまでとは違う形を描いてみたいと思ったそうだ。
母娘の関係性が悪化の一途をたどっていく中で訪れる、長い暗がりのシーン。場内の観客も共に闇に包まれ、重苦しい時間を過ごすことになるこの緊迫した場面は、本作でも特に強い印象を観る者の心に残す。撮影監督はムン・ミョンファン。キム・ヒエと中村優子が出演した『ユンヒヘ』(2019)も彼のカメラによるものだ。小樽の雪景色の美しさを封じ込めたショットに心を奪われた人も多いだろう。『ユンヒヘ』での白い美から一転、本作ではスクリーンを闇黒で塗りつぶした。このシーンについて、彼が口を開く。「息苦しいなと思うところがありました。観るのがつらい、大変だと思ったかもしれません。それについては申し訳ない」と見終わったばかりの観客を気遣いつつ、撮影秘話を明かした。元々は、もう少し明るめの照明で設計していたそうだが、「観客の映画体験を重視したい」と考えるキム・セインから暗く仕上げてほしいと言われ、話し合いの末、監督の思いに共鳴したという。手持ちカメラの多用についても監督からのリクエストだった。登場人物の感情に沿って映画が一緒に流れるような形を撮りたい、カメラを遠くから構えて撮るのではなく、人物の動きに沿って撮りたかった、と撮影手法の意図を解説。
続いてトークは、キャスティングに関する話題へ。母親からの抑圧に耐える主人公のイジョン。彼女が勤める職場の同僚ムン・ソヒ役を、この日に登壇したチョン・ボラムが好演した。ボラムをキャスティングしたことについて、キム・セインはまず、ソヒ役の重要なキーワードは”適切な優しさ”だと説明する。「イジョンを完全に突き放さず、受け入れることもない、自分のラインをしっかり守っている人を演じてほしかった」とソヒを演じる役者に求めていたものを明かす。そして、チョン・ボラムに会ったとき、ボラム自身が本当に優しい人だと思ったそうだが、それでいて「自分の中にしっかりした芯が通っているような、ソヒに近い人と思い、出演をお願いしました」とオファーの経緯を語った。
ソヒ役へのアプローチについて、チョン・ボラムが語る。「監督に最初に言われたのは”適切な優しさ”だった」とし、その優しさゆえに友人を受け入れることができない複雑なキャラクターを演じる難しさを乗り越えるため、キム・セインに「ソヒは以前、どういう人生を歩んだのか?」と聞いたそう。キム・セインからは「ソヒもイジョンの家庭と似た境遇で過ごした経験があり、今では家を出て、踏ん張って生きている人」だと説明を受けたという。そこから突破口を見出したようで、ソヒを演じるためにはソヒだけでなく、イジョンのことも理解する必要があり、イジョンの気持ちも考え、共感しながら、ソヒのキャラクター作りをしていったと明かした。
平然と娘を虐待する母親スギョン。憎まれ役となるこの難しい役どころを演じきれるとキム・セインが判断した俳優が、『イカゲーム』で453番を演じたヤン・マルボクだ。「(スギョンの役は)一歩間違えると、抵抗感のある嫌なキャラクターだが、俳優が元々持っている魅力で、嫌な部分を相殺してほしい」と思ったそう。「実際にヤンさんとお会いしたとき、若いエネルギーと愛おしさを感じた」と語るキム・セインの口調からは、ヤン・マルボクの持つ人としての魅力がこちらにも伝わってきた。
そして、母親からの長年に渡る暴力と憎しみを浴び続けた娘イジョンを演じたのが、第26回釜山国際映画祭で俳優賞を受賞したイム・ジホ。「(イジョンの役は)台詞より目で多くを表現する人物」とキム・セインは説明する。演じたイム・ジホについて、「目の奥が深くて澄んでいる」と感じ、「目でいろんな感情を表現できる方だなと思いました」とまさにイジョン役に適任であったことを語った。
観客から最も多く寄せられた質問が演出関連だった。商業映画を作った経験がほとんどなく、今回、初の長編を手掛けたキム・セイン。現場ではあまりコミュニケーションを取る時間がなかったらしく、そのため事前に様々な努力をしたそうだ。当時を振り返り、「シナリオについて話し合うというよりは、それぞれ自分がどういう人生を歩んできたのかを話し合った」とコメント。「口下手なので、自分の思いが相手にちゃんと伝わるのか心配があった」と悩んでいたというキム・セインは「音楽やグラフィック、本、エッセイなどを共有しながら話し合った」と言葉以外でのコミュニケーション手段を活用したことを明かした。さらに、キャラクターの深堀のためにこんなアプローチも。「(ヨモギ蒸しのサロンで働いている設定の)スギョンの場合は、演じたヤンさんと一緒にヨモギ蒸しの体験をしに行ってみました。イジョンの場合、彼女が歩いたであろう場所を、(演じたイム・ジホと)一緒に歩き回って感想を話し合ったりしました」と役者と共にキャラクターを作り上げていったことを述懐。
リコーダーでハンガリーの民族舞曲が奏でられるシーンについて、演奏する人物と曲に深い関連性があるという。「この曲には、自由になりたい、自分の人生を自分で選びながら生きていきたい、という気持ちが込められているそうです。(劇中でこの曲を演奏するキャラクターが)人にどう見られるかに気を使うより、自分の素直な気持ちに従うことを願う気持ちが近いと思い、この曲を選びました」とキム・セインは語った。
そして、話は再び”母娘”のテーマへと。「プロットを最初に書いたとき、ここまで母親に対して否定的な感情をむきだしにする作品は当時の韓国では少なかった。共感してくれなかったらどうしよう」と不安な気持ちがあったことを吐露したものの、母親と娘に関する心理学など、様々な本を読んだことで自信がついてきたそうだ。キム・セインを勇気づけた書籍の中には日本の作品もあったという。精神科医・斎藤環の対談集や、漫画家・田房永子(『母がしんどい』、『うちの母ってヘンですか?』等、母との関係性をテーマにした著作で知られる)の作品を「深く読み込んで、スタッフやキャストにも配った」と語るキム・セインにとって、日本に来られたことは大きな喜びだったようで、「日本に来て、日本の方々の皆さんとお会いできるのをうれしく思いました」と観客に感謝を述べた。客席からはそれに応えるように拍手が沸き起こった。
第23回東京フィルメックスは10月29日から11月6日まで開催された。
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