映画秘宝秘史その2 1977年『サスペリア』の話
1977年(昭和52年)の映画体験は大変なものだった。その時、自分は小学6年生で、隣の席の真面目な子が私立中学校に行くために家庭教師までつけて大変よ、などと愚痴るのを尻目に、まだ月刊だった『ぴあ』をチェックして次の週末に観る映画を探していた。目星がついたら『ロードショー』と『スクリーン』でスチール写真やレビューを読み、週末の映画行脚を決めていった。
小学校最年長のクラスで話題になった映画は春休みに上映された石坂浩二版金田一耕助映画第二弾『悪魔の手毬唄』とゴールデン・ウィーク番組の『ロッキー』、そして「天は我々を見放した」とテレビCMが連発された『八甲田山』あたりだろうか。『八甲田山』は同じクラスの友人Yから200円で前売券を買った。これがきっかけで彼の家が創価学会の信者であることを、リアルな形で知ることになった。
加えてダリオ・アルジェントの『サスペリア』が決定打だった。これは話題が多いので、後述させていただく。ご了承ください。
自分の家は後々記すことになると思うが、病気の時以外、土日は家にいる事が歓迎されなかったので、もうこの時分にはひとりで映画館に行くようになっていた。月にロードショー1本、二番館で2、3本、近所のボロい名画座で1日中といった感じで映画を観ていた。子どもの入場料600〜800円とパンフレット代300円、それに母に弁当を作ってもらい、1日中、映画館にこもるようになっていた。
●スタローンと金田一耕助が並んだ1977年
『ロッキー』はアメリカ建国200年のお祝いムードも感じられて、自爆するのが美学のアメリカン・ニューシネマとは違ったテイストがあった。街の皆の期待を背負って、ボクシング勝負でボロボロになって、結局は負けてしまうのだけれど、それでもハッピーエンドになる。単純に「面白い」と思って観ていたけれど、これは自分側の映画じゃないとも感じていた。
それというのも前年の1976年、2学期が始まってしばらくした頃に観に行った『タクシードライバー』体験があった。そこでロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィス・ビックルに感情移入してしまったのだ。密売屋から銃をまとめて購入する描写や政治家暗殺のためにDIYでスリープガンを作るシーン、その後あれこれあって、ポン引きを皆殺しにしてジョディ・フォスターを救うことになる。僕はずっとトラヴィス・ビックルという人物を孤独な、社会に怒りの炎を燃やす正義の男だと単純に思っていたのだが、町山智浩さんが『映画秘宝』の連載Yesterday Oncemore で、トラヴィスは実は狂人だと指摘する原稿をもらって「確かにそうかもしれない。だとすると20年以上、トラヴィスを正義の味方として崇拝していた自分もおかしいのかもしれない」と思い直した。自分は街の人々のヒーローとなるロッキーよりもひとり鬱々と怒りや殺意を溜め込んでいる狂ったトラヴィス側だった(ちなみに町山さんはロッキー派だ。作業中に突然「エイドリアーン!」とラストシーンのロッキーの真似をすることがあった)。
一躍スターになったシルベスター・スタローンだが、『ロッキー』人気に便乗して公開された、端役で出演している『デス・レース2000年』の方が圧倒的に面白かった。今ではディストピア・アクション映画の古典的名作として、ロジャー・コーマンの弟子筋ポール・バーテルの代表作として、『デス・レース2000年』は高く評価されているが、この年の封切時は『金曜スペシャル』の新作情報枠で紹介されたので、これは観に行こうと決めた1本だった(『金曜スペシャル』ではBGMが実際とまるで関係のないスキャットのような変な曲がつけられていた)。
ちょうどスーパーカー・ブームの真っ最中で、それも『デス・レース2000年』公開の追い風になっていた。主人公のフランケンシュタインが乗る殺人カーはどの車を改造したのか? など資料が一切なかった分、あれこれ想像できて、そんなところも面白かった。1977年の年明けには『激走!5000キロ』も上映されて、これは二番館で添え物扱い上映を観たが、当時はとにかく物凄い外車ブームだったし、ロスの下水道でカーアクションを見せた最初の映画だったかもしれない。スーパーカー・ブームは息が長く、翌年にはポルシェが空を飛ぶ見せ物の『マッハ78』まで続いた。
邦画では横溝正史原作、市川崑監督、石坂浩二主演の金田一耕助映画が2本作られた。シリーズ第2作『悪魔の手毬唄』は今もその評価は高く人気がある(映画の完成記者会見で岸恵子が「犯人役を演じました」とネタバレ発言をしたが、映画の評価には影響なかった)。夏には『獄門島』があり、これも原作とは違う犯人を仕立てたので、角川文庫で片っ端から映画化作品を読んでいると微妙な感じになった。
しかし市川・石坂の2本の金田一映画を向こうに回して凄まじい衝撃だったのは、秋に松竹が放った野村芳太郎監督の『八つ墓村』だった。原作のイメージに寄せられた石坂版金田一に対して、こちらはフーテンの寅こと渥美清の金田一。村で次々と起こる惨劇を尻目に尼子の落ち武者伝説の謎を解くのに懸命だ。これも映画を観る前に原作を読んでいたので、やはり不思議な違和感があった。
そして山﨑努の大量殺人シーンの凄まじさである。タイミングが『新必殺仕置人』の放映と被っていたこともあり、この人は恐ろしい俳優だと思った。『八つ墓村』は完全に猟奇オカルト色を強化した作りだったので、市川・石坂版横溝映画より面白く観た。
アクションで言えば、サム・ペキンパーの『戦争のはらわた』があった。近所に住む映画狂のお姉さんが「『ゲッタウェイ』の監督、これが最後の映画なんだって」と言ってきたので一緒に観に行った。彼女は『ゲッタウェイ』はお好みだったが『戦争のはらわた』はあまり良くないと言っていた。そんなものなのかなと思ったが、この近所のお姉さんは映画の仕事がしたくって英語を猛勉強して、20世紀FOXのニューヨーク支部に就職したのだった。『戦争のはらわた』はペキンパーのアクション新作というよりも凄惨な残酷戦争映画という売りだった。『オーメン』で首を切られたデビッド・ワーナーもドイツ軍将校として出演していて、いよいよ戦線が追い詰められたとき、「君のような詩人は生き残るべきだ」と言われて戦線を離脱するシーンが好きだった。戦闘機や戦車といった兵器のスペクタクルより、マシンガンを抱えて戦う肉弾戦は迫力があったし、見捨てられたジェームズ・コバーンたちのサバイバルものとしても興味深く観た。
結局、『戦争のはらわた』がペキンパーの最後の映画になるという噂は完全なデマだった。ペキンパーはその後、『コンボイ』で大ヒットを飛ばしている。
●パラサイコ・シリーズ〜オカルト映画の終焉と何かの始まり
この年、最も劇場が湧いたのは(悲鳴なのだが)ブライアン・デ・パルマの『キャリー』だった。デ・パルマはこの前に『ファントム・オブ・パラダイス』があまりにかっこいい映画なので驚いたが、『キャリー』はシシー・スペイセクが全身に血を浴びて赤い亡霊のようになる佇まいや、母娘の決闘、何よりあのラスト。映画が終わると後ろから椅子を思い切り蹴っ飛ばされた。何事かと思って振り返ると、学校の担任(社会科)が海老反りながら座っていた。先生は「あのラストは凄かったな!」と感心していた。その後で「映画館じゃなくて学校にもちゃんと来いよな」と言って席を立って帰っていった。春休みだったのに。
『キャリー』の配給はユナイトで、これにダン・カーティス監督『家』とロバート・ワイズ監督『オードリー・ローズ』の3本を「オカルト映画よりすごいパラサイコ(超常現象学)・シリーズ」とまとめてシリーズ宣伝した。超能力を扱った『キャリー』にやられたので、『家』と『オードリー・ローズ』は公開されたらすぐに観にいった。しかし『家』は不条理な屋敷もの、『オードリー・ローズ』は転生もので、『キャリー』のインパクトには及ばなかった。『家』は春に観て食い足らなかったが、夏休みに大林宣彦の『HOUSE ハウス』が公開されて、ふざけている演出もあったけれど、家そのものがヒロインたちを襲う展開が面白く、ハリウッド映画よりも面白い日本ホラー映画を観た実感があった。
それというのも、1974年に公開され大ヒットした『エクソシスト』以降、オカルト映画、恐怖映画がどんどん公開されたものの、流石に飽和状態になっていた感じがあって、夏休み公開の『エクソシスト2』には違和感があり(ゲロを吐かない『エクソシスト』なんて)、日本でも東映が『犬神の悪霊』を作ったりしていたが、テレビの映画情報番組では『スター・ウォーズ』の断片(デス・スターから逃げたミレニアム・ファルコン号にタイ・ファイターが襲いかかり、それを撃退するシーンが丸ごと放映されていた)が流されていたのだから、映画の流れが確実に変わる節目があったのだと思う。
1977年はオカルト映画、恐怖映画が黄昏を迎える時期だったが、先述した『キャリー』と並んで、小中学生の間で凄まじい話題になった映画があった。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』だ。
『サスペリア』予告編(リバイバル)
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