『暴力脱獄』追悼ポール・ニューマン(単行本未収録1)
文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2008年12月号
神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。
−アルベルト・カミュ『シシューポスの神話』清水徹訳
「クールの化身、死す」AP電
「クールな男らしさのアイコン」サンフランシスコ・クロニクル紙
「クール・ハンド・ポール」英ガーディアン紙
「世界がキング・オブ・クールを悼んだ」ロイター電
「シュワルツェネッガー曰く『彼は究極のクールだった』」サンディエゴ・ユニオン・トリビューン紙
9月28日、ポール・ニューマンが83歳で亡くなったことを報じる記事の見出しには「クール」という言葉が並んだ。それは、ニューマンがクール・ハンド・ルークとして人々に記憶されているからだ。
67年の映画『クール・ハンド・ルーク』は日本では『暴力脱獄』という邦題で公開された。荒くれ高校生と戦う教師を描いた『暴力教室』(55年)にあやかろうとしたのだろう。だが、主人公のルークは暴力など決して使わない。名前の通り、最後までクールだ。そして、ポール・ニューマンといえば、『ハスラー』よりも、『明日に向かって撃て!』よりも、『スティング』よりも、『クール・ハンド・ルーク』なのだ。
なぜなら、この映画を一度でも観たならば、ニューマンの笑顔を永遠に忘れないからだ。
◎クール・ハンド・ルーク
「『クール・ハンド・ルーク』は自伝的小説だ」
原作者のドン・ピアースは言う。
16歳で家出したピアースは破天荒な青春時代を送った。若すぎて入隊資格もないのに年齢を偽って軍隊に入り、駐留先のパリで偽ドル札を使って地元警察に逮捕されるが、脱走してイタリアに逃げ、そこから船に密航してアメリカに帰還した。20歳になると金庫破りに弟子入りし、映画館の金庫を破ろうとして逮捕。5年の重労働の刑を受けたピアースは、受刑地のフロリダでロードギャング(道路補修労役の囚人)になった。そして囚人仲間から、何度でも脱走を繰り返した挙句に射殺された伝説的な囚人の話を聞いた。
「彼はルークのキャラクターの3分の1になっている。もう3分の1は私自身。そして、残りの3分の1はウソっぱちさ」
そう言ってピアースは笑う。しかし、その3分の1にポール・ニューマンという奇跡が起こった。
小説『クール・ハンド・ルーク』は売れなかったが、ジャック・レモンの製作会社が映画化権を買い、テレビ出身の監督スチュアート・ローゼンバーグが脚本家フランク・R・ピアソンに脚色を依頼した。出演を希望したのは既にハリウッドの大スターだったポール・ニューマンだった。
◎VIOLATION
真っ赤な画面いっぱいに白く「違反」の文字。『暴力脱獄』の最初のショットはパーキングメーターの表示のクロースアップだ。ルールを破ることを意味する「VIOLATION」は、この映画のテーマだ。
泥酔したルークはパイプカッターという工具で、田舎町のパーキングメーターを切り倒している。映画にはないが、シナリオではこんなセリフを言いながら。
「こんなブリキの機械で物事を型にはめられると思ってるのか?」
この無意味な犯罪でルークは逮捕され、2年間の強制労働の刑を受けてフロリダに送られる。新入りたちはまず、看守に話しかける時は必ず「ボス」、所長には「キャプテン」を付けるよう教えられる。所長(ストローザ・マーティン)は小柄で女のようなしゃべり方をする男だ。
「ルーク、お前は戦場の英雄だったらしいな。銀星章(主に敵軍に大きな損害を与えた武功に与えられる勲章)、銅星章(勇気を讃える勲章)、紫心章(名誉の負傷に与えられる勲章)を二度も受けて、軍曹に昇格。……ところが営倉(懲罰房)にぶち込まれて、二等兵に降格されて除隊?」
ルークは軍隊でも何かVIOLATIONをしでかしたのだ。
◎ルール、ルール、ルール
「ここにはあらゆる種類の囚人がいる。だが、みんな型にはめてやる」
新入りたちは刑務所内の生活の規則を叩き込まれる。食事用のスプーンを紛失すれば一晩の懲罰房入り。喧嘩したら懲罰房、ホモったら懲罰、消灯後にベッドに入らなければ懲罰、寝タバコも懲罰、汚れたベッドでシーツに座れば懲罰、夜中に大声を出せば懲罰、命令に逆らえば懲罰、懲罰、懲罰、懲罰……。
あまりのルールの厳しさに、新入りたちは皆、絶望的な顔をしているが、ルークだけは薄っすらと微笑みを浮かべている。軍隊も刑務所も似たようなものだ。看守は言う。
「お前はハードケース(手に負えないワル)になりそうだな」
ルールを強いるのは看守だけではない。囚人たちにもルールがある。序列がある。老名主として君臨するドラッグライン(ジョージ・ケネディ)は新入りたちに言う。
「いいか、ここでは俺様が仇名をつけてやるまで、お前らには名前はない」
彼はドラッグライン(土木建設機械)のようにデカいのでそう呼ばれている。
ため息混じりで笑うルーク。
「貴様、耳がねえのか?」
ドラッグラインが目をつけた。
「俺の話を聴いてないな」
「聞く価値のある話じゃないからね。どいつもこいつも山ほどのルールや掟をしきたがってさ」
この野郎、いつか思い知らせてやる、という顔のドラッグライン。
翌朝、労役が始まる。ロードギャングたちに太陽が容赦なく照りつける。ひとりの新入りはすぐに倒れてしまう。もうひとりの新入りは金で楽な仕事をもらおうとして懲罰房に入れられる。手足も伸ばせない電話ボックスのように狭く暑く真っ暗な小屋に一日閉じ込められ、食事を取ることも眠ることもできない。
「奴らが作ったルールに俺たちは従うしかない」
囚人に対して威張り散らすドラッグラインも看守には従順だ。
看守のなかで最も恐れられているのは、レイバンのミラー・サングラスをかけているために「目無し」と呼ばれる大男だ。彼は絶対にしゃべらない。ミラーグラスの向こう側の表情も見えない。囚人を殴るためのステッキを振り、時に獣を見つけて大口径のライフル一発で射殺する。一度も外したことはない。囚人が脱走しても表情も変えずに殺すだろう。彼のミラーグラスは冷酷非情の権力の象徴となり、アニメ『サウスパーク』でもカートマンがミラーグラスをかけて「権威にひざまづけ!」と威張っていた。
◎何もない男
いつ終わるとも知れぬ苛酷なロード。
「おい、あれを見ろ!」
道路沿いの農家の娘がワンピース姿で自動車を洗い始める。大きな乳房はボタンを弾いて飛び出しそうだ。泡を自分の体につけ、胸を窓ガラスに押しつけ、ホースをくわえるようにして水を飲む。
それを見て「死にそうだ!」と悶え苦しむロードギャングたち。これ以来、美女の洗車はアメリカのセクシー・ファンタジーのひとつになった。最近ではパリス・ヒルトンやジェシカ・シンプソンがやらされている。
「あの娘、尻がぷりぷりして張り裂けそうだったな」
消灯後もドラッグラインは昼間の彼女を思い出させる。囚人たちは悶々として眠れない。
「やめろよ」
ルークが言った。
「みんな困ってるぞ」
俺に指図しやがったな。ドラッグラインの堪忍袋の緒が切れた。
「新入り、よく眠っておけよ。明日はキツいことになるからな」
週末、ドラッグラインはルークにボクシングを挑んだ。囚人の暴力衝動力で囚人相手に発散させるため、看守がボクシングをやらせているのだ。ドラッグラインはやせっぽちのルークよりふた回りもデカい。一発パンチが当たるたびにルークは吹っ飛ぶ。ところが何度倒れてもフラーっと立ち上がってくる。最初は歓声を上げていた囚人たちも、だんだん怖くなってくる。ドラッグラインもルークを殴れば殴るほど逆に怯えた表情になってくる。「もう立つな」と言われたルークは「だったら、俺を殺さなきゃな」と笑う。ドラッグラインが根負けした。
その夜はポーカー。ルークは笑顔でどんどん掛け金を吊り上げていく。回りは勝手に怯えてどんどん降りていく。全員が降りた後、ルークの手を見ると、ブタ。
「何の手もねえじゃねえか!」
ドラッグラインが叫ぶ。
「ボクシングの時と同じだ。お前は何もないくせに退かない!」
ルークは微笑む。
「何もないことが最高の手Coolest Handになることもあるさ」
この日から彼は「クール・ハンド・ルーク」になった。
◎何もかも持っていた男
面会だ。
ルークを母親が訪ねてくる。母は病の床にあって、起き上がることもできず、兄が運転するトラックの荷台に乗ったままだ。
「わたしゃ、人が犬みたいだったらいいのにと思うんだよ」
ひっきりなしにタバコを吸いながら母は言う。
「子犬が大きくなると、母犬は自分の子だってこともわからなくなる。母犬は子犬の将来に希望なんか持たない。愛もね。だって、つらいだけだもの」
「母さんのせいじゃないよ。僕がこうなったのは僕自身の問題だ」
母子の会話シーンは9分もある。その言葉の端々から観客はルークという人間を手探りする。彼は昔から何をやらせても誰よりも優秀だった。母親は兄弟の誰よりも彼を溺愛した。彼は戦争でも立派に戦い、両親の誇りになった。故郷でいちばん美しい娘と結婚するはずだった。未来はバラ色だった。しかし、彼はそれを捨てた。仕事も、結婚も、生活も何もかも放り出した。
「ルーク、どうしてこんなことになっちまったんだろうね」
「……僕はいつでも自由に、束縛されずに生きようとしてきた。母さんみたいにね。でも、どこにも自分の居場所が見つけられないんだ」
「お前はその重荷を背負える子だと思っていたのにねえ……」
誰よりも賢く、誰よりも勇敢で、誰よりも優しい男がシャバで自由を求めて見つからず、なぜか自分で不自由の極みの刑務所に入ってきたのだ。
観客は気づき始める。これは普通の犯罪映画ではない。もっと、何かこう、哲学的な物語なのだと。
去っていく母を見送るルーク。もう二度と会えないだろう。
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